2016年9月号 第367号
彼岸会のご案内
9月22日(日)
第一座 午前 7時
第二座 午前10時
ー 生かされている ー
■今年の秋季彼岸会に際し、心にとどめておきたい一文を紹介します。
■小説家の司馬遼太郎さんが亡くなられる七年前に書かれたもので、一九八〇年代に、小学校の教科書に掲載された一文です。氏はこの一文を書き遺すにあたり「長編小説を書くほどのエネルギーがいりました」と述べています。
「21世紀に生きる君たちへ」
「歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。
この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。
人間こそ、いちばんえらい存在だ。という、思いあがった考えが頭をもたげた。
二十世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といっていい。
同時に、人間は決しておろかではない。思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。つまり、私ども人間とは自然の一部にすぎない、という素直な考えである。
(中略)
おそらく、自然に対し、いばりかえっていた時代は、二十一世紀に近づくにつれて、終わっていくにちがいない。
『人間は、自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている。』と、中世の人々は、ヨーロッパにおいても東洋においても、そのようにへりくだって考えていた。
この考えは、近代に入ってゆらいだとはいえ、右に述べたように、近ごろ再び、人間たちはこのよき思想を取りもどしつつあるように思われる。」
■氏が亡くなってからもう20年経つのですが、何度見てもこのメッセージは新鮮で、氏の声が聞こえるような錯覚を覚えます。
■「生かされている」ということ。「自分は自然の一部にすぎない」ということ。家族によって生かされている。地域社会によって生かされている。学校や会社など、かかわるすべての人によって生かされている。
■そんな思いで暮らすことができたら、「無縁社会」などという言葉もなくなるでしょう。
■輝く未来のためにも「縁」を大切にして、生かされていることに感謝しましょう。
■そのためにも、秋の彼岸会にご家族そろってのお参りをおすすめします。
■司馬さんは、このメッセージを次のように締めくくっています。
「君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。
同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない。
私は、君たちの心の中の最も美しいものを見続けながら、以上のことを書いた。
書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。」