(福島四中昭和31年度卒6組学級通信WEB版第2号)
拝啓 例年にない早い冬となった福島地方は、十月下旬には吾妻の初冠雪、南会津は大雪となりましたが皆様にはご健勝でお過ごしのこととお喜び申し上げます。
さて、ついこの前、松川浦において四中三年六組同級会を開催したばかりで、またまた来年の同級会の話をすることは誠に恐縮に存じますが、これも幹事の務め、お許し願います。
松川浦では、二十三名と予想に反しての参加者があり、来年も開催しようと多数の方々の積極的発言により、直ぐにまとまりました。よくも落ちこばれ集団の三年六組がこれまでになったものだと、他のクラスは驚き(こんなに毎年集まっているクラスはないよとやっかみ半分に羨ましがられます)、あの世で平実先生の自慢している顔が浮かぶようです。
そこで、真面目な話になりますが、皆様の要望を最大限反映させ、次のような企画を作りました。
どうぞ、前回以上の参加者がありますよう宜しくお顔い申し上げます。 鬼に笑われるのを覚悟で、とりあえず、PR方々お知らせいたします。
来年改めて御案内申し上げ、出欠報告をいただきますので、今から参加者の勧誘について宜しくお願いいたします。
敬具
記
一 開催日時 平成十五年六月七日(土)〜八日
二 会 場 会津若松市 芦の牧温泉 大川荘
三 日 程 七日午後福島駅西口広場集合、バスで会場へ
十八時開会 八日朝会場発、会津若松市内二ヵ所
程度見学し、福島駅十二時解散の予定
四 会 費 格安を目指し幹事奮闘中
平成十四年 師走
同級生 各位
幹事 槇 利雄
伊藤一義
2003年1月26日発行
編集後記
(前文略)
三月、四中での初めての教え子達が巣立って行った。 四月、私は一年生の担任を命ぜられた。一年三組、しばらくぶりの担任である。狭い教室に六十四人が詰め込まれ、熱気でむんむんしていた。五学級である。私は一年三組と決まった生徒達に得意の大声で話しかけた。
「いいですかあ、出席を取りますよう。元気よく返事して、その場に立って下さい。名前と顔の確認です」
生徒達はがやがやと騒いでいる。それでも名前を呼ばれると返事と共に直立した。
「堀江章夫くーん」
「はい」
「ああ、堀江くん、椅子の上になんて上がってないで、ちゃんと降りて返事しなさい」
「先生、ぼくちゃんと立ってます。椅子の上になんて上がっていません」
「ええっ」
どっと笑い声が弾けた。堀江くんはぬきんでて背が高かったのである。今平成十四年であるならば、それ程珍しいことでもないし、むしろ、誇りとするのだが、その頃はみな痩せていて小さくて、とても堀江くんに太刀打ちできなかったのであろう。後年彼は学校に私を尋ねてくれて、 「今年上京して銀座を歩いてましたら、私より背の高い外人が二人しかいませんでした。先生、私はこの背の高さで、どこで暮らしたらいいかわかりません。教えて下さい」と言った。彼にとっては切実な事らしかった。
「北海道はどう。広々としていて、すかっとしていて、外人も多くいるそうだし、何も狭くて小さな本州にいることないよ」
私は何故、すぐ北海道というのだろう。この時も北海道と言った。別に北海道の宣伝を頼まれたわけではないのに。また言ってしまった。
冨田守くん、そして行けば堀江くん。
ところが、堀江くんは本当に北海道に行ったと、同級生から聞いた。まことに責任重大である。是非ぜひ北海道に納ってほしい。よい仕事に恵まれてほしいと彼のために祈った。ともあれ、堀江くんは決して椅子の上に乗った背丈でなく、那須くんはまだ私を男のようだと作文に書いてはいなかった。
(途中略)
新しい年度が来て、者共は二年生になった。めでたしめでたしなのであるが喜んでばかりいられない。どうせ小学校から何度も組替えがあって、ニ度も三度も同級生になったり、また別れたりしている生徒達である。第四学区は、外の学区の生徒は全然交らず、同じ生徒達が小学校一年から中学三年まで九年間、同級になったり、また離れたりしているが、教科の担任は同一人だし、生徒同士の気心もわかっているので、三百人以上の生徒の巨大な学級みたいなものであった。五学級六十四名ずつも詰め込まれていた生徒は、六学級に緩和されて、まずは身じろぎぐらいはできるようになった。
六組になった連中は『俺らは余され者だ。出来ねえのばかり集められた』などとぼやいていたが、どうしてどうして、六組は人材が揃っていて、明るくさわやかな学級であった,堀江くんは六組へ行った。体格のいい男生徒がいっばいいたので、彼が悩むほど目立ちはしなかった。
(後略)
平成15年の6組クラス会の概要が決まる
昨年暮れ幹事役の伊藤一義氏より級友各位にお知らせが届いた事と思います
そして正式案内がまもなく届くことでしょうがその概要を掲載します。
「先生の記中学校終編」
三瓶先生から昨年の暮れ先生が書かれた中学校の回想記
が掲載された同人誌を頂きました。
四中時代の思い出を中心に描かれており大部分が我々学年
の級友たちのエピソードで占められております。
6組に関連した一部分を抜粋してこの「波紋」で紹介します。
早くも年が明けて1月も残り少なくなってしまいました。
昨年暮れにこの「波紋」第二号を完成させる予定がなんだ
かんだで遅れてしまいました。
一月半ばに当ホームページの掲示板に「同窓会のページ
を見ました」という投稿があり、そのお母さんが私の弟と四
中で同じ三瓶先生のクラスだったようです。名簿がなく誰が
同級生なのかわからず、全く同級会を開いてないとのことで
これを機に集えることを期待したいと思っております。
伊藤一義氏曰く「3の6から同期生、同窓生に波紋が広がれ
ばうれしいですね」、そんな波紋が広がっていきそうです。
「集まって和、拡げて輪」で「波紋」も悪くないと思います。集りましょう。お会いしましょう」
同人誌「福島自由人 17号」
(福島市宮下町12−2 )
北斗の会発行( H14年11月)