2015年5月号 第351号

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お導師からのメッセージ 

 日扇聖人のご生涯とお人柄を語る「その三」
 対談 石川日翠上人、福岡日雙上人
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 本物の教養人

福岡 開導聖人は当時屈指の教養人であられたわけだけど、いわゆる教養人といっても時代によってかなり教養人の意味あいが異なるでしょう。たとえば平安時代の貴族ですと第一に和歌が詠めること、そして仏教に関する知識を身につけていること。とりわけ当時は「生まれたる稚児も法華経を読む」といわれたほど法華経の教理を学ぶことが必須科目になっていました。『枕草子』の作者、清少納言なども「法華十講」なんていう法華経の勉強会に通っています。時代が下がって江戸末期になると、なにをもって教養とみなされてたんだろうか。

石川 儒教、仏教、それから古今、源氏物語など、いわゆる古典、和歌というところが一般教養だった。で、開導聖人はそれらのどの分野でも一家をなすというふうであられた。

福岡 そのあたりが同じ時期に出た新宗教の教祖と異なるところやね。天理教の中山ミキにしても金光教の川手文治郎にしても、こう言っちゃなんだけど教養人だったとはとても言いがたい。中山ミキの書き残した〝お筆さき〟なんてカナばかりで書かれていて、内容的にもどれも幼稚なものばかりです。そこへいくと日扇聖人は二十代ですでにお公家さん相手に『源氏物語』の講義をなさっていたくらいで、これはちょっと他宗教の教祖とは比較にならない。しかも他の新宗教の教祖に比べると日扇聖人はずっと広い視野を持っておられたというか開明的やね。

石川 当時の他宗教の開祖は欧米の人を毛唐と呼んで嫌ったりしていたが、日扇聖人にはそういう偏見がありません。それから当時の日本人は欧米の文明のうち、技術的なものは積極的に学び、取り込もうとしたが、精神文明は積極的に輸入しようとしなかった。


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