「少女革命ウテナ」という作品を語る上で、その強烈なビジュアルイメージを無視するわけにはいきません。
その中でも最初に僕たちの目に入るTV版のオープニングについて、それでは簡単に絵解きをしていきたいと思います。

まず最初、一つの薔薇の花の中で、ウテナとアンシーのシルエットが一緒に眠っています。これは、二人がもともと同じ存在であるということを表しているのかもしれません。ウテナもアンシーも、作中ではそれぞれの棺桶の中に閉じこもっていました。そして、二人の顔が近づき、次の瞬間薔薇は二つに分かれます。二人は、同じ薔薇の棺桶に眠りながら、「王子様」と「お姫様」という、異なる道を選ぶことになるのです。この時点で、作品の終盤で明らかになる事実、「二人は昔一度だけ出会っていた」ということが実はすでに明かされていたのでした。薔薇の花嫁として苦しむアンシーを見た事が、ウテナに王子様になろうとする意志を与えたわけですから。
もう一度二人は吐息がふれあうほど近づき、今度は背中合わせに寄り添います。これは、学園で出会った二人が、エンゲージをしている状態を表しているようにも見えます。寄り添っているけれども、実は心は向かい合っていないという関係です。そして、絡められていた二人の手が引き離され、タイトルの「少女革命ウテナ」という文字がその暗闇から浮かび上がります。もちろん、このシーンのウテナの指には、薔薇の刻印がちゃんとはめられています。
そして、ウテナは男子生徒に混じり、アンシーは女生徒に混じって、学校に登校するシーン。二人はそれぞれアップで振り向いて明確な「顔見せ」をします。そして、閉ざされた学園の奥にある、鳥かごのようなデザインの薔薇の温室で二人は出会い、落葉の敷き詰められた校庭で、寝そべって、微笑みあいます。
この一連の流れは、ウテナとアンシーを取り巻く状況と、お互いの普段の関係を解説しています。こうして二人でまどろんでいる限りは、彼女らはただの友達なのです。しかし、アンシーの差し出した白い薔薇をウテナが受け取った時、ウテナのガクランは決闘服に、アンシーは薔薇の花嫁に姿を変え、そびえたつ決闘広場と天空に輝くディオスの城が姿を現すのです。薔薇は、「気高い思い」の証であり、決闘者となるための切符なのです。

ウテナは鋭い踏み込みで、ディオスの剣を振るいます。その先にいるのは、ウテナが戦っていくライバルたちです。西園寺、樹璃、ミッキー、七実、冬芽と、物語を彩る個性的なキャラクター達が見栄を切ります。彼らは、敵でありながら、ウテナとアンシーに成長を促してくれた友でもあります。そしてその戦いの果てに、雄々しく剣を構えるウテナと厳しい表情をしたアンシーの足元、決闘広場が崩壊し、その中から二頭の馬が現れて、ディオスは目を覚まします。作中、決闘広場は2度にわたって崩壊しますが、それも、オープニングの時点ですでに語られているわけです。また、それこそが、ディオス、つまり気高い意志を持った本当の王子様が目覚める鍵になっていることも、ここに暗示されています。
ここから、思わぬ展開が発生します。
ウテナは黒い甲冑を着て白馬に、そしてアンシーは赤い甲冑に身を包んで黒馬に跨り、長槍を手にして、お互いに激しくにらみ合いながら対峙するのです。まるで、お互いを憎みあっているかのごとく。アンシーは、作中の大人しさなどなかったかのように、強く手綱を引き絞って馬を操っています。おりしも、バックの主題歌は、最も盛り上がっている部分です。そのまま二人は牽制し合うようにしながら宙を駆け、そこに永遠があるという、天空の城に飛び込んでいきます。
このウテナとアンシーの戦い、それは、アンシーから観たこの作品の物語です。物語の最も終盤で明かされるように、アンシーはウテナを蔑み、本当は憎んですらいたのですから。ウテナは、自分から王子様を奪いに来たもう一人のお姫様でもあり、兄の暁生が王子様でいる限りは偽者の王子様でしかないのであり、しかしながら、ウテナはアンシーを救う本当の王子様でもありました。この複雑にもつれ合った感情と事実。果ての無い争い。人間誰もが多かれ少なかれ持っている葛藤。アンシーの存在こそが、この作品のもつ人類普遍の命題を僕らに提示しているということが分かります。
そして最後に、TV版のラストと同じように、ウテナとアンシーはもう一度引き裂かれます。このシーンで画面から落下してしまうのは、なんとアンシーではなくウテナです。ウテナは、また薔薇の棺桶の中で、眠りについてしまいます。アンシーは、もうそこにはいません。これはまさに、TV版最終回の、ウテナの側の物語。

この作品のオープニングは、最近のアニメにしては珍しく、全39話の間変わりませんでしたから、なんと第一話が放送された時点で、この物語の大まかな流れと、最後にたどり着く結末の一端が語られていたというわけです。さらに、二人が馬で走るシーンなどは、劇場版の「ウテナ・カー」のシーンとの類似性すら感じてしまいます。
もちろん、劇場版まで計算してこのオープニングが作られていたはずは、さすがにありませんが、この「少女革命ウテナ」という作品が明確な主題を最初から持っていて、それを方向性の定まった方法で僕らに見せてくれているからこそ、2年以上も経ってから作られた劇場版ともリンク出来てしまうのでしょう。
そして、そこで扱われている主題は、人類にとって永遠普遍の、大切なものです。

今回は、この作品が、作品全体をきちんと見渡せる才能の在る集団が作り上げた、極上のアニメであることが、オープニングを観るだけでもわかるというお話でした。


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