平戸市
平戸城
別名亀岡城と呼ばれ、平戸瀬戸に突出した平山城である。
平戸市のシンボルとなっている。
オランダ井戸
オランダ商館跡近くに、大小ふたつの石枠を組み合わせて造られた井戸がある。
ふたつの井戸は中でつながっており、大きな井戸は屋外からの水汲み用、小さな井戸は、商館の屋内から調理等に用いたものだと言い伝えられている。
オランダ塀
オランダ商館跡付近から山手に登る階段に沿って作られた、砂石で出来た石塀。
商館当時に目隠しとして作られた塀である。
崎方公園
フランシスコ・ザビエル記念碑や三浦按針墓地などの史跡がある。
高台からの展望はよく、「遠見(とおみ)」と呼ばれる展望台がある。
←三浦按針の墓
ザビエル記念碑→
御部屋の坂
平戸藩主邸(現松浦史料博物館)の一帯は御館と呼ばれている。
その北側に石畳が続く坂道がある。
この坂道の中程に、お部屋さまの屋敷があったことから「お部屋の坂」(おへやのさか)と呼ばれるようになった。
この周辺には武家屋敷が立ち並んでいた。
松浦資料博物館
建物は、1893年松浦氏の邸宅として建てられたもので、鶴が峰邸と呼ばれていた。
1955年歴史博物館として開館。
松浦家は、鎌倉時代の初期、この地に落ち着いて以来、幕末に至るまで650年余転封等がなかった事から、貴重な遺産が豊富に残されている。
六角井戸
井戸の型が在来の日本の井戸と異なり、特異なものであるところから、唐人関係、倭寇関係遺跡として伝承されているが、詳らかではない。
大ソテツ
樹齢数百年といわれる大ソテツ。
浦の町天満宮の登り口に植えられている。かつて浦の町は平戸で一番栄えた場所だった。
そのころ植えられたものだといわれている。
ザビエル記念教会
1971年、ザビエルの平戸来訪を記念して教会脇に「ザビエル記念像」が建立され、教会の名称も「聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂」と呼ばれるようになる。(その後、〜記念教会と改められました)
白壁やレンガ造りが多い教会の中で、薄緑のこの教会は珍しい。
寺院と教会の見える風景
カトリック教会の尖鋭な屋根と十字架、そして寺院の屋根瓦がひとつの風景となり、日本と西洋の文化を感じさせる平戸を代表する景観のひとつとなっている。
雑誌やパンフなんかでよく使われている。
幸橋(オランダ橋)
その昔、城と城下町との往来は船であった。
1669年第29代鎮信が、そこに木橋を架け幸橋と呼ばれた。
1702年(元禄15)第30代棟が、これを石橋に改架した。
これを別名「オランダ橋」という。
これは、1600年始めオランダ商館の石造り建築に従事した石工、豊前からオランダ技法を伝授された石工によって架橋されたからだという。
巧みに巨石をたたみ半月弧を描き美しい。
1984年(昭和59)前面解体して改修復元され、同時に幸橋御門も復元された。
平戸温泉うで湯・あし湯
「あし湯」の横に「うで湯」がくっついた全国でも珍しいもの。
神経痛や筋肉痛、やけどなどにも良いナトリウム炭酸水素塩泉。
ヌルヌルとした肌触り。
近くの店では、記念タオルも販売している。
平戸ひらめまつり
全国でも有数の「天然ひらめ」の漁獲高を誇る平戸。
期間中は、宿泊施設や飲食店にてそのひらめを格安の値段で堪能できる。
ここは、「磯しげ」
ひらめ定食1,575円。
平戸城下雛まつり
旧平戸商店街の至るところに松浦家の由緒ある雛人形をはじめ、いろんな人形が展示され、平戸が雛人形一色に染まる。
ユニークな手作りの雛人形から、歴史ある雛人形まで様々。
紐差教会
旧浦上天主堂が原爆によって倒壊した後は、日本最大の天主堂といわれた。
東洋でも指折りのロマネスク様式の大天主堂であり、教会建築の第一人者といわれる鉄川与助の設計。日本最大級の天主堂である。
外部はロマネスク様式で、内部にはアーチと美しいステンドグラスがはめ込まれ、鉄川与助(設計者)の特徴である花柄の模様が豊かに飾られている。
宝亀教会
建築学上多くの特徴をもつ聖堂で基礎は石造、外壁はレンガ造、屋根は単層切妻の瓦葺、窓形式は側面に尖頭アーチ四季の円型ハメ殺し窓、天井は身廊、側廊ともにコウモリ天井の板張りである。
日本最西端の駅碑
昔は、国鉄、JRの日本最西端の駅として有名でした。
今は松浦鉄道(3セク)の駅。
たびら平戸口駅
国鉄、JR時代の松浦線のグッズがありました。入場無料。
生月島
平戸大橋
生月に行くには、平戸大橋、生月大橋を渡って、行かなければなりません。
平戸大橋は普通車100円。
生月大橋
橋がかかり、車で生月に行けるようになりました。
普通車200円。
田平から往復すると600円。
生月大魚藍観音
この観音像は、ブロンズ像としては日本一の大きさを誇る。像高18m、基壇3m、重量150t。
横から中に入れます。
ガスパス様
生月最初の殉教者であるガスパル西玄可が殉教した場所である。
平戸と生月島の間に浮かぶ小島は中江ノ島といい、1622年ガスパル籠手田、1624年ジョアン坂本らが殉教した場所であり、現在も聖地とされている。
生月の多くの殉教者達の遺徳が子々孫々まで称えられんことを祈念して中江ノ島の見えるこの場所に十字架が建てられたものである。
大バエ灯台
生月島北端の灯台。この灯台には、全国的にも珍しい、展望施設が付いている。
生月島の最北端部は高さ100mの断崖になっており、その上に白亜の無人灯台が立つ。
塩俵の断崖
塩俵の断崖は、玄海灘の荒波に洗われてできた、雄大な亀の甲模様の玄武岩の柱状節理があり、生月島西海岸を代表する景勝地である。
大氣圏
あごだしラーメンが有名。
あごとは、トビウオのこと。
あっさりしていて食べやすいです。
何杯でも食べれそうです。
生月町博物館[島の館」
江戸時代に日本最大規模を誇った益冨捕鯨の展示をはじめ、長い迫害に耐えて受け継がれたかくれキリシタンの信仰、豊かな自然の中で営まれてきた漁業や農業の姿を紹介しており、他では見られない、価値ある生月島の魅力を知ることができる場所となっている。