眼鏡橋界隈


桃渓橋

精霊流しのロケ地。

この橋を田中邦衛と内田朝日が渡る。











若宮稲荷神社(竹ン芸)

若宮稲荷神社の秋の大祭。およそ200年前から土地に伝わる伝統行事です。境内へ続く長い石段には人だかりができていました。
 むかし昔、お稲荷さまのお使いの白キツネは、秋祭りになると祭囃子に誘われ、高い木の上で踊り戯れていたそうです。その様子を模して住民らが奉納したのが始まりと伝えられています。また、江戸時代に中国から伝わった「羅漢踊り」や、室町時代から近世初頭に流行した曲芸「蜘蛛舞」が起源という説もあります。
 お面に白装束で男ギツネ、女ギツネに扮した2人の男性が、独特のシャギリの音色にあわせ、高さ約数十メートルの竹の上でスリル満点の曲芸を披露。
掛け声は、「ヨイッショ」です。









上で踊った後は、手ぬぐい等が巻かれます。
鶏も巻かれました。


竹の上で倒立するさまは、見事。









狐の面

オスの面とメスの面。










長崎歴史文化博物館

2005年11月にオープンした新しい博物館で、石垣に白壁造りの堂々たる造りです。内部は3階建になっており、1階はエントランスホールやミュージアムショップなど、2階は歴史文化展示ゾーン、長崎歴史情報ゾーン、長崎奉行所ゾーン、伝統工芸体験ゾーン、イベントの間、イベント広場、レストランなど、3階は企画展示ゾーンとなっています。









有平糖

有平糖(アルヘイトウ)はポルトガル語のアルフェロア(砂糖菓子)のことで、カステラなどとともに、いわゆる南蛮人の渡来で長崎を中心に伝えられた南蛮菓子の一つ。砂糖にあめを加えて煮詰め、冷やして棒状とし、または花や果実に模したもの。装飾菓子である。

長崎では細工菓子と呼ばれ(関東では古くから有平細工と呼んでいる)、くんちの庭見せの飾り物として大きなへぎ板につけられる恵比寿、大黒天の面や、イセエビの形につくる結婚式の海老糖、紅白の千代結びなど、祝いや仏事、茶の湯には欠かせないものになった。








若宮稲荷神社

秋の大祭。およそ200年前から土地に伝わる伝統行事です。
 昔、お稲荷さまのお使いの白キツネは、秋祭りになると祭囃子に誘われ、高い木の上で踊り戯れていたそうです。その様子を模して住民らが奉納したのが始まりと伝えられています。また、江戸時代に中国から伝わった「羅漢踊り」や、室町時代から近世初頭に流行した曲芸「蜘蛛舞」が起源という説もあります。
 お面に白装束で男ギツネ、女ギツネに扮した2人の男性が、独特のシャギリの音色にあわせ、高さ約数十メートルの竹の上でスリル満点の曲芸を披露。






