この作品の恐ろしいところは、1985年に作られた作品(2月発売)ながら、「攻殻機動隊(1995年11月公開)」に至るまでのほとんどの押井作品を内包しているということです。
押井守はこの作品を評して「自分の巨大な糞塊」であると言っています。押井守の仕事は、基本的に「与えられた素材をどう生かすか」に主眼が置かれていて、その中で「天使のたまご」は、押井自身の中から出てきた物語であるからだそうです。
とはいうものの、多くの人は押井のこの発言を素直には受止めることができないでしょう。「押井の作品は、いつも原作を自分のいいようにこねくり回しているじゃないか」・・・まったく当然のご意見です。
しかしながら、押井守の発言通り、もとの素材を生かした結果が、「ビューティフル・ドリーマー(1984年2月公開)」や「攻殻機動隊」なのだと考えてみたらどうでしょう。この場合見ぬかなければならないのは、押井守的な素材の生かし方、なのです。
押井守は何も客観的な作品作りをしているとは言っていません。押井守が自身の主観で判断した素材の良いところを、作品作りに生かしているだけなのです。
押井守の主観、その価値観や世界観を捕らえるには、作品の比較研究をしなければなりません。
そして、その主観だけで作られたという「天使のたまご」は、明らかに、押井守が見つめる「世界」に最も近い作品と推測することができます。(本当はこの作品すらも天野喜孝氏のイラストボードによって大きくイメージを変えられたのだとか。当初は、深夜のコンビニで、雑誌を立ち読みしている人や、おにぎりをずっと食べている人が居るところに、お腹の大きな女性がやってきて、ところがお腹だと思っていたものは大きなたまごで・・・といった、今僕らの前にある作品のファンタジー感とは無縁の話だったとか。)

犬・鳥・魚の登場シーンの比較、少女の意味、天使の意味、水、印象的な画面の相似性・・・。
果てしなくループする押井モチーフのほとんどが、登場する作品です。
作品分析は次回以降の更新にまわしますが、未見の方は押井守と戦うために、レンタルビデオ店をはしごして見てみて下さい。

(実は、僕の手元にもこの作品が無いので、記憶だけでは深い論評をするのに心もとない、というのが本当の理由ですが。)



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