2015年4月号 第350号

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お導師からのメッセージ 

 日扇聖人のご生涯とお人柄を語る「その二」
 対談 石川日翠上人、福岡日雙上人
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 聖人の血筋

福岡 ところで聖人の生家は町内一の旧家で、しかも聖人は一人息子さんですね。ところが店はお姉さんのうたさんや、その娘婿さんが継ぐことになる。

石川 先ほど話に出たように、お母さんは宗教的なものが強い女性です。が聖人の生家、大路家というのは本屋さんです。(信実伝・壺、日扇聖人全集十巻174頁)代々芸術家肌の人が多く出ている。村上重良先生が、「大路家には、音曲、書画、詩吟と多面的でゆたかな文芸の血が流れており、日扇聖人は早くも幼少のころから、なみなみならぬ学芸の才能をあらわして、周囲をおどろかせた」(『佛立開導長松日扇』講談社)と指摘しておられるように、聖人の非凡の才能を周囲の人たちも認め、学者、芸術家の道を歩ませようとしたのだろうね。

福岡 あの頃の、大阪や京都の商家というのは、息子になにがなんでも跡を継がせなあかんという観念はなかったんやないかな。むしろ娘に養子をもろて、それに継がしたりしたみたいやね。大路家も、日扇聖人のお姉さんのうたが産んだ娘さん、千枝さんが婿に画師の村田香谷という人を迎え、この人が八代目の大路二郎右衛門となって家業を継いでいます。

石川 日扇聖人は経済感覚がなかったから家業を継がれなかったというわけじゃないんだね。経済、商売にたずさわる人のあり方といったものをおしめしになった御教歌や御指南はいっぱいありますから。そういう視点からの経済感覚は非常に強いものをお持ちであった。それは実践的商法感覚というより、いわば「経済」と「倫理」の関係についての関心なんだね。

 開導日扇聖人の書

福岡 ところで、日扇聖人は当時一流の書家でもあられたわけやけど、聖人の書はどういう系統に属するんだろうね。

石川 日隋上人(第三世講有)が「開導日扇聖人の書は蓮唐滝(そう)である」とおっしゃっている。蓮唐滝の蓮は日蓮聖人、唐は中国の古典、滝(そう)は滝本流。滝本流というのは寛永の三筆の一人といわれた昭乗を開祖とする流派で男性的な筆法が特徴です。この三者が一体となっているのが「長松流」、つまり日扇聖人の書風だというわけです。とにかく、ピュア(純粋)な中に男性味を加えたスタイルが長松流の特徴ではなかろうかと僕は思っている。

福岡 僕は宗門三悪筆の一人と自他共に認める人間で、あとの三悪筆が誰であるかは、この際伏せておきますが、どうも書のことになるとようわかれへんのやけど、当時のご信者の中にも聖人の書のすばらしさがわからん人がいたらしいんやね。開導聖人の草書体でサラッと書かれた字を拝見して、「へたくそや」言うたりする人がいた。そのことを伝え聞いた聖人は当時のある幹部さんに、「長松清風先生は十歳ですでに京都で第二の能書とうたわれ、平安人物誌にその名が載ったほどのお方や、とあなたから教えて御上げなさい」といわれている。

石川 やはり見る眼がないんだね。僕の知り合いの書道家に日扇聖人の書を見せたところ大変感銘を受けたといわれてね、それは写真版だったんだけど、聖人の書と自分の日展での特選作品とを交換してくれと頼まれたことがありましたよ。


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