日本文芸研究会『文芸研究』第百五十一集(平成十三年六月)

 

  谷崎潤一郎「小さな王国」の論理

 

森岡 卓司

 

   はじめに

 

 「小さな王国」(『中外』大正七・八、原題「ちひさな王国」)に於て、教師貝島が転居する先はイニシャル表記らしきローマ字によってその名を伏せられるが、その「G縣のM市」は「東京から北の方へ三十里ほど離れた、生糸の生産地として名高い、人口四五萬ばかりの小さな都会」と詳細な地勢的説明を加えられ、更に近郊には「I温泉」「Hの山」等があるともされる等、あからさまに「群馬縣の前橋市」を想起させるようにも描かれる。このモデル措定によってテクストに付与されるリアリティを重視するならば、伊藤整の所謂「谷崎潤一郎の全作品の中でも最も特色のある現代社会の批判性」*1とは、実体としての大正日本の国家・社会に対する作家(或いはテクスト)の態度に求められることになろう。しかし、過度に素朴な形で実体化された「現代社会」に依存しつつテクストの批評的な再解釈を試みることは、逆にテクスト自体の論理を忘失させる危険をも包含している。

 かつての〈物語批判〉の内最も良質な幾つかが明確に示したように、「不用意な現実への信仰は「物語」」であり、「物語」は「歴史的な存在である私たち」が「依拠するシステムそのもの」*2ですらあるのならば、その名を言葉にもされない「群馬縣の前橋市」という歴史的実在、「近代日本」という大きな「物語」を唯一無二の特権的な実体としてテクストへ介入させることの陥穽には充分留意する必要があろう。もしその行為が、「このテクストの持つ、時代に対する批評性」*3という極めて超越的な「物語」を紡ぎ出しかねないのであれば、そこにより一層の配慮が求められて然るべきこと、言う迄もない。寧ろ、小説テクスト・歴史的実在の何れにあっても本源的に虚構と不可分である〈主体〉の表象にこそ、このテクストの、「物語」に対するより根底的な批評は見出されるべきではないか。

 本論は、以上のような前提に立ちながら、従来の論にも様々に議論されて来た結末部に於ける貝島の「崩壊」の内実を再検討することで、このテクストが開示する問題系を明らめようと試みる。

 

 

  一 「沼倉共和国の人民の富は、平均されて行つた」

 

 沼倉の作る「共和国」は、物語の進行上決して見落とすことのできない重要な役割を果たすものとして、これまでの研究に於ても注目を集め続けている。その「沼倉共和国」を最もよく特徴づけ、また一貫して貝島の動揺を誘いついに結末部の変調を招来するのは、言う迄もなく吉野作造が「共産主義的」と評した*4ところの経済的機構である。

やがて沼倉は一つの法律を設けて、両親から小遣ひ銭を貰つた者は、総べて其の金を物品に換へて市場へ運ばなければいけないと云ふ命令を発した。さうして已むを得ない日用品を買ふ外には、大統領の発行にかゝる紙幣以外の金銭を、絶対に使用させない事に極めた。かうなると自然、家庭の豊かな子どもたちはいつも売り方に廻つたが、買ひ取つた者は再びその物品を転売するので、次第に沼倉共和国の人民の富は、平均されて行つた。貧乏な家の子供でも、沼倉共和国の紙幣さへ持つて居れば、小遣ひには不自由しなかつた。始めは面白半分にやり出したやうなものゝ、さう云ふ結果になつて来たので、今ではみんなが大統領の善政(?)を謳歌して居る。

