2013年6月号 第328号
■先月「ケイタイを捨てた」宣言をしましたら、大勢の方から「本当に捨てたの?」とか「やっぱり・・・」とか、「美穂さんが苦労するだけだ」とか、どちらかというと批判的なお言葉を頂戴しましたが、でも僕はこれからも持つつもりはありません。
■こういう時代だからこそ「ケイタイよ、さらば」でいこうと思います。
■以前テレビで、名前は失念しましたが宮内庁御用達の「すし職人」さんを取材していたのを思い出しました。
■あのオテル・ド・ミクニの三国シェフが「敵わない唯一の職人」と絶賛する板さんです。
■彼のこだわりは包丁で、よく研がれた和包丁でないと刺身は美味しくならないそうです。
■肌理(きめ)の細かい刃で切った刺身だからこそ、刺身の切り口も肌理が細やかになり、醤油がほどよく乗るのだそうです。
■ところが最近の和包丁は錆びないように合金でできていますから、あまり研がなくてもいいのですが、やはり刺身と醤油の相性がよくなりません。
■本当の和包丁は、レモンなんか切ったら十分間で錆び始めてくる。だから料理人は石灰を溶いたアルカリ性の強い水につけて錆びないようにしているのだそうです。
■時代が「いかに早く」「いかに沢山に」「いかに儲けるか」といった資本主義にどっぷりと浸かってしまった故に、料理人の「時間をかけて包丁を研ぐ」といったことを忘れてしまったようですね・・・。と彼は言っていました。
■その彼を批判して、目の前から姿を消した弟子が独立し、一時は飛ぶ鳥を落とす勢いで繁盛したのですが、力尽きてしまい、料理の世界から身を引く前に再びかつての師であった彼の店に足を運んだことがあったそうです。
■黙って目の前に出された刺身を口に入れた途端・・・。
■失ってしまったのは「金」ではなく料理人の「魂」であることを思い知らされて涙がとまらなかったそうです。
■刺身に醤油とわさびがどうまとわりつくかが勝負と言われ続けて包丁を研いでいた毎日が如何に大切であったかを思い知った瞬間でした。
■「いかに早く」「いかに沢山を」「大勢の人に」というのがどれだけ意味のないことだったのか。それで稼いだ金は結局どこへ行ってしまったのか・・・。
■一流の職人と言われてもお店を拡張するわけでもなく、80才近くなっても10代の頃と変わりなく包丁を研ぎ続けている彼の姿には、さすが宮内庁御用達という信頼と安心に満ちていました。
■私たちの御信心も同じではないでしょうか。
■現代のツールを最大に利用して、いかにタイムリーに、いかに多くの人に、あるいは何時でも何処でもという便利性が、どれだけ「今」を失いつつあるか。どれだけ「ここ」を失いつつあるか・・・。
■お参詣という「功徳」はパソコンの「入力」や「受信」で得られるものではなく、御法門も「情報」として受け止められるものではないと思うのです。やはり時間をかけて・・・。
■といくら言っても、ケイタイもろくに使えなかった僕が言っては説得力に欠けてしまいます。単なる「機械音痴の独り言」になってしまうのでしょう。