まずはこちらをご覧頂きたい。これは読売新聞に掲載された李氏のコンフェデレーションズ杯についての評である。大抵は朝刊だが、総括だけは夕刊だったので、駅売りの夕刊を初めて買うという事態に私は陥った。新聞というメディア上の制約から、当然各文は短い。とするといかに端的に自分の伝えたいことを表現できるか、ということが焦点になる。私なりの感想、解釈を加えて各文を読んでいきたい。
5/31フランス5−0韓国。コンフェデ杯でのフランスの優勝は、これで決定的だろう。早い。確かにフランスの優勝は予測されたことだが、この段階で条件を満たしたと言い切れるとは。実際次のオーストラリア戦でスタメンを大半入れ替えて敗れたにしてもテストマッチを悠々とこなし(そう言えばワールドカップでも同じことをしたのだ、フランスは。)、メキシコを撃砕して決勝トーナメント進出を決めた。初戦の大勝で、2戦目、3戦目をテストとして位置づけられるという指摘なら平凡だが、優勝に言及できることは非凡だと思う。
どのチームがフランスを苦しめられるかが焦点、と言われているが、最もフランスを苦しめたのは日本の気候だったのではないかと私は思う。それだけのチームを各国が送り込んでこなかったのはいささか残念だ。
6/2韓国2−1メキシコ。ヒディンク監督が、選手たちに「プレーして良いこと」と「してはいけないこと」を区別させているからであり、チームに「規律」が出てきている。シチュエーション的には、今まで力任せに体を当てて奪っていたボールを、パスカットという手法に切り替えているところを取り上げていた。つまり、@パスコースを限定させるためのプレッシング。または孤立化を図るための複数の動き。A限定されたコース上のどこにボールが出されるかを予想して身を置くこと、また確実なボール奪取。というところまではある程度出来ていたと解するべきだろう。この場面でしてはいけないこと、というのはがむしゃらにボールを奪う為にその前後のプレーを寸断してしまうことであろうか。
この段階ではBボールを奪取した後にパスを出しやすい態勢を取る、また受けやすい運動を行う。というところまでは達していないとされているが、韓国サッカーを確実に進歩させているヒディンク監督への期待感が伺える。
6/4韓国1−0オーストラリア。ボールは疲れないのだから、ボールに言葉と意思を乗せて、ボールをもっと動かすこと。オーストラリアの肉体サッカーに巻き込まれて、韓国代表は旧来の闘い方に戻ってしまったかのような印象を受ける。しかし、守備面ではメキシコ戦で出来ていたアプローチを続けているようだ。大勝しなければ決勝トーナメントには進めない、というプレッシャーが攻撃面においてチームプレーに徹することを許さなかったか。選手同士の距離が保たれていない、バランスが悪いということだろう。だから、動き出してもタイミングが合わない。距離感を掴んでいないということは選手同士の行動の意図も掴めないと言うことだ。韓国がこの部分をどう克服していくかが課題とされている。
6/11フランス1−0日本。フランスはボールに言葉を乗せ、ボールを中心とした統一感を見せてくれた。この大会を通して最も得をしたのがフランスだということに異論はない。韓国でも日本でも携帯が通じるかどうかのチェックをし、予選でもトーナメントでも時間つぶしを出来る場所があるかを確認できた。長丁場の最大の敵である退屈への対処が出来ただろう。スコアこそ1-0であったが、李氏から見てもフランスはいいサッカーをしたと言えたようだ。私が最もそれを感じたのは、フランスの変化の付け方である。
当初単発の攻撃を左サイドで仕掛け、中央を経由せずに右サイドに展開し、意識を逆サイドよりに向けたところで、中央からフリーの右サイドへ・・・ボールの動きだけを追う相手ならこんな攻撃も簡単だが、それほど低レベルではない敵の意識をも振り回してしまう。それを可能にしたのがフランスの選手同士の意図のつながりなのだ。
日本は攻撃にも同じ言葉と意思でリズムを創るようになっていけるか。W杯の成功は日本代表のみならず、それを取り囲む人々がこの「言葉と意思」を理解してどのような期待感で臨めるかにかかっているのだろう。