2014年4月号 第338号
彼岸会の報告
――「支縁」という生き方――
■毎年の行事ではありますが、数日前から彼岸会の「幕」を正面玄関に張り、前を通る方々にもわかるように工夫しております。
■宗外の方々も自由にお参りできるようにというわけではなく、彼岸会を奉修していますので、車等で近所にご迷惑をかけるかもしれませんし、「お彼岸」という日本古来の良き風習を忘れないようにと、この幕を「声なき声」として張っているわけです。
■しかし不思議と、その幕に手を合わせて通る方もいらっしゃいます。これが御題目とのご縁になっていただけたらと思います。
■今年の彼岸会での福岡御導師の御法門は「ご縁」について、さまざまな角度からわかりやすく、かつ楽しくお話しくださいました。
■中でも印象的だったのは、「支援」という言葉を、仏教徒として、佛立信者として、あるいは香風寺信徒としての生き方からみると「ご縁を支える」という意味の「支縁」となるのだということです。
■夫婦の縁、家族の縁、職場の縁、地域の縁など、私たちは実にさまざまなご縁の中で生かされています。それらの縁をこちらからどのように支えていくかを考え工夫しながら生きていくのが佛立信者としての生き方で、そうすると夫婦喧嘩や、家庭内の不和、職場の人間関係なども自然と和らいでいくのだそうです。
■コミュニケーションが大の苦手である私も、これからは「支縁」を意識しつつ、肩の力を抜きながら生きていこうとあらためて思いました。
■香風寺の皆さまとのご縁を支えながら、支えられながら深めていけたら幸せです。
―「縁奏」という生き方―
■そういう意味では「ご縁を奏(かな)でる」という意味で「縁奏(えんそう)」という言葉もいいのではと思いました。
■師匠のマネをして勝手な言葉を作りましたが、香風寺のご信者が奏でる音はどんな音色になるのでしょうか。
■マーチやフーガ、ときにはバラードでもいい。その時々に合ったシンフォニー(交響曲)を最高の音色で奏でていけたらと思います。
■そのためにも、もし、私が肩の力を入れすぎて力んでいましたら「ご住職、もう少し力を抜いて・・・」と、優しい声をかけていただけたら幸甚です