「少女革命ウテナ」という作品を論じるに当たって最大の焦点となるのは、その難解な表現の解釈です。
この作品を見ていて、美少年や美少女たちの躍動するアクションアニメとして楽しみながらも、一見物語と関係なさそうに画面に現れるいくつもの意味不明の記号に首をかしげ、次第に製作者の意図を読み取ることを放棄していったという方は、結構いらっしゃるのではないでしょうか。
主要登場人物が現れる度に画面の四隅で回る「薔薇の紋章」や、学校の噂や世間話という形をとりながら物語の主題を鋭く隠喩する「影絵少女」、学校の裏庭にそびえたつ白亜の塔とその最上部に作られた決闘広場、決闘広場のさらに上空に浮かぶ蜃気楼の城、意味のある場所にも無意味な場所にもシグナル音とともに現れる「ゆびさし記号」、そして物語の結末に近づいた頃に現れた世界の果ての乗り物「赤いオープンカー」などなど。
「少女革命ウテナ」の魅力の一つはこれらの奇抜な演出にあるわけですが、他のアニメでは見かけることのなかったこれらの演出を、ただ「なんか面白い」と思うだけでは、あまりにも勿体無いというものです。それぞれの演出が、それぞれの使われているシーンで、いったいどんな意味を持っているのか、なぜそんな表現が使われているのか。それがわかるようになってくると、うわべの面白さに包み隠されたこの作品の深いところにある別の面白味やメッセージ性が楽しめるようになります。
ただ、これらの奇妙な表現群を理解するためには、最低限認識していなければならない事があります。
それは、「作品を鑑賞することは、製作者との対話である」ということです。作品を見ながら、作り手の意図を感じようとする意志です。優れた送り手は作品からどんどん自分の匂いを消してしまいますが、それを見極め嗅ぎ当てるような受け手の技能、才能、そのための努力。よりその作品を楽しもうという気持ちから生まれる、自然な受け手と送り手のやりとりが、この作品が隠し持つ「薔薇」をあなたに届けてくれるのです。

例えば、ぐるぐる回る「薔薇の紋章」は、はじめのうちは繊細なデザインの登場キャラクターたちを飾るように、画面の隅に表示されていました。ところが、話が進むにつれて、「薔薇の紋章」は華やかなキャラクターの引き立て役ではなく、彼女らの行動を隠す役割を持つようになります。
二話に一度程の割合でクライマックスに登場する決闘シーン。お互いに胸に挿した薔薇の花びらを先に散らされた方が負けというルールで、主人公「天上ウテナ」は、所有する「薔薇の花嫁」こと「姫宮アンシー」という少女を賭けて、選ばれたデュエリスト達と戦います。相手は剣道部主将やフェンシング部のホープなど、剣を扱うことにかけてはウテナより一枚も二枚も上手な強敵です。しかし劣勢に立たされたウテナが、勇気を振り絞って最後の一撃を繰り出す時に、決闘広場の上空に浮かぶ「ディオスの城」から王子様の姿をしたディオスと呼ばれる少年が舞い下り、ウテナに力を与えます。その時、ディオスがウテナに重なった瞬間、突如画面には回転する「薔薇の紋章」が現れ、視聴者から二人の姿を隠してしまいます。次の瞬間に、ディオスの力を全身に宿したウテナが鋭い姿勢で飛び出し、決闘相手の胸の薔薇を散らしているのです。
薔薇で隠されていた一瞬の間に、ウテナとディオスの間には何があったのでしょう?おそらくは、ディオスの意志がウテナに宿ったという表現として、ディオスがウテナに乗り移るという「絵」がそこには描かれていたのでしょう。はっきり描いてしまえば、他愛の無いアニメにありがちな表現です。しかし、ウテナの演出家はそれを隠したのです。薔薇の花の紋章で。隠さなければ、「人の精神が他人に乗り移る」なんてデタラメを平気で使うようなただのお子様向けアニメです。しかし隠すことで、そこには「少年と少女が薔薇の花びらの向こうで一体化する」という、なんとも淫靡な香りの漂う表現になってしまうのです。
このシーンは、30分のアニメの中にほんの一秒ほど挿入されているに過ぎませんが、送り手が「このアニメは、ここまでやるんだ」と僕らに伝えるには十分な効果になっています。

