ふるさとの街紹介


    第四回 山形県米沢市城南町編
       
  この町は私が学生時代3年間住んだ町です。当時は元馬口労町といって
            おった町です。山形大学工学部のキャンパスがあり、その西隣には上杉
            家が新潟の高田から移設した春日山林泉寺があります。
            現在大正時代初めに建てられた山大工旧本館は国の重要文化財に指定
            され正門のとこに保存されております。又JR米沢駅の駅舎はその外観を
            模して造られました。

           

                                                                                                                
第三回 福島県伊達郡伊達町箱崎編
      伊達町は福島市の北隣りの町です。私の父までは伊達町箱崎に住んでおりました。
        祖先の菩提寺はこの部落にある福厳寺(真言宗豊山派)にあります。

      又箱崎の実家はもう全く無くなってしまったのですが、その建物と同じような形      
      で福島市の「民家園に保存されております。
      
        福島市民家園の 旧小野家の建物(当時の養蚕農家の典型のようです)

 箱崎と云う地名の由来
   
この町に愛宕山という山があり、その近くに箱型に似た岩が阿武隈川の方に
    突き出たとこがあったそうで、そこを箱石灘と言ってたそうです、その箱石灘の
   先にある地域ということで「箱崎」と言われたそうです。


 阿武の松原
   愛宕山のふもと東西に通ずる街道に「阿武の松原」がありました。
   この阿武の松原を多くの歌人が詠っており特に藤原実長の歌が
   有名です。


  みちのくの思いしのぶにありながら
      心にかかるあふ(阿武)の松原
   藤原実長

   
    みちのくの信夫にいるあなたへの思いを耐え忍んでおる私ですが
    あなたと会う約束をしたあの阿武の松原が気になってしかたありません



     第二回 福島市陣場町編
             陣場町はJR福島駅より東北方向でいまや駅前の街と言えるとこです。

             私の本籍はこの陣場町になっております。そしてこの街と私の関わりは数十年経た

             現在もつづいております。社会人として家業に戻って、昭和40年代初めに設立され

             た「陣場町中央通り経営研友会」(略称 陣場研友会)のメンバーとして陣場町

             を離れた現在でも参加しておるからです。

陣場町名の由来
 今を去る関が原の合戦(慶長5年 1600年)の時徳川家についた伊達政宗が先祖伝来
 の信達地方奪還をこめて豊臣方にぞくする上杉家の福島城代本庄繁長勢との戦いで伊達
 勢が陣を張った所ということで陣場という地名になったといわれております。
 又逆に本庄勢が陣を張ったからという説もあります。いづれにしてもこの戦では本庄勢が
 勝利したということのようです。
現在の陣場町の誕生
 明治22年までの陣場は福島町の北西の玄関として、旧米沢街道に沿った現在
 の東北電力から北側(現在の置賜町)あたりで現在の陣場町の大半は曾根田村
 でした。
 明治14年にできた米沢街道(万世大路=パセオ通り経由の旧国道13号)が開
 通し、また庭坂街道(現在の国道13号から西町陸橋に向かう通り)が開通しまし
 た。明治22年4月に曾根田村と合併した福島町もこの米沢街道と庭坂街道の交
 叉点(旧陣場交番跡)沿いに町並みも整い、明治30年4月に陣場、南畑、置賜通、
 下谷地、広町、鷹俣、貝吹田の七字をあわせて現在の陣場町となりました。
    
左が昭和50年代までの旧陣場交番交叉点、右が現在の同交叉点です


 第一回 福島市渡利編

       福島市渡利は市街地より東側で川(阿武隈川)と橋(松齢橋、大仏橋、天神橋、

弁天橋他)と山(弁天山)のある風景の街です。

    渡利の地名の由来

     渡利の春日神社の境内にある「信夫渡し碑」に能因法師の歌碑があります。

       「あさち原あれたる宿は昔みし

         人をしのふのわたりなりけり」

         能因法師が二度目の奥州の旅の時常陸から久慈川をさかのぼって奥州信夫の里に着き、旧知の

         友を訪ねてこの地に来たのですが、その人はもう亡くなったと聞き惜別追悼の情から歌った歌

         と言われます。渡利の地名はこの歌に由来してると言われております。

   弁天山

    弁天山は総称で、東から福見山、椿舘、弁天山(八千代山)の三峰からなっており、弁天

山の山頂には弁財天が祀られております。

また椿舘は岩城判官政氏(厨子王のモデルと言われ)が居城した所とされ、明治の文豪森

鴎外の「山椒太夫」の安寿と厨子王の生まれ育った館としてとりあげられた所です。

 
  対岸の御倉町より弁天山を望む


 

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左は山形大学工学部旧本館
(旧制米沢高等工業学校本館)
 JR米沢駅の駅舎