2015年8月号 第354号

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お盆会ご案内

8月15日(土)
第一座 午前 7時開始
第二座 午前10時開始

― 受け容れる準備 -

■今年は終戦七十周年。また安保法案の強行採決ということもあり、戦争や命について考える機会が多くなっております。

■世界のニュースには「いい話だなあ」と思うこともありますが、戦争・紛争・暴動が多くの国で起こっております。

■一つの暴動・紛争が報道されたら、その裏に報道されない三つ以上の暴動・紛争が起きているということは常識だそうです。

■現在、アメリカの特殊部隊は一二〇カ国以上の国で活動を展開しているそうです。報道されているイラクやシリア、エジプトやアフガニスタンだけでなく、実に多くの国でたくさんの命が失われているのです。

■これらの事実を見て、あるいは聞くたびに「そんなことなければいいのに」と多くの人が思っているのに、決して減ることがない。むしろ増えていく一方です。

■しかも、悲観的になって「結局何も変えられないじゃないか」とネガティヴになって、思考停止になっていく人もいます。

■今年の四月から五月にかけてニューヨークの国連本部で開催された核兵器不拡散条約(NPT)でも、見解の相違は解消せず、具体的な課題についても合意できないまま終わってしまったことを見てしまうと、原発にしても核兵器にしても「どうせなくならないし」と諦めがちになってしまいます。

■それでも、個人個人が「いやいや、まだやるべきことはいっぱいある」と気持ちを切り替えたり、やるべきことに気がついたり、ポジティヴに捉えなおしたりするにはどうしたら可能になるのか・・・。

■というと、簡単な方法はありませんが、日蓮聖人は「強い意志が」をまず持つことが大切だと仰せです。そこに、ご縁のある「言葉」などがやってくるわけです。そのわずかな瞬間にふっと気づかされるのだそうです。ですからそのタイミングがずれたりすると、永遠に「気づきの時」はやってきません。

■いい言葉や音楽、たくさんあります。でも、自分の気持ちがそれを受け容れるようになっていなければ入ってきません。

■同じ言葉でも、同じ出会いでも、何かを感じてしっかり生きなければと思っている人でないと、やはり受け容れられないのです。

■そのためには、受け容れるための力が持てるまで、出会いがやってくるまで、「時を待つべし」で、しっかり準備をしながら待つことも大切なのかと考えます。

■ナチスがユダヤ人を大虐殺したときの首謀者は「何も考えなかったからあんなことができたんだ。何も考えないことが恐ろしいことだったのだ」と語っていましたが、その通りだと思います。

■法華経には「悪鬼入其身」とあり、何も考えない、思考停止のその身体の中に鬼は入るのだと仰せです。

■宗教は違いますが、かつてマザーテレサも「愛の反対は憎しみではなく、無関心」と日本人に対してメッセージを伝えていたことを思い出します。

■自分のことや家族のことで精一杯、そうかもしれませんが、この八月のお盆の時期、夏休みのこの時期に、時間の余裕、心の余裕をもう少し持ちながら、世界の平和や命のことを考えてみることも大切なのかもしれません。

■香風寺のお盆会。家族や友人・知人をお誘いいただき、いい出会いと言葉を受け容れる「気づきの時」になれば幸甚です。


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