「奇人」というのは、そもそもある種の尊称です。
独自の執着心で何かに没頭し、常人の理解の及ぶ範疇を遥かに越えてしまった人々に送られる言葉です。
かの人のいかなる言動を見るにつけても、押井守は当代有数の奇人であるといえましょう。
また奇人とは、己の興味の範囲に入らないものには、とことん無頓着なものです。ほとんどの奇人は、自分が何をやっているのかを人に喧伝することに、関心がありません。
だから、押井守が作品を発表し、僕らの前にその世界を開陳するのは、それがかの奇人の執着の範疇だからなのです。
押井守の作品は多くの謎を秘め、それを鑑賞してしまった僕らは、その謎を解こうと躍起になります。
いくつかの謎を解いているうちに、今まで何でもなかったあるシーンに大きな謎がある事に気が付いてはっとさせられたりします。
謎が、一見謎だと解らないように無数に配置され、それが曼荼羅のように折り重なって作品が形成されています。
でも、この奇人は僕らをあまり見ていません。彼が見ているのは、作品の素材と、映画というものそのものです。
しかし、この曼荼羅世界は僕らを引き付けて、止みません。
この重力と戦うには、あまりに多くの知識と研究が必要で、しかも、中心にいる奇人は、僕らより曼荼羅の方に興味があると来ています。
つまり、僕らと押井守には「中心にいるか、いないか」という違いがあるだけで、求めるものは同じ。

押井守の作品を読み解くということは、曼荼羅の中心に座る押井守になろうとすることに他ならないのです。


「天使のたまご」を読み解く (8月8日)

「攻殻機動隊」を読み解く (8月8日)

「パトレイバーの話をする前に」 (1月14日)

「パトレイバー・ザ・ムービー」を読み解く (8月8日)

「パトレイバー2・ザ・ムービー」を読み解く (8月8日)

「ご先祖様万々歳!」を読み解く (9月15日)

「うる星やつら2ビューティフル・ドリーマー」を読み解く (8月26日)

「トーキング・ヘッド」を読み解く


以下、いろいろ続く




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