過去の植生を復元する方法として広く用いられている花粉分析法には、研究対象が低湿地に限られるなど方法的限界がある。本論文は、近年発達してきた広範囲の研究対象に適用可能な植物珪酸体分析法により、年代既知の広域テフラ直下の埋没土壌中の植物珪酸体組成を分析し、九州南部における最終間氷期以降の照葉樹林帯の発達過程に関して、以下の諸点を明らかにしている。
約65,000年前以降の最終氷期の種子島ではシイ属などの照葉樹林が継続して存在し、約11,000年前には薩摩半島でクスノキ科が拡大し始め、約6,300年前までにはシイ属やクスノキ科を主とする照葉樹林が南九州の沿岸部から九州の内陸部にまで拡大していたと推定された。一方、黒ボク土が広く分布する南九州の内陸部ではネザサ節やススキ属などのイネ科主体の草原植生が継続しており、九州南部全域に照葉樹林が拡大したのは約4,200年前以降と推定される。約6,300年前に噴出した幸屋火砕流が及んだ大隈半島南部や薩摩半島南部では、照葉樹林が破壊されススキ属などが繁茂する草原植生に移行した。これらの地域では少なくとも600年間は照葉樹林が回復しなかったと推定されるが、その他の地域では照葉樹林が絶えるほどではなかった.
本論文は九州南部の台地を中心とする広大な地域を対象とし、長年に亘る埋蔵文化財調査や綿密な野外調査の過程で積み上げられたデータと、それらに裏付けられた結論は極めて説得力があり、最終間氷期以降の日本列島南部における植生の変遷を火山活動との関連で具体的に明らかにした点で高く評価できる。これらの成果をもとに、火山噴火により影響を受けたとされる人間活動、また人間活動が植生変化に及ぼした影響など、相互の関連についてもさらに明らかにされることが期待される。
第四紀研究.38(2),1999.p.109-123. |
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