 しかし、果たして「次第に沼倉共和国の人民の富は平均されて行つた」というこの記述は、額面通り信用するに足るであろうか。

 「両親から小遣い銭を貰つた者」が「総べて其の金を物品に換えて市場へ運」ぶことによって生まれた商品を、「共和国」の秩序に定められた身分に応じて階層的に与えられる「大統領の発行にかゝる紙幣」を使用して売買することで成り立つこの経済機構は、「共産主義的」というよりは寧ろ端的に封建制度を想起させる。そのような状況下にありながら、搾取される人間をも含む「人民の富」の「平均」が述べられることについては、やはり特別の留意が必要だろう。この市場で交換される物品に「生活必需品というより嗜好品や贅沢品が目立つ」ことに注目した小仲信孝は、「共和国」に於ける「平均」を、次のように分析する。

現実の世界では、子供たちの生活は親の経済力の束縛から逃れられない。しかし、「共和国」の内部ではあらゆる〈モノ〉が市場に流通することによって情報化し、富に恵まれた家庭の子弟しか享受できないはずの〈贅沢〉でさえ、誰でもが手に届くものになっているのである。従ってそこでは、物質欲を抑制する必要はない。誰もが平等に欲望する人間になれるのだ。

              【中略】

 「沼倉共和国」の市場は、子供たちが快楽原理に従って消費の時間を自由に享受できる一種の祝祭空間であった。そこでは親の経済力とは無関係に、つまり現実の時間を捨象して〈いま・ここ〉において現出する〈モノ〉の快楽に身を委ねることが可能である。勿論、これは〈モノ〉の豊かさを真の豊かさと思わせる仕掛けでもあって、詐術といえないこともない。少なくとも、たとえば啓太郎のような貧しい家庭の子供の場合、貧困からの脱出の実現を仮象の〈モノ〉の豊かさにすり替えられている。その意味では問題の本質をずらしただけに終わっているのだ。だが、消費文化とはそうしたものであり、その表層文化としての消費が大きく花開いたのが大正時代の特徴ではなかったか。*

 単純数量的な次元にではなく、大正的な「百貨店を中心とする消費の拡大戦略」、そしてその快楽の享受による「親の経済力の束縛」の「すり替え」に「平等」の起源を認めようとする小仲の見解は、示唆に富む。

 この時代に登場した「百貨店」の最大の売り物は、実は商品ではなく、各々の差異に於て決して尽きることのない欲望を互いに煽り続ける購買者達の「眼差される身体」そのものであったことは、夙に指摘される所である*。「沼倉共和国」の市場に於ても、市場参加者個々の欲望がそもそも絶対的に不均質なものである以上、ある商品を所持する、という事態の価値は決して一定の基準で測ることは出来ず、故に不均衡の感覚は原理的には永遠に解消されない。例えば、大正琴を何よりも欲しいと思う者もいれば、他の物品の所持により多くの価値を見出す者もいるであろうし、価値評価が一個人に於て永遠不変なわけでもない。寧ろ、その不均質・変動によってこそ物品の流通及び市場の形成は動機づけられるのであれば、そのような市場の中に於ける、字義通りの共時的な「富の平均化」とは、そもそも不可能である。であるならば、小仲の言うように、「平均」の在処は確かにより抽象的・心理的な次元に求められねばならない。

 しかし、以上の分析が導く当然の帰結ながら、実は小仲の「物質欲」の「平等」という指摘も、「富の平均化」という現象を十分に説明してはいない。「物質欲」、即ち物品の所持によって充たされる欲望を想定するのであれば、対象が「仮象の〈モノ〉」であろうが無かろうが、その偏りは相変わらず解消されないことを見過ごすわけにはいかない。「沼倉共和国」内部に存在するのも同じく市場である限り、その外部に存在する富の不均衡を捨象し得てなお、「〈いま・ここ〉」に於て「仮象の〈モノ〉」を、或いはそれを購うに足るだけの貨幣資本を持っているか否かは、重要な差異として存在しよう。確かに「貧乏な家の子供でも、沼倉共和国の紙幣さへ持つて居れば、小遣ひには不自由しな」いだろうが、その紙幣の所持に不均衡は生じる筈ではないか。

