この作品が大好きだという人が、僕の周りにはたくさんいます。皆さんの周りにも、そういう方がいらっしゃるのではないでしょうか?
この映画はどこが面白かったのか、という問いに対して、多くの人の答えは、ある方向性に集約します。
「学園祭の前日。仲間と泊り込み、お祭り前のお祭り騒ぎ。誰もいない街で好きなだけ遊び、飲み食いし、その世界がえんえんと続く。それが気持ちよかったから」
また、映画論を語るにおいても、あちこちから好評価が送られてきました。「これはメタ映画であり、映画そのものとして面白い」と。
この素晴らしい映画は、劇場公開時は放映中だったTV版の大人気もあってそこそこの入場者数も記録、そして評価は、「うる星やつら」ファンも一般のアニメファンも、そして普通の映画ファンからも絶賛されました。
しかし押井監督は、この映画の骨格が制作された夏、カラオケスナックの2階に下宿して、昼はTV版の現場から送られて来る絵コンテと原画のチェック、夕方から夜にかけては世界初のOAV「ダロス」の制作、そして夜から朝にかけてを「ビューティフル・ドリーマー(以下「B・D」)」のコンテ切りに当てるという地獄のようなスケジュールの中でこの作品を生み出していたのです。
その夏のはじめに、公開日までの日数がどんどんと減っていくなかで会社を焦らすように制作を先送りにし続け、会社から「もうお前の好きなようにやっていいから」といわれた途端に用意していた話の骨格を説明してコンテ作りに入ったという逸話がありますが、その結果、押井監督が好きなように作ることが出来る代わりに、名作「B・D」はシナリオすら書かれず、監督以外にはどんな作品になるのか誰も知らないという状況で制作が開始されたのです。
ところが、ここが奇人の奇人たる由縁か、なんとスケジュールを会社側にごまかして、制作レベルでは予定より一ヶ月もはやく作画を仕上げさせ、アフレコの段階では画面に95%色がついていたといいます。そしてそこからは、今では押井映画の特色の一つになっている「音」へのこだわりに、時間と労力が割かれました。

ここで、押井監督が超人的なスピードでアニメを制作した話をもう一つ。
同じく「うる星やつら」の話なのですが、この作品、TV放映が決定してから実際に放映開始がされるまでの間隔は実はたったの3ヶ月だったそうです。普通、アニメ制作は多少なりともスケジュールが厳しいものだそうですが、これはいきすぎです。その上、押井守が所属していた当時のスタジオぴえろの主力スタッフは、先年の「ニルスの不思議な旅」から人気を引き継いだ大看板の「太陽の子エステバン」と、「まいっちんぐマチコ先生」に出払っており、与えてもらえた有力な演出家は一人だけ。後はなんとか押井監督が人脈でかき集めるしか無く、間に合わない分は外部にどんどん発注を出し、ついにはなんとスケジュールを間に合わせてしまいました。そして、アニメーターの出入りを自由にしているうちに、「あそこは好きなことをやらせてくれる」という噂がたって、それまでスタジオぴえろといえば動物を動かすのが得意なところだったのですが、板野一郎氏(マクロスなどでお馴染みの板野サーカスの人)や平野俊弘氏(熱狂的なファンのいる美少女描きアニメーター)などもやってきて、いつの間にやら「うる星やつら」はSFメカ、ファンタジー、美少女なんでもござれの一大バラエティーアニメになっていったのです。はじめは原作ファンあたりからカミソリレターなんかも送られてきて評価も散々、一次はクビになるかどうかというところまで行ったそうですが、後に視聴率・人気共にブレイク。この作品は皆さんもご存知の押井守中期(初期?)の代表作となりました。

さてさて、話は逸れましたが、今回僕が皆さんにお話したいのは、「B・D」の音についてです。厳密には、ある効果音について。
明日の学園祭を控え、「純喫茶第三帝国(おそらくこの名前はメガネの趣味であろう)」となったあたる達の教室には、面堂の持ち込んだ戦車が中央に居座っています。無茶をするなと文句を言う温泉マーク(教師のあだ名)に対して面堂は見栄を切り、「なんとか運び込んだけれども教室の容量はぎりぎり、いつ底が抜けてもおかしくありません。突っつくのはやめて下さい。それとも、明日の開店を放り出して今更こいつを教室から出してしまいますか?」というようなことを言い放ちますが、これを、温泉マーク=会社、面堂=押井、教室=映画興行、戦車=作品内容と読み替えて、会社側への押井監督の勝利宣言とする解釈が有りまして、その前のシーンにおいても学内の混乱に混じってスタッフがあちこちに顔を出しており、校内で聞こえて来る「引けー!力の限り引けー!こんじょおみせてみろお!」という掛け声なんかも押井監督からのスタッフへの叱咤激励と解釈してしまうと、序盤はすでに「B・D」を作っている人々を描いたメタ映画になっているという読み解きが出来ます。

またまた話が逸れましたが、その戦車レオパルドが、その自重から床を軋ませる音、「ぎごご」というようなあの音が、作中、一見無関係な場所で何度も響いているということに、皆さんはお気づきでしょうか。
自宅に帰った温泉マークを追ってサクラが学校を飛び出し、廃虚と化していた安アパートの一室でかびに埋もれていた温泉マークを連れ出して喫茶店にて会話をするシーン。実は同じ一日を繰り返しているのではないかという疑問を作中で初めて気が付いた(すでに失踪している錯乱坊が先か?)温泉マークが、それをサクラにおずおずと語る場面で、その「軋み」の音がします。
そこからしばらく経った後、学校が一番怪しいと睨んだあたる達が夜の友引高校にジープを乗り付けたシーン。木造モルタル三階建てのはずの校舎が四階建てで聳え立っていることに気が付く場面で、またもや「ぎごご」と軋みます。

軋みが聞こえる場面の共通点。それは、「世界の歪みが露呈した場面であること」です。最初に教室(=映画興行)を軋ませた戦車(=作品内容)という読み解きをしていないと、これらのシーンで何故にその音がするのかは説明できません。では、軋み、崩壊してしまった世界が何を生み出すのか。
次回以降の更新では、その辺りを中心に論を進めていきたいと思います。


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