2015年11月号 第357号

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良 鳳 の 虫 メ ガ ネ 良 鳳 の

 ― 護美箱(ごみばこ)から思うこと ―

■この数年の間に、ゴミ箱が街の中からなくなってきました。危険物等の関係からか、駅のホームでも見当たらない所が増えてきました。

■ゴミ箱かおるからゴミが増えて汚くなる、という理屈らしいのですが、そうではなく処理システムの問題だと思います。自動販売機で飲み物を売れば、空き缶になるのは当たり前のこと。空き缶入れに突き込まれた状態で放置するから汚くなるわけです。要は早め早めの回収です。

■生活していればゴミは出てきてしまうものという現実は否定できません。

■ゴミ箱をいくらなくしても、どこかにゴミは捨てられるわけです。駅前の自転車置き場に置かれた自転車のカゴが空き缶入れになっているのは誰もが知っています。

■今でも国道の中央分離帯には、煙草の吸い殻や空き缶、雑誌などが放置されてあり、それを見ると憂鬱な気分になります。

■以前、京都の鴨川沿いにあったホームレスの家(?)を通りがけに見た時にも、ゴミ箱はきちんと置いてありました。

■ゴミが「出ない」としてしまうところに、いろいろな問題が生まれてくるのでしょう。

■「いじめ」の問題も、「原発」の問題も、「水害」の問題も、「出てしまう」を前提としないから、ひどい結果が生まれてしまうのではないでしょうか。

■人間の身体は動脈だけじゃ成り立ちません。静脈も必要です。老廃物が「出てくる」から腎臓が必要なのです。

■子供の頃、ゴミ箱のことを「護美箱」と書かれたものをよく目にしました。「美しさを護る」とても大切なことだと思います。今の時代だからこそ、必要な発想ではないでしょうか。

■香風寺の庭と同様、多くの方がお参詣する本堂、事務所、階段、トイレ等、自然と汚れてホコリが溜まってくるものですが、「美しさを護る」方たちのお陰で、毎朝気持ちの良い朝を迎えることができます。

■そういえば母が生きていた頃、新聞の広告で小さなゴミ箱を編んでテーブルの上に置いているのをみすぼらしいと思っていた少年時代を思い出しました。スマートなのはいつでも新しいものを身の回りに置くことなのだと勘違いしておりました。

■そうしてそれが物だけならまだしも、人に対しても深く時間をかけて関わっていくことが乏しくなり、それが当たり前のようになった私に、御法様は「教務」という道を授けてくださいました。

■年末の大掃除よりも今の時期の大掃除が、家などを美しく保つ秘訣だそうです。「護美」の輪が大きく拡かっていくことを願いつつ閣筆とさせていただきます。


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