 同じく「富の平均化」という現象に着目する日高佳紀は、それを可能にする「沼倉共和国」の市場的特徴について次のように分析する。

沼倉の権力は資本主義的な市場経済の活動を促すために発動されたのだ。

 しかし、これだけではまだ、「富の平均化」という事態が生じるためには、不十分である。玩具をはじめとする商品を多く所有する者がそれだけ多くの貨幣を得るにすぎないからである。ここで再び先の引用部に立ち返って確認すると、人民の富が平均していく過程で、「商品の転売」が行われていたことが分かる。すなわち、この共和国の市場では、常に商品に対する貨幣の余剰という状態が続いているのである。したがって、商品の売買には必ずそれ自体が価値を生む、という転倒が起きるのだ。言い換えるなら、貨幣が新たな貨幣を生むという逆説である。この市場経済において、最も富める者とは、商品を多く所有する者でもなければ、貨幣を多く所有する者でもない。いかに頻繁に貨幣を売買したか、つまり、いかに貨幣の流通に関わったか、ということこそが重要なのだ。*

 貨幣が発行過多にあり、物品に対して右下がりにその価値を下落させて行く状況、即ち極度のインフレーション状態にあるこの「共和国」の市場に於て、流通の回数をこなすことで富を生産し得る、と日高は述べる。この分析に於て問題とされるのが「最も富める者」である以上、言う迄もなく、これだけでは「人民の富」が「平均化」する仕組みを何ら説明し得ない。しかしながら、この日高の指摘を先の小仲の示唆に沿って捉え返すことは可能であろう。即ち、市場参加者は外部的強制から逃れたこの特殊な経済機構によって無限に続く消費ゲーム(即ち、大正的な「百貨店を中心とする消費の拡大戦略」)に参与する可能性を一様に与えられたのであり、彼らはその可能性に於てこそ平等なのである。

 しかし、両者の分析を経てなお、「沼倉共和国」の経済機構が十全に解明されたわけではない。貨幣が商品に対して右下がりにその価値を下げるとき、どうしてその貨幣は失効しないのか。取引の際に売却者が貨幣価値を信用し得ない市場に於て、そこには物々交換或いは資本の蓄積という手段が魅力的な選択肢として残されている筈であるのに、なぜ誰もそのような手段を行使せずに「買ひ取つた者は再びその商品を転売する」のか。「嗜好品や贅沢品」を求める「物質欲」を時として第一義としないかにすら思われる子供達のそのような振る舞いは、「沼倉共和国」という貨幣共同体の最たる特性が、小仲や日高の指摘した流通する商品やその流通の形態にではなく、そこに使用される貨幣そのものにこそ見出されるべきことを示唆していよう。「沼倉共和国」の富、特に貨幣が帯びる特異な形態、及びその形成する貨幣共同体の特殊性は、今一度注意深く検討される必要がある。

 

 

  二 貨幣という虚構

 

 ここで、その貨幣が如何にして発行されるに至ったかをもう一度確認しておこう。

すると或る日、副大統領の西村が、誰かを大蔵大臣にさせて、お札を発行しようぢやないかと云ふ建議を出した。此の発案は一も二もなく大統領の嘉納する所となつたのである。

 このテクストの前半に、子供たちは明確にその家庭の経済的地位を描き込まれていた。そして、この貨幣制度を施行した沼倉は勿論、決して裕福な家庭の子供ではなく、提案者である「生薬屋の倅」「西村」も、沼倉ほどではないにしろ、「有田」や「鈴木」「中村」に比べて決して裕福な家庭の子供ではなかっただろう。そのことから考えても、この貨幣制度が家庭環境における貧富の差の解消(或いは逆転)に至る富の移動を媒介する手段として立案された事は明らかである。

