2013年5月号 第327号

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良 鳳 の 虫 メ ガ ネ 良 鳳 の

―― 本物が持つ力(ちから) ――

■先月末には門祖日隆聖人550回御遠諱の記念大法要が本山で奉修され、香風寺からも44名がお参詣させていただき、福岡日雙導師の御法門を聴聞させていただきました。

■この御法門は世界各国のご信者さんたちのために、宗門初のライブ(同時中継)で世界各国に配信されました。

■この中継によって外国の方たちも参詣可能になったということはとても素晴らしいことだと思いますが、国内で、しかも関西という近距離で中継・参詣可能になったことに対しては日蓮聖人以来の「お参詣」の意味を失わないように気をつけなくてはなりません。

■パソコンでの「情報」としての参詣、あるいは本山を「希少価値」とする参詣にならないようにしたいものです。

■昨年から今年1月にかけて神戸市立美術館で開催されたフェルメール展。行かれた方もいらっしやるのではないでしようか。彼の作品を代表する「真珠の耳飾りの少女」は圧倒されます。フェルメールブルーと語り伝えられているウルトラマリンの顔料を使ったあの色に、鑑賞に訪れた人たちは心を奪われ立ち止まってしまいます。

■フェルメールだけでなく、絵などを鑑賞するという場合は、実際に美術館へ行きますと、絵の具や画材の質感など、作品が持っている力に圧倒されると思います。

■パソコンで写真を見たり、テレビなどで収録されたモノでは、その質感などを感じにくいところがあります。実際「真珠の耳飾りの少女」は市バスの後全面にペイントされていましたが、目の前にバスが止まっていても何とも思いませんでした。電車の中にも沢山の写真かぶら下がっていましたが、心には響きませんでした。

■テレビでいくら解説されていても、それは単に、線の形や色彩、配置など「情報」として受け取ってしまいがちです。

■芸術作品を単なる情報として見てしまうと、例えばゴッホの絵が百億円くらいするのに、まったく同じように見える精巧な複製品がせいぜい十万円だったりすることが理解できなくなります。本物と複製品の価値観が同じになってしまうのです。

■でも、本物と複製品はそれくらい違うものなのです。

■それは「本物は世界にたった一つしかないから」という希少価値だからではありません。

■本物が持つ力なのです。

■そんな違いはわからないという人もいるかもしれませんが、あのバスの後ろに大きくペイントされた「真珠の耳飾りの少女」を思い出してください。見た目は同じでも、まったく違うことに気づくはずです。

■お参詣、御法門聴聞も同じ道理です。

■こういう時代だからこそ、僕は携帯電話を捨てました。

■かつて寺山修司は「書を捨てよ、町へ出よう」と言いました。

■携帯、パソコンを捨ててお寺へ行こう!とは言い過ぎかもしれませんが、本物の信心を求めるお互いは、情報としてとか希少価値とかそういうのではなく、古(いにしえ)のまま、祖師にお会いするために足を使ってのお参詣を心がけましょう。
御教歌
  信行は足にまかせて参詣し
    口にまかせて南無妙法蓮華経


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