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単純に趣味に関する雑感

  私的ジャニーズ論

私的ジャニーズ論

 0最初に

 1SMAPの立場

 

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断じて申し上げておくが、別に私がジャニーズのfanというわけではない。

うちの妻が少年隊から嵐までこなす(?)ジャニーズおたくで、東京までの

往復の車中でほぼノンストップでV6がかかったりする家なのである。

まあ、自分でも接点がないわけでもない。趣味のアニメの中で、ジャニーズ

の歌が使われたり、メンバーが声優や舞台に立つということがあるので

それを通じてメンバーを見ることがある。その結果、まれにではあるが

妻の知らないことを知っていたりもする。

私とアニメとの出会いは、そんなに小さいときではない。特に声優を

積極的にチェックするようになったのは大学院修士課程で、

心身共に消耗していた時(本当に消耗するんですよ院生の

生活って・・・)、私の心を慰めてくれたのが「姫ちゃんのリボン」(水沢めぐみ原作

原作は『りぼん』)というアニメであった。この作品のオープニングがSMAPの

「君色思い」だったため、SMAPには何となくシンパシーじみたものを感じ、

用もないのにテレビ東京で放送していた「I LOVE SMAP」まで観ていた。

 

まあ、そんなわけでFANでもANTIでもない立場から雑感をてきとーに

書き散らしたいと思います。おつきあいいただけると嬉しいです。 ↑topへ

1:SMAPの立場

ジャニーズのタレントでもっとも認知度が高いのはSMAPだろう。(次は

kinki TOKIOといったところか)「世界に一つだけの花」のヒットは記憶に

新しいところ。ジャニーズのファンでなくてもSMAPは好き、という人は

少なくないのではないだろうか。しかし、コアなジャニーズファンの中には、

SMAPに何かか銜むものがある人もいるようである。それも私の知る限りでも

一人や二人ではない。実はジャニーズの中でSMAPは異端とも言える存在

なのである。

 ジャニーズのタレントは、普通「ジュニア」(年を取りすぎると「シニア」)として

先輩のバックについて踊り、デビューを待つ。やがて実力や人気などを勘案して

「デビュー」を果たす。この「デビュー」の概念が実にわかりにくい。例えば

中国でも人気の高い滝沢秀明、彼は相当前からCMやドラマに活躍していたが

「デビュー」を果たしたのは今井翼と「タッキー&翼」を結成してCDを出したとき

だそうだ。

 このあたりのことはまたどこかで書くとして、SMAPは基本的にジュニアをバックに

つけないようである。かなり昔、ローソンでSMAPのビデオを2000円弱で

売り出したときにkinkiがセットでついてきたということがあり、その時は

彼らがSMAPの弟分なのか、と思ったものだが、その後あまりそういう

組み合わせも見かけなくなった。つまり、「ジュニアを従えて踊る」という

ジャニーズの「定番」スタイルをSMAPは取らないのである。これでは

「ファミリー」色が出ず、それがコアなジャニファンの違和感を助長させる。

 また、ジャニーズ全体のイベント、運動会やカウントダウンにも

SMAPは参加しないし、多くの「デビュー組」が参加した少年隊主催の

ミュージカルにも彼らは参加していない。SMAPは「Sports Music Association

People」の略で、デビュー前、デビュー当初はバスケをはじめとするスポーツ

能力を前面に押し出していたから、運動会に参加しなくなった(以前は

参加していたそうだ。中居君が最後まで出ていたそうだ。)というのは

かなり重要な意味を持つ。

ファミリー色が薄い、という事以外に、よく言われるのは、SMAPは「歌えない

踊れない」ということである。SMAPファンに怒られることを覚悟の上で

敢えて言う。私もそう思う。SMAPの場合、ジュニアを従えて踊ると、

下手をすればジュニアの方がうまいということすら起こりうる。特にMA

(ミュージカルアカデミー)などを従えたら確実にそうなる。

少年隊(雲上人)、TOKIO(普段はバンドだがコンサートでは踊る) kinki V6

嵐 (たきつばとNEWSはよく観察していない)どれとくらべてもグループ総体の

歌唱力、ダンススキルは明らかに見劣りすると言わざるを得ない。

 しかし、彼らの「実力」が伸び悩んだのは、特殊事情も左右していると

私は考えている。

 ジャニーズのデビュー組(ユニットに限る)を年齢順に並べると、SMAPは

