〜皆さんも是非チャレンジ下さい!!〜
Q1・・・・・五右衛門風呂という名前の由来となった、盗賊で有名な石川五右衛門。 その処刑方法は次のうちどれ @引き回しの上打ち首刑 A釜茹での刑 B油炒めの刑 正解はこちら |
Q2・・・・・石川五右衛門が処刑された年月及び場所の組み合わせで正しいのは次のうちどれ @1573年1月25日 静岡県三方が原 A1594年8月24日 京都府三条河原 B1625年3月10日 山梨県青木ヶが原 正解はこちら |
Q3・・・・・石川五右衛門の辞世の句とされるのは次のうちどれ @「石川や われの命は 尽きようと 世に盗人の 種は尽きまじ」 A「我が命 たといこの場に 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」 B「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」 正解はこちら |
Q4・・・・・五右衛門風呂は次のうちのどれ 正解はこちら |
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@ | A | B |
*黒い部分が鉄、その上は木桶です |
*黒い部分全てが鉄です |
*全て木桶です |
Q5・・・・・長州風呂が最初に作られたのはどこの国 @インド A中国 B朝鮮 正解はこちら |
Q6・・・・・五右衛門風呂は当然鋳物ですが、日本に鋳物が伝わった時期として正しいのはどれ @紀元前数百年頃 A平安時代 B安土桃山時代 正解はこちら |
Q7・・・・・五右衛門風呂が作られるようになった時期として正しいのはどれ @安土桃山時代 A江戸時代 B明治時代 正解はこちら |
Q8・・・・・入浴スタイルの変遷として正しいのはどれ @蒸し風呂→五右衛門風呂→据え風呂 A据え風呂→蒸し風呂→五右衛門風呂 B蒸し風呂→据え風呂→五右衛門風呂 正解はこちら |
Q9・・・・・五右衛門風呂の底を踏み抜いた様子が書かれた滑稽本といえば @東海道中膝栗毛 A南総里見八犬伝 B浮世風呂 正解はこちら |
Q10・・・・・その五右衛門風呂、現在その生産量が最も多いメーカーといえば @中部窯業 Aダイワ化成 B大和重工 正解はこちら |
A1・・・・・ B 油炒めの刑 一般的には石川五右衛門が釜茹でにされた事から、五右衛門風呂という呼び名がついたと いわれていますが、実は湯ではなく油炒めというか、油で揚げられたという説の方が有力? のようです。 大盗賊の処刑とはいえ、湯より更に残酷な感じがするのは管理人だけでしょうか? 恐ろしや 恐ろしや。 戻る |
A2・・・・・ A 1594年8月24日 京都府三条河原 石川五右衛門だけでなく、子供、母親も極刑に処されたようです。 息絶えるまで子供を抱え上げていた、いや苦しまない様にひと思いに釜につけたなどの説が ある様です。 戻る |
マル得情報 Q&Aまでご覧になる、熱心なお客様への大特典。 五右衛門風呂と命名されるきっかけとなった上記日にちを記念して、 弊社取扱い五右衛門風呂 8月24日ご購入(振込)分 に限り下記特典実施致します。 ・マル廣長州風呂、マル廣長州ホーロー風呂、やまと風呂・・・・風呂ふた定価7,000〜8,000円(税込)相当 をもれなくサービス。 ・アウトドア五右衛門風呂 湯牧民 デラックスタイプ・・・・・・・・・・表示金額より10,000円(税込)の値引き。 ・アウトドア五右衛門風呂 湯牧民 スタンダードタイプ・・・・・・・・表示金額より5,000円(税込)の値引き。 ご注文に際し必ず ”マル得情報” を見たとお知らせ下さい。 |
A3・・・・・B 「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」 @およびAは管理人が石川五右衛門の気持ちになり?、皆さんが間違えやすいようにアレンジ したものです。どれだったかと悩まれた挙句、間違われた方がいらっしゃったら・・・ それは、しめたものです(笑)。 戻る |
A4・・・・・@ A長州風呂 B鉄砲風呂 で正解は@です。 弊社サイトでは、五右衛門風呂=長州風呂という取扱をしていますが正式には、マキを焚く下の 部分のみが鉄製なのが五右衛門風呂、全て鉄製なのは長州風呂です。 当時鉄は高級品だったため五右衛門風呂のような木桶を側面に張り、底面だけ鉄を使用する風呂が 多かった。中国地方では良質の砂鉄が取れた事と鋳物技術が優れていた事で、鉄の厚みを薄くし鉄の 使用量を抑えたとされており、結果として鉄を全面に使用した浴槽(当時は贅沢品)を生産する事が できたとされる。 Bの鉄砲風呂は風呂の中に、マキをくべる釜(鉄製の筒状のもの)のついた風呂です。 戻る |
A5・・・・・A 中国 起源は宋(中国)で梵鐘(ぼんしょう・・・つりがね)を基に作られたとされる。そういえばつりがねを ひっくり返すとホント形がそっくりですね。 広島が生産の元祖であるが、明治初期には長州の勢力が強大だったため、宣伝効果や販売対策 として”長州風呂”と名づけたという説もあるそうです。 戻る |
A6・・・・・ @ 紀元前数百年頃 紀元前4000年頃メソポタミアで始まり、日本では上記紀元前数百年頃に伝わったとされる。 1世紀には銅鐸、銅鏡、刀剣が作られ始め、平安時代なかば以降鋳物作りが広まった。 戻る |
A7・・・・・ A 江戸時代 江戸時代はじめ頃から作られるようになったそうです。 戻る |
A8・・・・・ B 蒸し風呂→据え風呂→五右衛門風呂(直焚き) 江戸時代に入るまで 戸棚風呂等の”蒸し風呂”メインの入浴スタイルだったのが、豊臣秀吉の 朝鮮出兵に従軍した将兵が持ち帰った簡易浴槽より”据え風呂”が誕生。桶に沸かした湯と井戸 水を入れ入浴したとされる。やがて、井戸水をその場で沸かす発想となり五右衛門風呂、長州風呂 など直焚き浴槽が誕生したそうです。 戻る |
A9・・・・・ @ 東海道中膝栗毛 これはご存知の方も多かったかと思います。 作者は十返舎一九(1765〜1831)。静岡県生まれ。 喜多八が小田原の宿にあった五右衛門風呂の入り方が分らず、浮かせてあった底板を取ってしまった ため熱くて入れず、近くにあった下駄を履いて入り風呂釜の底を抜いてしまい大騒動となるという話は 有名である。 東海道中膝栗毛は当時ベストセラーとなり、一九は原稿料で暮らした作家第一号だそうです。 戻る |
A10・・・・・ B 大和重工 広島にあるメーカーです。 五右衛門風呂を生産し全国的に販売しているメーカーはたぶんこの大和重工のみです。 現在の五右衛門風呂の生産量は年間1500〜2000個程度だそうです。 資源の有効利用が叫ばれる現代なのに、浴槽の主流はなぜか樹脂製風呂。 フランス、ドイツ等での浴槽の主流は鋳物ホーロー浴槽だそうです。 再利用が簡単な五右衛門風呂、真に環境にやさしい商品といえるのではないでしょうか?。 戻る |
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