2009年9月号 第283号

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フィレンツェからのお参詣

フィレンツェ別院からの報告
ダニエッレ良誓師、ティッチアーノ・ガレオッティ博士
来寺!!

●去る8月26日(水)、 odousi-photo 婦人総講に合わせてフィレンツェ別院からダニエッレ良誓師とティッチアーノ・ガレオッティ博士説明: 説明: 説明: 004が来寺。すでにローマから来日しているマッシー・ミリアーノ氏と合わせて3氏からイタリアにおける御弘通の現況報告をマッシーの妻でもある麻樹さんに通訳していただき、拝聴させていただきました。

●3氏の豊かな経験と知識、深い洞察から話されることは、いまだイタリアの地を踏んでいない私たちにとっては、想像を掻き立てられる刺激と感動に富んだとても有意義な時間でした。

キリスト教と法華経との相違点

●ダニエッレ良誓師は神父を志して神学を6年間学びましたが、カソリックの教えの限界を感じて仏教徒になり、ついに仏教の中でも真実経である法華経、その中でも日蓮聖人の教えを正しく継承している本門佛立宗に入信。 その後、人生を佛立宗の教えに捧げるために出家・得度し、現在はフィレンツェに「香風寺別院」を構えて御弘通に気張られています。 odousi-photo

●今回のお話の中で良誓師は、キリスト教と法華経の教えの違いをいくつか述べられました。キリスト教では「神」と「人間」との間には絶対の越えられない境界線があり、いくら人間が教えに従っても「神」の位置には達することは不可能。 しかし、法華経では私たち「人間」は「仏」の中にいると同時に、私たちの中にも「仏」がいるという「十界互具」の教えが説かれていて、私たちも心を磨くことによって「仏」の境涯を顕していくことが可能であること。であるから、決して限られた人だけが救われるのではなく、誰もが上行所伝の御題目を唱えることによって仏になることができる。これは救いの力がキリスト教よりも法華経の方が圧倒的に勝れている点の一つとして挙げられることを述べられました。

三祖一轍(いってつ)の信心

●また、法華経が勝れているといっても、法華経を拠りどころとする宗派(日蓮系)は数多くありますが、佛立宗以外の宗派は仏さま・日蓮聖人の教えの通りに説いてはくれません。たとえば創価学会などは本当に人のために祈らない。逆に人の不幸を願うような祈り方もするそうです。
 また、「洗脳」による布教活動あるいは政治的運動などもあって、正しい教えを受け継いでいるとはいえません。日蓮宗などは「修行」というものがない、肝心の御題目口唱行がないことは致命的です。あってもせいぜい数編で、法華経の読誦(お経を読むこと)が主になっています。これは日蓮聖人の説かれた教えに明らかに背いています。
 日蓮聖人が著された『如説修行抄』『四信五品抄』『観心本尊抄』を拝見すれば、御題目口唱こそが今日末法(仏さまがご入滅されてから二五〇〇年経つ今の時代)における肝心の修行であることがわかるはずだと力説されていました。

●久遠の本仏から勅命を受けて末法にお出ましになられた日蓮聖人の教えを正しく受け継がれた方は日隆聖人、日扇聖人である、と「三祖一轍」(さんそいってつ)の信心を強調されていました。
 また、このたび京都で日扇聖人の足跡を辿り、「日扇聖人のご苦労を偲ばせていただいたことを嬉しく思います。日扇聖人も一人の人間としてたくさんの苦しみ、悩みがあったと思う。特に子供を喪った悲しみはいかばかりであっろうか・・・。それらの苦しみ悩みを御弘通の力に変えて、私たちのために御題目を遺されたことに深く感謝している。」ということも述べられました。

衆生と仏の関係を医学の現場に

●ティッチアーノ・ガレオッティ博士は、耳鼻咽喉科と小児科医をしながら、フィレンツェ別院の事務局長の御奉公をされています。とても気さくで優しく、子供たちに大人気のご信者です。
 彼は良誓師よりもずっと前から、カソリックが嫌いだったそうです。「もし、神様が私たち人間を造られたとしたならば、どうして苦しみ、悩みまで作られたのか・・・?」この言葉はよく耳にしますが、ティッチアーノ氏がこの言葉を述べるその声を耳にした時、小生は「佛立宗に出会うまでのティッチアーノ氏の苦しみ」は想像以上のものであったことが伝わってきました。
 仏教では「人間が苦しむのは、自分が過去において行ってきたことが、現在の我が身に起こっている」という因果の道理を説くということに共鳴納得して仏教徒になり佛立宗に出会い、現在に至っているそうです。

青少年の一座に参加して

●彼らの今回の来日理由は、博多で開催された「第三回 青少年の一座」に出席するためでした。小生は参加できませんでしたが、本当に素晴らしい一座だったようです。

●彼らが今回「青少年の一座」に出席して何を思ったかの質問に「まず、この一座を開催するに当たって、多くの苦労があったことと思います。また、お歳を召した方、すでにお亡くなりになった方などの気持ち、思いが、すべてこの大会に込められていたと思います。本当に随喜させていただきました。また、たくさんのご信者、世界各国の教務とご信者に出会えたこと、皆がとても親切で礼儀正しいことに感動しました。将来の日本の佛立宗が頼もしいです!!この感動を是非イタリアのご信者に伝えたい!!」と述べておられました。

未来へのまなざし

●最後に、こう締めくくられました。 「最初は5人だけでスタートしたイタリア信徒は、現在、ローマ、バレーゼ、ジェノヴァ、ピサ、レッツエ、フィレンツエなどイタリアの主要な都市に確実に拡がっています。毎週土日は各地に赴き御講を奉修し、指導しております。そのような中で、各地で生まれた子供たちには、まず親会場にお参りしていただき、上行所伝の御題目との「つながり」を心から祈っております。そして思うことは15年後には彼らが立派な青年となって、この教えを受け継ぎ、弘めていってくれる。そう思うと喜びでいっぱいになります。」と。

●生まれてきた子供たちを、ご信者全員で「未来の宝」として見つめてくれるイタリア信徒みなさんの温かさが伝わってきました。子供しか未来を生きることはできません。私たちも香風寺の「未来の宝」として子供たちを温かく見守っていきましょう。

来月はイタリア団参

●彼らのお話はすべて、あるべき基本を再確認しつつ、私たちのご奉公に当てはめ、応用させていただかないと「もったいない」内容ばかりぢた。

●イタリア全土において御弘通の最前線に立たれている方から現実に日々、どの様なご奉公を、どのようなレベルで展開されているのかを直接聞くにつれ、佛立新聞などのメディアを通して知るというのとでは大きな差異があることに気付かされます。

●現地であるイタリアに足を踏み入れれば、さらに大きく「ご信心の歓び」を感得することができるのでしょう。「話を聞くことと、現地で体感することはまるで異なる」という当たり前に見えて、ついうっかり忘れそうになる事実。

●やはり、現地・現場にいってこそ、真実がみえてくる、体感できる、というものではないでしょうか。

●ヴァレンティーニ氏は、毎年日本に来ているが、「来るたびに新しい発見ができて嬉しい。」と語っていました。ちなみに「焼肉が日本料理ではなく韓国料理だったということも、今年初めてわかった。」とも述べられ、すかさず御導師から「どちらでもいいやんか」とコメントされましたが、マッシー氏の日本への興味と知識は加速度的に深まっています。やはり現地に赴くことが一番です。

●来月は香風寺のイタリア団参があります。お楽しみに!!

●イタリアでの御弘通発展を心より祈念申し上げます。


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