2017年8月号 第378号

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お盆会のご案内

8月15日(火)
第一座 午前7時
第二座 午前10時

 ― 「老(お)いる」と
   「老(ふ)ける」は大違い ―

■「老(お)いる」と「老(ふ)ける」は、大違いです。

■「老けていく」とは、気持ちが萎えて(気力を失って)人に無関心、物事に無頓着になり「もう~、だから~」との口ぐせで挑戦を諦め(人生を放棄し)過去のことばかり振り返ってどんどん瞳が濁っていきます。

■そしてだんだん孤独になります。

■「老いていく」とは、年齢を重ねるごとに様々なモノを達観や卒業をして、精神が熟成されていき、人に愛情深く、物事には洞察深く「まだまだ~」という謙虚な精神で未来に希望を抱き、ますます瞳が澄んでいく生き方です。

■そして周囲の協力者が増えてきます。

■二十代でも、ダサく(みっともなく)老けている人もいれば、七十代でも、カッコよく(かわいく)老いていっている方もいます。

■反対に、二十代でも謙虚な人もいれば、年を重ねるごとに傲慢になる人もいます。

■先日、百五歳で現役の医者を通した日野原重明氏がお亡くなりになりました。

■彼は第二次世界大戦東京大空襲の時には医者として多くの方に医療を施し、よど号ハイジャック事件の時には「ハイジャック」のスペルを教えながらその場を和ませ、地下鉄サリン事件の時は病院を開放し先頭に立って数百人の被害者を救出しました。

■百才になってもエレベーターを使わず、自らの足で階段を上り、現役の医者として活躍。毎年新しいことに取り組み、ミュージカルの脚本を手掛け、自らも出演し、オーケストラではヴァイオリンやチェロなどを演奏するだけでなく指揮者としても活躍されました。百歳を過ぎても、乗馬など新しいことに挑戦しながら、全国の小学校や中学校に赴き講演されたり、大人の方々にも「生き方」について本を執筆されておられました。

■ジャパンタイムスで彼のことをこう報じていました。「日野原氏は、とにかく人生は貢献だと信じていました。そのため、他者を助けることや、早起きして他の人のために何か素晴らしいことをしたいという、ものすごい意欲がありました。これこそが、日野原氏を突き動かし、生かしていたものでした」

■私も新神戸駅のホームで直接そのお姿を見たことがあります。お付きの人がいましたが、それは新幹線までのお送りの方であり、乗り込んだ時は一人でした。

■彼の姿から「老けた」ところは見られませんでした。見事な「老い」の姿でした。

■日野原重明氏のご冥福を心からお祈り申し上げます。

■年を重ねる事。これをどう積極的に受け入れるか。これが「老い」「老け」の分かれ道なのでしょう。

■だとするならば、私たちは前向きに積極的に他の人に貢献できる生き方を心がけたいものです。

■まずは「お盆会」にお参詣させていただき、ご先祖やお世話になった方々、有縁の方々のお塔婆を建て、心を込めてご回向させていただきましょう。

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