シャトー・ド・カロリュス(フロンサック)
Chateau de Carolus (A.O.C Fronsac)

 フロンサックのペトリュス

 車のエンジンの音を聞きつけたと同時に待ち構えていたように颯爽と出迎えに出て来ていただいた30歳の青年、アルノー・ルー・ウイリエ。
シャトー・ド・カロリュスのオーナーである。
 カロリュスが造られている此処シャトー・ラギュはリブールヌから北西へ約5km程離れたフロンサック地区にある。
 フロンサック地区のワインが注目されるようになったのは20年ほど前だったであろうか。その後、90年代の中頃シャトー・フォントニルやオー・カルルなど素晴らしいワインが登場したのが記憶に新しい。
 そして今やフロンサックのナンバー・1のシャトーである、と言っても過言ではないシャトー・ド・カロリュスが1998年に新星の如く誕生した。
 ルー・ファミリーはフロンサック、カノン・フロンサック地区でいくつかシャトーを所有しており、その一つであるシャトー・ヴレ・カノン・ブシェがある。
アルノーの祖父が1930年代に高品質のフロンサック・ワインを目指して造り始めたのだ。この頃のフロンサックのワインと言えば、それは所詮、ほとんどが並酒に過ぎなかったそうである。
 祖父は自分のワインはすべてシャトーで元詰を行っていた。ネゴシアンにバルク販売するのが当たり前だった当時としては非常に稀な事であった。そのシャトー・ヴレ・カノン・ブシェ1966年は36年経った今でもまだまだ健全だという。
 祖父の意志はアルノーによって継がれ更に大きな指標が生まれた。アルノーは「自分のワインを造りたかった。フロンサックが持っているポテンシャルを知らせたかった。」



テロワールの特性を完全に分析する事から始め、その結果「フロンサックの土壌ではメルロ100%が最も偉大なワインを生み出す。」という結論に達した。
彼の目指すスタイルは果実味とストラクチャーを重視、そして果実味と樽のハーモニーである。確かにカロリュスは樽負けしていない凝縮した果実味が特徴である。


 案内された非常に小さいセラーは6つの木製キューヴがある。18hlが4樽、30hlが2樽、トノリエはスガン・モローとトランソーである。
 奥には2001年の樽が40樽眠っている。すべて新樽。そしてここでも最高峰のダルナジューが10樽も使用されている。
 カロリュスの試飲の前にシャトー・ド・フロンサック・パノラマ・デュ・テルトル2000年が出された。アルノーの所有ではないが彼のアドヴァイスの下で造られているワインだ。シャトー・ド・フロンサックはアルノーの知人である80歳の老人が所有している8haの畑である。その一部の区画、1haのメルロ100%で造られたのがパノラマ・デュ・テルトルである。2000年が初リリース。50%の新樽で造られており、しっかりとしたタンニンとそれに負けない程の果実味もある。素晴らしいワインだ。将来はパノラマ・デュ・テルトルはアルノーがプロデュースする第2のフロンサック・ワインになるのかもしれない。
 「では、これよりも薄いワインを飲ませてあげよう。」と1ヶ月前に瓶詰されたばかりのシャトー・ド・カロリュス2000年が出された。黒に近いほど非常に濃い色をしており、素晴らしい凝縮感。旨い!非の打ち所が無い。一体どこが薄いのか?そう、彼はたわいない冗談が好きなのである。普段はこんなひょうきんな青年のようだが、肝心なワイン造りにおいては一切の妥協も許さない完璧主義者であろう。そんな職人気質が見事にワインに表現されている。
 そして2001年のバレル・テイスティング。18hlのキューヴからドントスの樽に移された2001年。本人は「柔らかくてしなやかなタイプ。」と言っていたが、ネクターのように濃い。口中が歪むほどである。
 次に30hlのキューヴからスガン・モローの樽に移された2001年。驚くほどのタンニンのレベルである。さすがである。口中に衝撃が走る。
 最後はプレス・ジュースを仕込んだ樽。やはり前者に比べるとやや劣るものの素晴らしいワインである。
 カロリュスにおいては1999年に続き、2000年そして2001年も偉大なワインになることが約束されている。



 たまたまロンドンからの高級食材店の「キャヴィア・ハウス」のバイヤー一行も訪れていた。彼らはシュヴァル・ブラン、ペトリュスを訪問した後、このカロリュスを訪れ、そしてこの後にル・パンに行くのだと言う。
彼らも並外れたフロンサックのワインには驚いてしまい、一人が「これはフロンサックのペトリュスだ!」と言った。思わず私は「同感だ!」と握手をしてしまう。このシャトー・ド・カロリュスは日本だけではなく、イギリスでも旋風を巻き起こすのは時間の問題であろう。
 そして翌日シャトー・ド・カロリュス2001年のプリムール価格が発表されたのである。果たして日本へはどれだけの数量が確保できるのか、インポーターの力量に委ねるしかない。
 昨年初めてこのとんでもないフロンサックを口にしたときは「フロンサックのペトリュスになれるか?」という表現をしたが、今回の訪問で「フロンサックのペトリュス」と断言できよう。

 


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