2016年8月号 第366号
― 縁尋機妙、多遇聖因 ―
■7月31日の東京都知事選で、候補者がテレビや新聞に取り上げられていますが、はたして選挙の時に言っていたことと、当選してから言うことが変わる政治家のようにならないでほしいものです。
■その時々で多くの人に受ける言い方に平気で変えてしまっては最も大事な信用を失います。きっと前知事も、またその前の知事も、そういうつもりではなかったけれども、時とともに自分が述べていたことを忘れ、表面の受けだけを狙ってしまった結果、皆から落とされる結果になってしまったのでしょう。
■そういう批判は誰でもできるもので、かくいう私も、御法門などで言っていたことと実際の行動の違いはありますし、会議で述べていたことを平気で引っくり返すような発言をしていないかどうか反省しなくてはなりません。
■ただ、反省することだけは忘れないようにしたいものです。
■「縁尋機妙、多遇聖因」という言葉があります。
■この場合の「縁尋」は、人が縁を尋ねるということだけではなく、縁の方からその人を尋ねてくるという意味があります。
■常に反省を心がけ、自らを正す生き方をしていますと、それが聖因、つまり素晴らしい原因となって、多くの有為な人々との出会い(多遇)がもたらされるということです。
■私たち佛立信者は毎日「無始已来」の御文を御宝前で拝唱します。この御文を拝唱することによって、自分の行いの反省改良を誓うわけですが如何でしょうか?。
■そういう心を込めて無始已来を唱えることが、御利益をいただく第一歩となりますので、是非、心がけてみてください。
■それが聖囚となって、多くの諸仏諸菩薩があなたを尋ねてくるような出会いを確かめることができるでしょう。