TVアニメ「少女革命ウテナ」の最終回は、12月24日でした。

さかのぼって時は10月。
友人にウテナを薦められ、たまたま放映時間に家にいた僕は、大した期待も無くTVスイッチを入れました。

「ゲンジ通信あげだま」の時も「姫ちゃんのリボン」の時も「赤ずきんチャチャ」の時もそうでした。僕が心奪われる作品というのは、いつも放送終了間際なのです。

その日のウテナは、全39話中、第30話あたりでした。登場したのは、婚約相手のある年上の男性に、いけないと思いながらも心ひかれていく、主人公のりりしい少女。
その気持ちを弄ぶように、その男性が少女に誘惑をかけると、その度に燭台に乗った3本のローソクが唐突に画面に現れ、その火が一つづつ消えていきます。
それは少女の心理描写。いけない恋に心が揺れるさま。作中、少女は何度も「いけない、ボクが好きなのは、記憶の中の王子様なんだ」と自分につぶやきますが、ローソクの炎は揺らぎ続けます。
でも、頬をそめたり、言い寄られて唇を奪われたり、その男性の婚約相手が現れたり、その度ごとの少女の仕種は彼女の揺れる心を十分に表現していました。ここに疑問が。丁寧なその表現は十分過ぎるほど揺れる心を伝えて来るのに、これ以上、何故ローソクの表現が必要なのでしょう?

少女がその男性の止っている車の中で押し倒され、ゆっくりと唇を奪われるシーン。ローソクの火が、一つ消えます。その車の向こうの夕日に包まれた校舎の陰に、燭台を持った眼鏡の少女が立っていて、じっと二人を見ています。眼鏡の少女はその男性の妹で、主人公の少女とベッドを並べて同じ寮の部屋に眠る親友。そしてローソクの表現は、主人公の揺れる心を見つめている「観察者」の存在を現していたのです。
その少女は、自分が観察者であることを当然のように隠しながら主人公に接していて、純真な主人公はそんな彼女を疑おうともしません。

当事者の主人公ではなく、見ているものだけが感じる緊張感。視聴者と、観察者である親友の少女の視点が一体化します。そして突然画面が変り、夕日の作る影が校舎に映る、別の二人の少女による影絵劇が始まるのです。
能天気な語り口とは裏腹に、劇の内容ははなはだ暗示的で、ストーリーの裏に流れる製作者の「このアニメから一瞬足りとも目を離すな」という挑戦の意志が伝わってきます。
誰が、誰をだましているのか。作り手は視聴者の心理をどこまで計算しているのか。どうしてこんなに、見ていて切ないのか。

最後に一つ残ったローソクの火が、一際大きく揺らめいて「あ、消える!」と思った瞬間、この日の放送分は終わりました。もちろん、僕はこのアニメのトリコになっていました。

そしてクリスマス。最終回のエンディングを見終わった僕は、しばらくそのまま余韻に浸っていました。ラスト10回分しか見られなかったので、どこまで理解出来ていたのかは解らなかったんですが、それでも、ラストの希望に満ちたシーンは、僕に深い感動を与えてくれました。
TVはいくつかおもちゃのCMを流し、そしていつもの「少女革命ウテナ/おわり」と出る5秒ほどの静止画が−−−そこに表示されたのは、「この薔薇が、あなたに届きますように。スタッフ一同」という、飾られた文字でした。
「薔薇」とは、この作品の含んでいたテーマか、それとも作中語られた「気高き思い」か?このメッセージは、僕みたいにぼんやりしていた人か、次の番組(「トランスフォーマー・ビーストウォーズ」)を続けて見ようと思っていた人じゃなければ見ることは出来なかったはず。
やはりこの作品は、作り手が意図的に何かを仕組んだ作品だったのです。ちょうどクリスマス・イヴに、僕らに「薔薇」をプレゼントしてくれたのです。

次回以降の更新では、僕なりに考えたその「薔薇」について論じていきたいと思っています。


考察1・少女と薔薇 (8月20日)

考察2・永遠、奇跡、輝くもの、世界を革命する力 (9月1日)

特別考察・ある小学校教諭について (9月2日)

考察3・ウテナまわり道 (9月4日)

考察4・革命された世界 (9月5日)

考察5・オープニング解析 (9月16日)

考察6・天上ウテナ (1月12日)


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