超人ロックって、まだどこかで連載されたりしているんでしょうか?
最初から随分と弱気ですが、これは僕はマンガになっている超人ロックをすべて読んでいるわけではないという自信の無さに起因しています。基本的には少年画報社から出ていた38巻までのコミックスと、その後に発売されたいくつかのコミックス、それと、少年画報社版より前のコミックスが2冊ほど手元にあるだけです。
それぞれが、どんな雑誌に連載されていたのかもよく知りませんし、少年画報社版は37巻の「神童」が抜けています。しかも、その欠けたところを今現在精力的に探しているわけでもありません。こんな腑抜けた僕の書くコーナーですから、いたるところに、記載のミスや事実の誤認、無知ゆえの誤った考えなどが現れると思いますが、そういうものに気が付かれたら、どうか寛大な心で会議室やメールなどでご指摘いただけますよう、よろしくお願いします。

僕が「超人ロック」に出会ったのは小学校時分です。夏休みに、避暑に訪れた山荘で、たまたま少年画報社版がずらっと揃って置いて有るのに遭遇し、雨天が重なったこともあって山登りにも行かず、二日ほどかかけて一気に20巻代後半まで読みました。小学生の僕はほとんど初めて触れた本格的SF世界に興奮し、滞在が終わってその山荘を出る直前までむさぼり読んでいました。
街に戻ってから、本屋にたまたまあった38巻を買い、それだけを何度も繰り返し読みました。1年ほど後に、また本屋で7巻と8巻を偶然見つけ、1度だけ読んだ記憶を手繰りながら、この2冊で語られている惑星ラフノールの物語をこれまた何度も読み返しました。

春になって、新しく出来た中学の友人が、なんと15巻まであっさりと譲ってくれました。前に読んだ記憶がほとんど薄れ掛けていた僕は、この時にあらためて、ロードレオンやヤマキ長官を魅力的なキャラクターとして認識し、惑星ロンウォールの独立指導者リビングストン将軍に感動し、サイバー達の運命に涙しました。
それ以降は書店や古本屋を巡り、ひたすら自分の持っていない巻を集めることに没頭したのですが、こういったコミックスの流れにとらわれない読み方をしたお陰か、僕は超人ロックを一つの大河歴史読み物として認識して、コミックスを買う行為は、まるで年表に空いた謎の空白を解明するための歴史学者の研究行為であるかのようになっていったのです。

そして、超人ロック歴史研究家てなしもの研究者としての自意識を決定付けるイベントがおこりました。
あれは中学3年の夏だったでしょうか。長野県長野市にある、全国的に有名なお寺「善光寺」。その表通りにあった古びた本屋に僕はふらりと立ち寄りました。いつもの癖で、超人ロックのコミックスがありそうな棚を覗いていると、何とそこには、古本ではない新品の、まだ僕の持っていない超人ロックが、なんと8冊も並んでいたのです。涎の出そうな宝の山でした。しかし、その時僕の財布には4冊分を買うお金しか無く、「まあ、こんなにここにあるんだから、またどこかで見つかるだろう」と高をくくって若い方の巻を4冊だけ手にとり、レジへ向かったのです。(ああ、今思い返してもなんとも惜しいです。)
次に長野を訪れたのは1年後でした。その本屋をやっと見つけだし、本棚を覗いていましたが、もちろん買い逃した4冊は残っていませんでした。あの後も、あちこちの本屋を回りましたが、結局新しい巻は全然手に入っていなかったので、1年前にここに8冊もあった事を不思議に思い、店主にそのことをたずねてみました。すると、驚くような答えが返ってきました。
なんとこの本屋さんは、超人ロックを新刊で仕入れた最後の店だったのです。お客さんから「全巻欲しい」という注文を受け、全巻2セットを版元に問い合わせたところ、もう既に原盤が残っていなくて在庫も無いと言われてしまったものの、なんとその版元が全国の取り引きのある本屋さんに問い合わせて、各地の店頭に並んでいたものまですべて引き上げ、全巻セットを2つそろえてこの店に送ってくれたのだというのです。つまり、僕が1年前にこの店で見た8冊は、少年画報社版超人ロック新品の、最後の8冊だったわけです。
いうなれば、あの時の僕は少年画報社版コミックスの、介錯の立会人だったわけです。

ある歴史の瞬間に立ち会ってしまった人間が、その生き証人として生きることに宿命を感じてしまうことがありますが、僕もまさにその心境でした。
結局、ロックはしぶとくもいまだ出版社間をテレポートしながら新しい神話を紡ぎ続けているようですが、僕は一度彼の死を看取ったものとして、未熟の身なれど、これからも彼の後を追いかけて行こうと誓っているのです。


back