洋酒屋の内藤と云ふ少年が、早速大蔵大臣に任ぜられた。当分の間の彼の任務は、学校が引けると自分の家の二階に閉ぢ籠つて、二人の秘書官と一緒に、五十圓以上十萬圓までの紙幣を印刷する事であつた。出来上がつた紙幣は大統領の手許に送られて、「沼倉」の判を捺されてから、始めて効力を生ずるのである。総べての生徒は、役の高下に準じて大統領から俸給の配布を受けた。沼倉の月俸が五百萬圓、副統領が二百萬圓、大臣が百萬圓、――従卒が一萬圓であつた。

 内藤によって製造された「紙幣」が、何らかの物品を産出するのではなく、共同体を管理し、その権威を再生産する「役」に応じた報酬として投入されていること、或いは「出来上がつた紙幣は大統領の手許に送られて、「沼倉」の判を捺されてから、始めて効力を生ずる」ことからも分かるように、「沼倉共和国」の貨幣は、何らかの物品を担保にしたシニフィアン、価値章標ではなく、「共和国」の持つ権威の外化形態としての起源を持つものである。その故に、それまでは暗黙の裡に前提されていたに過ぎない子供同士の身分的な上下関係が、「紙幣」投入を契機として数量的に明瞭な形で固定化されていく様が、この場面には描き込まれていると言ってよい。

 繰り返すならば、具体的な市場取引の場にではなく、権威という抽象的存在にその本源的な根拠を持つ点に、この貨幣の特性はある。従って、それが「共和国」への忠誠に対する評価として「共和国」に投入された時点では物品との繋がり・対応を全く欠くこの貨幣は、しかし、あっさりとその靱帯を獲得している。

かうしてめいくに財産が出来ると、生徒たちは盛んに其の札を使用して、各自の所有品を売り買ひし始めた。沼倉の如きは財産の富裕なのに任せて、自分の欲しいと思ふ物を、遠慮なく部下から買ひ取つた。そのうちでもいろくと贅沢な玩具を持つて居る子供たちは、度々大統領の徴発に会つて、いやくながら其れを手放さなければならなかつた。S電力会社の社長の息子の中村は、大正琴を二十萬圓で沼倉に売つた。有田のお坊ちやんは、此の間東京へ行つたときに父親から買つて貰つた空気銃を、五十萬圓で売れと云はれて、拠ん所なく譲つてしまつた。

 徴発に遭った物品の売り手が得るのは、その物品に対する沼倉の価値表現としての貨幣であり、貨幣を価値的なものとして引き受ける次の誰かがいるであろうとする根拠のない期待である。実際に、その貨幣が流通を繰り返す場面は、次のように描かれる。

「いやだよ、いやだよ、内藤君。君やあズルイからいやだよ。もう三本切りツきやないんだから、一本千圓なら売つてやらあ」

「高けえなあ!」

「高けえもんかい、ねえ沼倉さん」

「うん、内藤の方がよつぽどズルイや。売りたくないツて云つてるのに、無理に買はうとしやがつて、値切る奴があるもんか。買ふなら値切らずに買つてやれよ」

 「売りたくないツて云つてるのに、無理に買はう」とする内藤の行為を一旦は非難した上で価格を決定し、取引を仲介する沼倉は、(まるで先の徴発者と同一人物とは思えぬ程に)公正且つ透明な審判者として振る舞う。しかしながら、先述の「沼倉共和国」貨幣の起源に鑑みて明らかであるように、物品―貨幣間における公正な取引価格など、市場内部的な観点からは同定不可能である。即ち、この沼倉の第三者的な介入の身振りは、取引の成否に関わらず貨幣が恰も正当に流通しているかの如く主張するパフォーマンス以外ではない。その正当性に支えられる「共和国」の貨幣は、表現を与えることで複数の欲望を新たに価値付け、関連付ける流動的な市場を構築するのである。