この「薔薇の紋章」は、アニメの登場人物達には知覚されていません。作中の構図等に関係なく、画面の一番手前に現れます。
普通、アニメの製作者は、アニメのキャラクターや物語を通して僕ら視聴者に何かを訴えかけようとしますが、「薔薇の紋章」という演出は、製作者が僕らに直接何かを伝えようとする効果を持っています。ウテナとディオスが一体化するシーンを隠したのは、作中人物の意図ではなく、製作者の意図なのです。
こんなにも分かり易く、製作者が僕らの前に姿を現してくれるのですから、その意図を読み込まないのは失礼とさえいえると、僕は考えます。
薔薇の花によって華やかに飾られ、同時に薔薇の花によって隠される少女、ウテナ。

彼女は、幼い頃、両親を同時に失い深い悲しみに沈んでいる時に、白馬の王子様と出会ったという記憶を持っています。王子様は幼いウテナを薔薇の香りで包み込むと、そっと涙をぬぐってキスをしてくれました。「たった一人で悲しみに耐える君・・・・・・。その強さ、気高さを決していつまでも忘れないで」そしていつの日か再会することを約束して、薔薇の紋章の入った指輪をくれたのです。
ところがそれ以来、ウテナは王子様に憧れるあまり、自分も王子様になる決意をしてしまいました。
ウテナの気高い精神は、この幼い日の王子様との約束を守り続けることで作られました。その気高さの象徴として彼女とともに薔薇がある限り、自分がお姫様になることが出来ないということに、その悲劇性に、ウテナは気が付いていません。王子様と再会出来るのは「お姫様」であって、王子様が二人出会ってしまったら、戦わなければならないということにも。

一見、不思議な(というより奇妙な)少女・姫宮アンシーとの共同生活の始まりや、普通の学園生活が描かれているだけで表立っては出てきませんが、ここに挙げたようなこの作品が内包している悲劇性は、第二話までの時点で、既に読みとることがで来ます。
そして、それを意識してみることで、なぜかウテナ本人ではなく、今度は姫宮アンシーという少女の持つ謎への、回答が示されて来るのです。
彼女の正体はなんなのか。アンシーは、自分を「薔薇の花嫁」であるとして、決闘の勝者に絶対服従をします。ウテナのことを「ウテナ様」と呼び、掃除洗濯をかいがいしく行い、決闘広場に立つりりしいウテナに寄り添って剣を差し出します。アンシーは、お姫様なのです。そしてウテナはアンシーの元に現れた王子様。
アンシーといることで、ウテナは王子様になります。王子様に憧れるのではなく、守るべきお姫様を持つことで、ウテナは過去の束縛から解かれ、王子様でいられるわけです。この辺が、ただ男装の麗人がカッコ良く飛び回るだけのアニメではありません。
すると、第三話で学園の生徒会長「桐生冬芽」が現れ、ウテナは彼に昔見た王子様の面影を見てしまい、今度はお姫様としてのウテナの物語が進んでしまいます。でも、ウテナがお姫様になってしまっては、今度はアンシーの立場がおかしな事になってしまいます。「お姫様」では「お姫様」を守ることは出来ないはずです。
上辺では、何の問題も無く物語が進んでいるのに、一歩踏み込んだ見方をしていると、この作品は常に「物語」という枠組みが崩壊してしまうラインのスレスレで展開していることがわかるのです。

さらにこの先、ウテナとアンシーは、物語の構造としての「乗っ取り」の意味を持つ「別の王子様とお姫様」のカップルとも戦うことになっていきます。そしてその戦いを通して、「王子様とお姫様」の関係には様々なバリエーションがある事を僕らは見ていきます。その中で、「王子様とお姫様」の間で揺れるウテナと「絶対のお姫様」であるアンシーという、「予定調和の物語の構図」としては絶対にありえないはずの二人のカップルが、ついに新しい物語の世界を紡ぎ出せたということ、薔薇の花に隠されることで守られていたウテナという少女が、その結果物語としての歪みを一身に受け、最後には作品世界からはじき出されて消えてしまってまでも僕らに伝えてくれた、新しい物語の希望。
ただぼんやりと眺めていたのでは掴みづらい最終回間際の展開は、第一話からしっかりと送り手のメッセージを受け取りながら見ていくことで、はっきりとその奇跡の意味を伝えてくれるのです。

次回以降の更新でも、「少女革命ウテナ」の読み取り方の考察や、もっと気楽な楽しみ方の話を続けていきたいと思っています。僕なんかより「ウテナ」の理解の深い方にはただの雑文に過ぎなかったと思いますが、まずは多くの皆さんがご自分の言葉で難解な物語である「ウテナ」を理解出来る手助けをしたいと思い、この項を書きました。
この薔薇が、あなたに届きますように。


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