2014年12月号 第346号
お導師からのメッセージ
「須磨には、いとど心づくしの秋風に、海は少し遠けれど、行平の中納言の、関吹き越ゆると言ひけむ浦波、夜々は、げに、いと近く聞こえて、またなく、あはれなるものかは、かかる所の秋なりけり」
これは『源氏物語-須磨の巻』 (紫式部)の一節です。
この文を意訳してみましょう。
「須磨の吹く秋風というものは、ひとしおもの思いにふけらせるものがある。行平の中納言(在原業平)が昔『関吹き越ゆる」と詠んだ須磨の海岸に打ち寄せる波の音は、私が住む処は海岸から少し遠いけれど、それでも間近に聞こえてくるのである。こういう心にしみる秋の風情というものは須磨ならではのものなのである。」
当時(平安時代初期~中期)はこの辺り(香風寺附近)でも静かな夜には須磨海岸に打ち寄せる波音が聞けたのでしょう。
電車や車の走る音にかき消されることなく、聞こえてくる波音に耳を傾けつつ往時の風情を偲ぶ、そんな夜が一年に一度でもあれば、私たちも歌の一句も詠めることでしょうに。
わくらぱに 問う人あらぱ
須磨の浦に
藻塩たれつつ わぶと答えよ
(行平の歌『古今集』)
古は波音渡る
須磨の関
今鳴り響く 妙法の声
(福岡日雙詠める)