少年隊の次に位置する。SMAPは1972〜77年生まれ。(香取君が極端に若い)、

一方少年隊は1966〜67年生まれ。かなりの開きである。実はこの間に

光GENJI、男闘呼組、忍者という3グループがいたのである。(平家派など

一過性のものは除く)ところが1990年前後は、TVからいわゆる「歌番組」が

次々と消滅した時期にあたる。既に舞台に活動の中心を移していた少年隊はともかく、

アイドルにとって出演すべきTV番組がなくなったというのはかなりの痛手になる。

このころ、光GENJIはすでに嘗ての勢いがなくなり、男闘呼組、忍者は

歌番組消滅の逆風。世間一般の感覚で言えば「ジャニーズ冬の時代」

と言って過言なかろう。

 そのような中でSMAPは、文字通りジャニーズの生命線であった。私も

よく見ていた「I Love SMAP!」( (1991年〜1996年 TV東京系)では

ドラマ、コント、スポーツなど、彼らの才能とチームワークはあらゆる分野で

遺憾なく発揮され、ファンならずとも見ていて飽きなかった。その後、

「夢がMORIMORI」(フジ系)、「SMAPのがんばりましょう」などにも出演、

「歌番組」が消滅してもバラエティーで順調に知名度を挙げ、ついで

ドラマにも引っ張りだこ、まさにスターへの道を駆け上がっていったのである。

 しかし、このバラエティー・ドラマ中心の活動が、歌と踊りの向上を

妨げる結果となったのではなかろうか。これに拍車を掛けたのが

森且行君の脱退(オートレーサー転向)であろう。森は木村君と

ともに、メンバーの中で最も歌えて踊れる存在であった。現在の

ツイントップの片方である中居君は、本人も深く自覚しているように、

歌が全くだめ、他の三人もはっきり言って「それなり」でしかない。

必然的に歌は木村君におんぶにだっこという状態となった。

 また、世間での人気を不動にしたのと期を同じくしてだんだん

単独でのテレビ出演が目立つようになった。グループとしての魅力は

90年初に比べて却って低下していったように私には思えてならない。 

 このような「歌と踊り」以外の要素で勝負するSMAPは、少なくとも

少年隊を頂点とする「ジャニーズの王道」からは一線を画する。

実際少年隊とSMAPが楽しそうにTVで共演している所を私は

寡聞にして知らない。以前中居君が司会をしている番組に

少年隊が出演したのを観たが、なんともぎくしゃくした感じだった。

(その後、草なぎ君と錦織一清氏が「蒲田行進曲」で共演したが

それは草なぎ君が割にしがらみを気にしないタイプだからでは

ないか?)事務所としてもその状態はよくないと考えたのか、

Tokio kinkiはもう一度少年隊ピラミッドの中に位置づけた。ゆえに

いくらkinkiがSMAPと同じように一般に認知された存在になっても

SMAPのような「脱ジャニーズ」になることはなかった。特に光一君は

舞台でも強く東山氏を意識し、ポストヒガシを以て自認している。

 SMAPは凋落気味のジャニーズの期待を一身に背負い、歌番組消滅期に 

あって獅子奮迅の活躍で新境地を開拓した。マスコミもこの器用なビッグ

タレントに完全にぶら下がり、ジャニーズは復権した。

 しかし皮肉なことにそれはジャニーズの目指すもう一つの方向、つまり

歌と踊りで魅せる舞台エンターテインメントの実力をじっくり養成する時間と

機会を与えず、少年隊ピラミッドからの逸脱を招いた。個人活動の増加も

SMAP=ジャニーズ の色を薄めていった。その結果、ジャニーズファミリー

のファンにしてみればいわば「鬼っ子」のような存在に映るようになった。

期待が大きく、また初期(「へいへいおおきに毎度あり」くらいまで)は

その期待に応えていただけに、その「変容」はファンの許容範囲を越えて

しまったのではないか、と私は思っている。そういう意味ではちょっと気の毒な

存在とも言える。

 CDTVだったか、SMAP×2だったか、「世界で一つだけの花」を評して

木村君が「本当は俺たちが歌っちゃいけないような歌(名曲)なんだよな」と

発言したのが大変印象に残っている。あれは謙遜ではあるまい。

SMAPの「歌手」としての実力に対する歯がゆさを正直に吐露していると私は

受け取った。しかし、それを招いたのは彼らが置かれた特殊な環境にあり、

必ずしも彼らを責められない、と私は思っている。(2004年6月12日)

*ネットを見るとマネージャーと事務所の対立などということを指摘する

発言も見られた。そういうこともあるかもしれないが、ここではそういうことは

捨象して、あくまで一般人が観察した立場から述べたということを特記しておく。

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