つくも神というのは、平たく言えば「勿体無いお化け」のことです。物を粗末にすると現れます。
妖怪というのは、時代が変ると、その姿や本質を変化させてしまったり、消えてしまったりするものが多いのですが、つくも神は、その最初の発生以来、それほどその姿や本質を変えないで生き延びてきた妖怪であると思います。

つくも神の発生は、大体、日本の歴史の中でも「輸送」や「生産」や「商売」といった経済観念が著しく発達を始めた平安時代初期あたりであると考えられます。
当時の日本人のうち、都以外の土地に住む人々は、鎌倉時代が始まるころまで、縄文時代と大差無いような竪穴式住居に住み、生活の質もそれほど劇的な変化は無い日常を送っていたはずなので、この妖怪とはまず無縁だったはずです。(このあたり、この時代の都以外の土地に住む日本人の資料がほとんど残っていないために、推測の域は出ないことをご了承ください。)
この妖怪は、都で発生します。地方からの税の納入によって、富が都に偏り、財を持つものが生まれ、欲が加速し、そして都の人々は道具を使い捨てるようになります。
裸の木目が見える器より、舶来の呉器。普段履くボロ草履と、希に宮中に出仕するために履くきれいな草履。隣人より優れた道具を使う優越感。他人の美しい持ち物や衣装と比べられて、胸に湧き上がる羞恥と屈辱。当時の都から出ていた廃棄物を調べることが出来ないので、どんなものがどのように消費されたかはっきりとはわかりませんが、贅沢とは無駄をすること、いくらかのものが、使えるうちから捨てられる、もしくは使われなくなるということになりました。

物には「精」というものがあると人間は考えます。非科学的な事を言っているわけではありません。使っている道具に愛着が湧くとか、そういう意味の言葉です。
使えなくなった道具は、持っていてもただのゴミですから、捨てます。当然です。役に立たないものを持っていても無駄です。そんなことをするのはよっぽど余裕のある人だけです。しかし、使えるものはとことんまで使います。何故なら、この時代までの「道具」のほとんどは、生業に直接関係するものだったわけで、使えるものを捨ててしまうのは、勿体無いですよね。勿体無い以前に、そもそも、使えなくなる前にその道具を捨ててしまうなんてことは、それまでに誰も経験したことがありませんでした。この時代の、それまでになかったような大きな富の偏りが引き起こした、日本人にとって初めての、未知の経験なんです。
初めてのことは、わからない。だから、恐いです。そして人が恐れを抱いた所に、妖怪は現れます。

物を粗末にすることで、逆に人間はその粗末に扱われた物の気持ちを想像して、それを恐れます。これは罪悪感の妖怪なんです。
罪悪感は、僕らの心の中だけに発生するものなので、例え核兵器をもってしても消してしまうことは出来ません。一度発生したその妖怪は、経済の拡大によって次第に日本中に広まっていき、そして今日、僕らの心の中にも住み着いています。
『付喪神絵巻』という書に、「器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑かす」とあります。僕らは一つの道具を百年も使いませんから、ならばつくも神には出会わないで済むかというのは早合点、この「百年」というのは、その道具が使えなくなる直前までを表す言葉なので、現代の電化製品あたりは、五年ほどでつくも神になってしまうわけです。現代に生きる僕らのまわりはつくも神で溢れ返っていて、その数はあまりに多く、僕らはそれらをまとめて「環境破壊」とか「地球汚染」とかいう言葉で呼ぶようになりました。
環境問題は、僕らの罪悪感の塊です。だから、身の回りにはっきりとした徴候が出ていなくても、僕らには罪の意識があるわけです。


・・・・・・間抜けなことに、書いているうちに論旨がばらばらになってきてしまいました。自分でも苦笑しています。ここからまとめようと思っても、「物を大切にしよう」なんて説教話なんかでオチを付けたくはありませんし、かといって、目のさめるようなつくも神の新解釈がご披露出来るわけでもありません。つくも神に関する細かな話なんかはまだまだあるのですが、実例を挙げようと思ったらほとんどの出典の名前を忘れてしまってきちんと語ることが出来ません。「精」の話も、ネタを振りはしたものの、着陸点がありません。
「ならば書き直せばよいではないか」ごもっともでございますが、これほど明確な失敗論、かえって公開して皆さんに見ていただいてしまうことで、僕がいかにいいかげんな人間であるかということを知ってもらうのと同時に、もうこんなみっともないものを皆さんにはお見せすまいぞという反面教師的事例として、常に僕の目に付くHPの片隅に残しておきたいと思うのです。
なんともしょうも無い文章を読ませてしまって申し訳ありません。まあ、こういう心の痛むようなサーバー容量の無駄使い、まさにこのHPにも、つくも神が宿ったというわけであります。この古き妖怪も、現代社会においてこうやって「行動の動機付け」という役割を果たすことで、立派に存在価値があり続けているわけですね。


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