2015年3月号 第349号

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お導師からのメッセージ 

odousi-photo  日扇聖人のご生涯とお人柄を語る「その一」
 対談 石川日翠上人、福岡日雙上人

 はじめに

 今月から数回にわたり福岡日雙御導師と名古屋建国寺ご住職、石川日翠御導師による「日扇聖人のご生涯とお人柄を語る」と題する対談をお届します。なをこの対談は先年展転社から刊行された『近代日本の仏教改革改者・日扇』に収録されたものです。

 

 知的宗教遍歴のはてに

福岡 まずお生まれなんだけど、ご誕生は今から百七十二年前の一八一七年、文化十四年。
この文化、文政の時代というのは江戸を中心とした化政文化の栄えた時代で、のちに日扇聖人もその青年期、江戸の文化に浸られる時期があるんやけど、とにかく絶対的な幕藩体制のたががゆがみはじめた時代です。
ちなみに、日扇聖人ご誕生の年、蘭学者の高野長英は十三歳、安政の大獄を起こした井伊直弼は二歳、清水次郎長はこのあと三年後、坂本竜馬と土方歳三は十七年後に生まれているね。

石川 欧米ではどんな人物が同世代だったのかな。

福岡 よくぞ聞いてくださった。日扇聖人がお生まれになった年、ドイツのベートーベンは四十七歳、
アメリカから日本へ黒船に乗ってやってきたペリー提督は二十三歳、奴隷解放のために闘ったリンカーンは八歳、イギリスの看護婦ナイチンゲールが生まれるのは三年あと、
ロシアの文豪トルストイは十一年あと、ドイツの哲学者、ニーチェは二十七年あと、アメリカの発明家エディソンは三十年あとやね。
さて、聖人のご生地はというと、京都は中京区蛸薬師通室町西入ル、現在の誕生寺のあるところ。
ご生家の大路家というのはかなり裕福な旧家であるとともに、書画などの学芸に秀でた人が代々出ているね。
そのへんのところは以前刊行された村上重良先生の『佛立開導長松日扇』(講談社)にくわしいので省略するとして、生家の宗旨なんだけど、浄土宗だったんだろうか。

石川 生家は一応浄土宗だとされているけど、日扇聖人はお母さんのことを、観音菩薩を信じ毎朝法華経の普門品を読んでいたので、自分も憶えていたと記されている。

福岡 だから日扇聖人はご幼少の頃から宗教的、仏教的なものになじんでおられたわけだ。二十六歳のとき、お母さんを失い、その悲しみが出家の道を志す大きなきっかけ、動機になっているだろうけど、しかし、聖人は母を失った悲しみ、無常感からだけで、出家されたわけやない。日扇聖人の出家というのは、日蓮聖人のようにかなり知的なものだったと思う。というのは十七、八歳の頃からすでにかなり精力的に諸宗の教義の勉強を始めておられることからもいえると思う。


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