
さだまさし夏長崎から
8月6日に長崎の稲佐山で20年間平和のコンサートをしてきた。
長崎でするのは、今年が最後。
ということで、行ってきました。
朝10時ごろから並び、16時30分開演、22時ごろ終了。
暑かったけれど、楽しかった。
来年は、8月9日に広島でするそうです。
淵神社・十二支神社
当社地は、昔神宮寺の支院の遺跡で当時は、裏山の宝珠山の山頂に極空蔵菩薩と玄武神を祀り、現在の社地の辺りに弁財天を祀り、これを妙見社と云っていた。寛永十一年(1634)弁財天を勧請して古に復し、この時より妙見尊を祀らず、社地が稲佐郷にあるので、これを稲佐弁天社と呼び淵村の総鎮守として、歳月を経て明治維新に及んだのであります。
明治維新となり、神仏混交の禁令とともに、従来、両部神道であったが、市来島姫命は、佛家において本地を弁財天と称されていたので、明治元年九月十二日に、宗像三女神を御祭神として、淵神社と公称するようになった。
境内社には、次の三社がある。宝珠稲荷社、高木稲荷社、桑姫神社(天女廟)。
自分の生まれ年(干支)の絵馬をかけて縁結び・学業成就・安産を願う。向かい合った干支同士は縁が深いそうです。
(子と午、辰と戌など)
鳥岩神社
長崎港が一望。
悟真寺
1596年(慶長元年)、筑後善導寺の僧聖誉玄故は仏教の廃絶を嘆き、再興を志して長崎に来て、キリスト教徒の迫害に耐え1598年(慶長3年)、悟真寺を建立しました。
ここには数か国にわたる多くの人々が眠っていますが、その中には1778年(安永7年)に亡くなった出島オランダ商館長のヘンドリック・デュールコフや、1904〜1905年(明治37〜38年)の日露戦争で亡くなったロシア将兵の墓もあります。ロシア人墓地にある礼拝堂は、日本の亜使徒ニコライ大主教の記念礼拝堂といいます。
仏教の寺有地山内に、キリスト教、イスラム教、道教などの異教徒が埋葬されている墓地は、他にあまり例がないようです。
稲佐国際墓地
墓地入口の橋の欄干には、明福岑渡仙橋と書いてあります。
墓地左側中程にオランダ人墓地、その奥にロシア人墓地があります。右側中程にアメリカ人、イギリス人の墓があります。残りの多くは日本人および中国人墓地となっています。中国人の墓は、ロシア人墓地、オランダ人墓地の中にも散在しています。
ホテル長崎より
解夏のロケ地。
「あの絵の長崎」は、立山の丘の上に建つ「ホテル長崎」 のロビー。
長崎の風景が一望できます。
山王神社の片足鳥居
山王神社の鳥居です。
原爆の爆風で片方の足が飛ばされても片足で立っています。
26聖人殉教地
豊臣秀吉がキリシタン弾圧をしたとき、京都から長崎まで連れてこられてここで処刑された。
この後ろに、キリシタン資料館があります。(入場料250円)
ヨハネパウロが、ここで青空ミサをしました。
聖福寺
聖福寺は1677年に鉄心禅師が開いた黄檗宗の禅寺です。中国人が開いた寺の一つ。
じゃがたらお春の墓などがあります。
写真は、鬼瓦の塀です。
これは聖福寺の末寺が無くなる際に、その廃材の瓦を積み重ねたものだそうです。
さだまさしが小さい頃この境内で遊んだそうです。
映画「解夏」もここで撮られました。右の階段は、石田ゆり子が座ったところです。
隆之を追って長崎にやって来た陽子との再開場面、
20年前の鬼ごっこの思い出、
隆之が発作で倒れ、林老人に「解夏」の話を聞くシーンなどの撮影が行われました。
聖福寺の
墓参りの水汲み場
墓参りの一シーンで使われました。
ここのちょっと上にさだまさの祖母の墓があります。
その横に無縁坂の碑があります。
墓ばっかりでわかりにくいです。
福済寺の観音像
写真には写っていませんが、亀の背中に観音さんが乗っています。
観音さんの中は空洞で、フーコの振り子があります。
稲佐山からの夜景
標高333Mから見る夜景は、1000万ドルといわれている。
ロープウェーでいくか、タクシーでいくか、歩いていくか、方法はいろいろある。
宿泊施設には、ロープウェーの割引券が置いてある。
私は、マイカーで途中までいき、駐車場から歩くか、スカイウェーに乗っていきます。
トーマスグラバーの墓
坂本外人墓地の一画にあります。