一の瀬橋

長崎と江戸を結ぶ文化の架け橋。

日見峠、矢上、古賀、諫早へと続く長崎街道。

橋名がローマ字で刻まれている。








蛍茶屋跡

一の瀬橋のたもとに蛍茶屋という料亭があり、旅人はここで送別の杯を交わした。

昔は蛍が飛び交う名所でした。










万寿庵

シーボルト通りの老舗。
蒸し饅頭が有名。

映画では、隆之の母(富士純子)が饅頭を買う店。

さだまさしのご用達の店であり、まっさんの若い頃の写真など店頭に展示しています。







古橋

唐通事の林の肝いりで架けられた橋。

アーチ両脇の布石が、矢印記号のように噛み込んでいるのが特徴。

清時代の江南風の石畳が今も残る貴重な道です。

シーボルトも通ったと言われている。長崎街道でもあります。





寺町にある龍馬通り

この道を登っていくと亀山社中跡、龍馬像があります。
急な坂を登っていきます。







亀山社中資料展示場

一般に公開していた亀山社中跡が閉鎖された。

閉館した亀山社中跡に展示してあった資料等の展示場所として、「亀山社中資料展示場」ができた。

若宮稲荷神社の境内の隣。









亀山社中

亀山社中の跡のある像です。
土日祝日は10:00〜開いていて、中には入れます。















龍馬のぶーつ

亀山社中跡の横にあります。
見晴らしのいいところです。






風頭公園の龍馬像

ここも見晴らしがいいです。港が見えてきれいです。

















小川ハタ店

解夏のロケ地

風頭公園の横にあります。

長崎では、凧のことを「ハタ」といいます。

小さいものから大きいものまでいろいろなハタがありました。

ロケのときの写真もありました。




幣振坂

映画「解夏」の冒頭(母との墓参り)と中程(でんでらりゅうの歌を唄いながら)、ラストシーンに印象的に登場します。

長い階段の左右には、晧台寺と大音寺の墓所が続き、その中にはシーボルトの娘「オランダお稲」や長崎奉行・永井筑前のお墓などの史跡が数多くあります。

急な石段を、それなりに上ったなあ、と一息つきたい頃、一つ目の「休み石」が。さらに上ると二つ目の「休み石」、これが最後のシーンで隆之が腰を下ろす石です。







興福寺

(左)山門
二間三戸八脚の入母屋造単層屋根・総朱丹塗りの豪壮雄大な山門は長崎で第一の大きさを誇る。山門は、初め承応3年(1654)隠元禅師の長崎滞在中、諸国より寄せられた多大な寄進で建てられたが、9年後の長崎大火で山門もろとも一山全焼した。現在の山門は、元禄三年(1690)に、日本人工匠の手で再建されたもので和風様式を基調とする。原爆で大破したがその後復元した。山門上部の扁額「初登宝地」「東明山」は隠元禅師の御書

(右)魚板
庫裡の入口にさがる巨大な魚鼓は、本式の呼び名を「はんぽう」といいお坊さんたちに飯時を告げるため叩いた木彫の魚。このような魚板は禅寺によくあるが、興福寺のものは日本一美しいと定評がある。長年叩かれたので、腹部は凹んでいるがこの音は案外遠くまで聞こえ、山裾までとどいたそうである。もうひとつ並んでさがる小振りの魚板は雌で、雄雌一対で懸けられるのは大変珍しい。中国の代表的な魚である鰍魚(けつぎょ)を象り、口にふくむ玉は欲望、これを叩いて吐き出させるという意味をもち、木魚の原型とみなされる。明朝の風格をうかがわせる魚板は興福寺のトレードマークとなっている


(左)大雄宝殿
大雄宝殿の中央高く懸けてある瑠璃燈は、上海より運ばれ、堂内で組み立てられた。中国工匠による作で、巻蛇、人物などの彫刻は精緻を極め、清朝末の優れた工芸品の系譜に属する。日本に現存するこの種のものの中でも最大。灯籠の周囲に従来の紙や絹を使わず、ガラスを使っているのが当時の国際都市上海の西洋趣味をうかがわせる。形状は高さ2.18m、経1.31m。


(右)媽姐堂
媽姐(媽祖)とは「菩薩」「天后聖母」などとも呼ばれる航海の守護神で、中国宋代に福建省に起こった土俗的信仰だったが、元代には江南から北京へ糧米を運ぶすべての船舶に祀られた。明代、鄭和の南海遠征や外国貿易の進展に伴い、台湾、日本、朝鮮半島、東アジアの全域に伝播された。長崎へ来航する唐船には必ず「媽姐」が祀られ、停泊中は、船から揚げて唐寺の媽姐堂に安置した。これを「菩薩揚げ」といい、賑やかに隊列を組んで納めたという。向拝、船底形本尊は、天后聖母船神で、脇立はふつう赤鬼青鬼と呼ばれる千里眼と順風耳。建築様式は和風を基調とし内外総朱丹塗、黄檗天井の前廊、半扉、内部化粧屋根式天井など黄檗様式を加味し、また軒支輪のある建物は珍しく、貴重な建築資料である。


