日本文芸研究会『文芸研究』第155集平成15年3月31日

[新刊紹介]押野武志著『童貞としての宮沢賢治』

森岡卓司

 本書は、宮沢賢治賞奨励賞を受賞した前著『宮沢賢治の美学』(翰林書房)に引き続く、押野氏二冊目の賢治研究の著作となる。宮沢賢治像に新たな解釈を与える本書は、ここに改めて紹介するまでもなく、既に多くの場所で議論を呼び起こしており、学術書・研究論文といった枠を超え、広く文芸批評の領域に一つの衝撃を与えつつある。

 賢治の生きた大正日本の社会にとって(そして現代日本の社会にとっても)、〈性/intercourse〉の問題が等閑視すべからざるものであること、今更論うまでもない。その同時代的な文化/文学の文脈を充分に踏まえた上で(第一章「童貞がなぜ問題にされるのか」、第二章「文学者たちはいかに性欲と戦ったのか」)、従来の賢治像を批判的に承けつつ個別のテクストの分析を行い(第三章「賢治は童貞者たらんと欲したのか」、第四章「賢治の恋愛観の基底には何があるのか」)、さらにそれをより広範且つ現代的な視野から捉え返そうとする(第五章「テロリストはオナニストか」、第六章「賢治は私たちを癒してくれるのだろうか」)その論述は、些かスキャンダラスなタイトルの印象とは別に、決して安易に流れることのない、周到且つ着実なものである。

 しかし、本書の白眉はやはり、前著第七章に提起された「雨ニモマケズ」の不可解さを、具体的なテクストの分析によって解き明かそうとする第七章「無償の行為とは何か」にあると言うべきであろう。「賢治の贈与論」と副題された本章は、賢治が拘泥し尽くした他者関係の根源に迫ろうとするものであり、現代なお問われるべき「純粋な贈与の可能性」を賢治テクストに見るその議論は、漱石論にも一貫する氏の問題意識を明確に示すものである。ここに示された「贈与」の困難さ(それは殆どイロニカルでさえある)を読む者は、コミュニケーションとは何か、改めて根底的に問わねばならない。

 一面に於て守旧的な理想の肯定に傾くきらいもあった従来の〈男性恋愛論〉に対するラディカルな批判ともなっているこの迫力ある〈童貞/オナニスト〉論が、賢治テクストの最も中心的な問題の所在を明らかにする議論となっていることは疑いを容れない。著者の明晰さと共に巧まざるヒューモアをも存分に示す本書は、極めて広大な射程を持っていよう。(森岡卓司)

(平成一五年四月一〇日刊・ちくま新書・二二一頁・本体価格七〇〇円)