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題名 日展作品「葆光ほうこう」 興文会作品「不知之知ふちのち」
釈文
故知止其所不知至矣孰知不言之弁(辯)不道之道
若有能知此之謂天府注焉而不満酌焉而不竭而不知其所由来
此之謂葆光
通読
故ゆえに、知ちは其その知らざる所に止とどまれば、至いたれり。
孰たれか不言ふごんの弁べん、不道ふどうの道みちを知るや。
若もし、能よく知るもの有らば、此これを之これ天府てんぷと謂いう。
焉これに注そそげども満ちず、焉これを酌くめども竭つきず。
而しかも其その由よりて来たる所を知らず。此これを之これ葆光ほうこうと謂いう。
出典 荘子そうじ「斉物論篇」より
通釈
だから、人間の知恵は知ることのできない境地をよりどころにするのが、最上である。
だれか、「口には言わない道理の解き明かし」「道とはいえない道」を知っている者があるであろうか。
もしも、これを知りえた者があるならば、その人の知恵こそは「無限の宝庫」といわねばならぬ。
これは、いくら水流を注ぎ入れても満水することがなく、いくら水をくみ出しても渇水することがない。
しかも、どうしてそうなるのかも分からない大海原のようである。
このような人の徳こそ「内に秘めたる光」といわねばならぬ。
解説
荘子の内篇「斉物論篇」にある「葆光之説」の一節。
道、弁、仁、廉、勇のような諸徳も「不言の弁、不道の道」のように、内に秘めたる光、つまり「無為の徳」 とならねばならないことを論じている。
語釈
天府・・・無限に豊富な宝庫。
葆光・・・覆い隠された光。