祟福寺

日本最古の興福寺に遅れること9年、寛永6年(1629)に長崎在住の中国福建省の人達によって建てられた。そのため古くは福州寺とも呼ばれていた。

一つの寺でこれだけの文化財を擁するのは京都や奈良を除けば西日本随一という崇福寺。全部で21もの文化財がある。なかでも長崎にある3つの国宝のうち、2つ(大雄宝殿(だいゆうほうでん/本堂)、第一峰門)がこの崇福寺にあることにも注目したい(もうひとつは大浦天主堂)。

また、通常寺の門は“山門”というが、崇福寺は3つの門扉があるため三門といい、さらに二階建ての楼門でもある。竜宮城に似ていることから竜宮門とも呼ばれるこの三門に掲げられた扁額の「聖寿山」の文字は隠元禅師の筆。


第一峰門の軒下に描かれた雲(瑞雲/ずいうん)などの吉祥文様もそうだし、赤い門扉に描かれているコウモリと牡丹の花もそうだ。まだまだほかにもいっぱい、福々しい縁起物が溢れている。

ランタン期間中、17:00〜21:00は無料です。

護法堂の前に位置するのが、崇福寺の本堂である大雄宝殿。正保3年(1646)に唐商何高材(がこうざい)の寄進によって創建された長崎市に現存する最古の建物で、これも国宝。ここは初め1階建てで、元和元年(1681)頃2階建てに重層化された。そこで面白いのが1階は黄檗様、2階は和様だということ。それが何の違和感なく調和しているのだ。

さて、大雄とは釈迦如来のことを指し、この中に本尊である釈迦如来坐像が安置されているので大雄宝殿という。この本尊にはなんと!“内蔵”がある。昭和10年頃の仏像修理の際内部から銀製の五臓、布製の六腑などが発見されたのだ。京都清涼寺の国宝・釈迦如来立像には絹製の五臓などがあるのが、金属の五臓があるのはこの釈迦如来が唯一。

崇福寺には中国南部の沿海地域を中心に民間で信仰される航海の神様・媽祖を祀る媽祖堂がある。なかでも崇福寺の媽祖堂は規模が大きく、全国でも唯一媽祖門をも伴っている。



八坂神社

くんちの奉納踊りがされるところのひとつです。

ここは、真ん中の鳥居が邪魔になって見にくいそうです。





松森神社の職人尽

江戸時代の職人の姿を彫ってある。
本殿のまわりにはめてある。

観光の穴場です。観光客がほとんどいません。

ここの境内が「精霊流し」のロケで、精霊船が造られところです。







べっこう

長崎でしか作っていません。よそで作っているのは、偽物です。

江崎べっこう店では、昔、夏はサイダー、その他の季節には紅茶が無料で飲めました。
でも、最近は出してないような感じでした。

べっこうの原料である玳瑁(たいまい)は輸入禁止になりましたが、まだまだ、在庫があり、大丈夫だそうです。




眼鏡橋

日本で最初にできたアーチ型の橋です。中国人によってつくられました。当時日本人にはつくれませんでした。57年長崎大水害のときに一部つぶれましたが、アーチは無事でした。

夜には、ライトアップされてとてもきれいです。




眼鏡橋

中島川改修後、石垣にハートの石がありました。












諏訪神社

5月5日、子供の石段早登り大会が行われます。
10月7〜9日くんちが行われます。
この石段は、無料席です。
くんちは、龍踊、コッコデショ、本踊等の出し物が出ます。






シーボルト

鳴滝塾跡

ドイツの医学者。
1823年、出島のオランダ商館医として長崎に派遣されました。

隣接に記念館が建てられた。(入場料100円)




自由飛行館

さだまさしの店です。
くんち、精霊流しのとき、時々この店にきます。
中は、喫茶店で、さだまさしの本などたくさん置いてあります。
ぜひ、ファンの方はどうぞ。




思案橋ラーメン

福山雅治さんがよく通う店だそうです。
店内には福山さんのサインが4枚ありました。

爆弾ちゃんぽんが好きだそうだす。

私も食べました。
ニンニクがきいていて、でもあっさりしていて食べやすかったです。