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題名 「飲酒 其六 いんしゅ そのろく」
釈文
行止千萬端 誰知非與是 是非苟相形 雷同共譽毀
三季多此事 達士似不爾 咄咄俗中愚 且當從黄綺
通読
行止こうしは千萬端せんばんたん 誰たか知しらん非ひと是ぜとを
是非ぜひ 苟いやしくも相あい形あらわるれば 雷同らいどうして共ともに譽ほめ毀そしる
三季さんきより此この事こと多おおし 達士たっしは爾しからざるに似にたり
咄咄とつとつたり俗中ぞくちゅうの愚ぐ 且しばらく当まさに黄綺こうきに従したがうべし
出典 陶淵明詩とうえんめいし「飲酒いんしゅ其六そのろく」より
通釈
人の行為は、その人その時によって千差万別なもの、したがって非(間違っている)とか、是(正しい)とか、誰にもおいそれとわかろうはずがない。
しかるに、それが比較されて、あれは是だ、これは非だ、と決められてしまったら、人のあとについて、寄ってたかって誉(ほめ)たり、毀(けなし)たりする。
三季(聖人の出た古代王朝の夏、殷、周)の時代が終わって以来、どうもこうした事が多い。しかし達士とよばれる人は、そうでもないようだ。
まったく仕様のない俗世間の愚人たちだ。まあ私は黄(夏黄公)や綺(綺里季)といった商山の隠者たちにならって暮らすとしよう。
解説
陶淵明の飲酒と題される20首の中の6番目の詩。この一連の詩は有名で、一昨年の日展作品は5番目の詩、昨年の日展作品は7番目の詩、今回はその6番目の詩である。
飲酒と題されてはいるものの、必ずしも酒がテーマではなく、軍閥どもの血なまぐさい駆け引き、その下であえぐ農民、それをよそに清談と称して現実とうらはらな哲学談義にふける知識人たち、そうした社会の中にあって、盃をふくみつつ、また壺をなでつつ、心に浮かびまた沈む感情と思想を、ゆくりなくも表白している。
この6番目の詩も、俗世間で判断される是と非により、とらわれてしまう一般人間の心と行動を非難し、自分は商山の隠者のように世俗から遠ざかって無為自然(とらわれない生と心で)に暮らしたいものだと詠った詩で、陶淵明の煩わしさにとらわれない超然と暮らす心境と姿がうかがえる。