大浦界隈


南山手

港から撮りました。







グラバー邸

坂本竜馬は自分のつくった日本最初の株式会社と言われている亀山社中を通して薩摩藩名義で武器を購入し長州藩に横流しする方法を思いつき、最新銃4300丁と旧式銃3000丁をこのグラバー商会から購入した。この銃が第二次長州征伐である四境戦争などで大活躍し長州藩を勝利に導き明治維新を成し遂げる大きな原動力となったのです。このグラバー邸は坂本龍馬や伊藤俊輔、井上聞多などが出入りした記念すべき建物です。










老舗菊水大徳寺

明治期のレトロの看板が目印。

昔ながらの焼き方で、地元で人気の梅ケ枝焼餅。








出島(水門)

出島が有料になりました。

500円。

今まで、無料で見れた「ミニ出島」も有料です。







出島ワールド

今まで、無料で見れた「ミニ出島」も有料です。

中に入らないとスタンプが押せないので、しかなく入りました。昔は無料で見ることができたのにと思ってしまいます。今、500円も要ります。
 2006年3月に5棟復元されました。カピタン部屋の2階は豪華です。








出島資料館

オランダ貿易に関する資料館です。有料

右はミニ出島。


出島の遺構

今、出島周辺は発掘調査、再現工事がされています。












唐人屋敷

左は、唐人屋敷跡石垣。

右は、空堀。唐人屋敷の周囲にある。










唐人屋敷南西隅(左)

唐人屋敷の堀に架けられた橋(森伊橋)。地元の森伊三次さん寄贈。

四隅にはモニュメントが立てられている。


唐人屋敷南東隅(右)

塀の一部が再現されている。





雨やどり

さだまさしのグッズを扱う店。

店には、さだまさしの曲が流れ、生写真なども見ることができる。

グラバー園の出口を下ってきたところにあります。

「がんばらんば」のDVDに見入ってました。

酒のビンがまた、いい形をしています。


瑠璃庵

ガラス工房です。

手作り体験ができます。








福建会館

媽祖行列の舞台です。

正門は三間三戸の薬医門形式で中国風の要素も若干含んでいるが、組物の様式や軒反りの様子、絵様の細部など、主要部は和洋の造りとなっている。

天后堂は、外壁煉瓦造。架構法なども純正な中国式を基調とし、一部木鼻や欄間は和様となっている。このように様式的には和中の併存で、日中の歴史が凝縮された建物である。






天后堂

唐人屋敷内にある、航海安全の女神天后聖母(別称媽祖)を祀ったところです。






観音堂

千手観音を祀ってあり、本当に千本の手がありました。

入口は、石のアーチ門になっています。










ナガサキピースミュージアム

世界の情報を伝えつつも、美しい自然や子供の笑顔、音楽等を通して、平和の素晴らしさを心豊かに味わうことのできる「平和文化型ミュージアム」です。

さだまさしの提唱で、ピーススフィア貝の火運動により建設された。(さだまさし会長のメッセージ





大浦界隈

グラバー園へいく新たな道ができました。以前なら、路面電車で大浦天主堂下で下車、坂を上って行ってましたが、終点の石橋まで行き、左の写真の斜行エレベーター、垂直エレベーターに乗り、グラバー園第2ゲートから入ります。楽で、景色もいいので、お勧めです。








東山手洋館群

明治30年頃に外国人への貸家として建てられた洋館が7棟が残っている。一部が公開されている。

ここ(地球館)が「精霊流し」のロケで、長崎のジャズバー「椎の実」として使われました。
よくみると、看板をかけたところの跡がありました。

付近の景色は、和(寺)洋(洋館、教会)中(孔子廟)があり、私は好きです。




大浦天主堂(26聖人祈念堂)

日本最古の教会です。国宝に指定されている。
入館料必要
付近には、グラバー園(かつての外国人居留地だった一帯に9棟の洋館を集めてある)、瑠璃庵(ガラス作りが体験できるところです)があります。











大浦天主堂の横

この道は有名な大浦天主堂の脇に沿っている道です。坂を上がってくる陽子と聡子や、クライマックスの雨のシーン、息子の背中を見送る母・聡子の後ろ姿などが自然に浮かんできます。











どんどん坂

グラバー園の奥で、普通の観光客がきません。
付近は、今も使われている洋館がたくさんあります。
港も見えて景色はいいです。










オランダ坂

外国人居留地にある石畳の坂をすべてオランダ坂と名付けられていた。












孔子廟

孔子を祭った中国人のシンボル。

極彩色に彩られて美しい。

中国歴代博物館は必見。






中華街(新地)

長崎の中華街です。

会楽園、江山楼が、有名で行列ができる店です。















大波止の鉄玉

島原の乱で一揆が立てこもった原城を攻略するため、寛永15年(1638)正月、長崎で鋳造された石火矢玉と言い伝えられるが、正確な記録はなく、砲身もまた実物・記録ともにない。実用に供されることなく、以後350年間大波止に置かれ“鉄砲ン玉”と親しまれた長崎港の名物である。直径56cm、重量 560kg 。  長崎七不思議の一つに“玉あれども大砲なし”という。地元の元船町がくんちに出す傘鉾の飾り物に、このひな型を用いている。