 また同時に、その市場が維持され続けることの根拠もここにある。「共和国」の貨幣について考えるとき、沼倉自身も自らが「共和国」に対して果たす「大統領」という役職に応じた「月俸」を受け取る身分にあったことを忘れるべきではない。共同体の成員のみならず立法者までもがそれに従う(かの如く振る舞う)時、共同体の権威は立法者という個人の具体性を踏み越えてより高次に虚構化され、強固に自閉したアウトノミーを形成する。そして、自らの権威が捺印された貨幣流通についての公正を維持しようとするかの如き先の沼倉の身振りも、同じく自己循環的な虚構の中に共同体の権威を強化すべく作用するのである。従って、貨幣所持者の持つ期待、その交換価値の発動を根底で支えているのは、紙幣に捺印された「沼倉共和国」の強固な権威なのであり、子供達が享受する「富」及びその「平均」もまた、このような虚構のレヴェルに於て存在すると言わねばならない。

 そもそも、個々の欲望を物品によって満たす事が「富」であるならば、貧富の解消(或いは逆転)を実現するには、単純に商品の移動を命じれば済んだ筈であって、そして「百貨店」的な欲望の不均質を考慮しないそのような試みは言うまでもなく失敗に終わろう。限りなく増殖・変形する欲望の、時間的にも質量的にもせいぜい一部をかなえてくれるに過ぎない物品よりも、本源的に交換価値的な虚構の形態を持つ貨幣こそが「百貨店」的欲望にまさに即応するのであり、「沼倉共和国」の貨幣を持っているということは、どのような自らの欲望も、共同体の権威によってかなえられる可能性を保証されている、ということを意味する。如何なるインフレーション状態に於ても誰も貨幣を見捨てないのは、それが市場を超越した「共和国」の権威という虚構によって与えられる無限の可能性を棄却することに繋がるからであった。そして、「富の平均化」という事態も、まさしくこのような貨幣そのものの価値形態に起因して招来される。

 先述したように、「沼倉共和国」に於ける絶え間なき貨幣流通によってもたらされた「富の平均化」とは、個々の所持資産の共時的な差異が解消する、或いはそのような事態の到来が期待されるという現象ではなく、その共時的な差異が連続する流通の時間軸上で常に変動する不確実なものとして否定的に含意され、結果資産の不均衡はさほどの問題ではなく考えられる、という事態を意味する。そもそも貨幣とは、その持つべき価値を未来の可能性に於て含有し、所持するものの欲望を、時間軸の中に宙吊りにしてしまう効果を持つのであるが、この「沼倉共和国」の貨幣が指し示すのは無論、「共和国」及びその権威が存続していくその時間軸に他ならない。

 勿論、これは経済機構に限らぬ「大統領の善政」全体を支える原理でもある。罰則に自らも従うとされる沼倉の描写*8にも傍証されるように、「共和国」に於ける沼倉の「徳望」とは、沼倉という〈王〉自身がそれに従うことで個人の具体性を越えてより揺るぎない地位を獲得した、極めて抽象的な虚構の権威であった。即自的な価値を持たぬ「紙幣」の形態をとる「共和国」の貨幣は、その利用者がその虚構的なる権威に従うことを明確に示す表徴であり、同時にその貨幣は彼らの〈いま・ここ〉を越えた無限の、そしてその故に平等な欲望を紡ぎ出すべく機能する。「沼倉共和国」の貨幣は、貧富の差を権威という虚構の中に産出し、同時に回収・利用するのである。

 

 

  三 もう一つの「王国」

 

 テクストの冒頭につぶさに描き込まれる貝島の職業選択過程について、日高佳紀は「「旧幕時代の漢学者」の家に生まれた貝島が学問によって「立身出世」を目指そうとしたのは家庭環境によって構成されたハビトゥスを社会資本に置き換えようとする欲望」に基づくのであり、その手段たる〈教師〉という職業が「社会を構成する職業の一つとして制度的に固定化」される中で彼の欲望が挫折して行く、と物語を要約し、そこには「体制に対する批判が言外に滲み出ている」と分析する*9。これは貝島の生活が困窮するに至る外在的要因を明確に説明するものと言い得る。が、彼が「月給も少しは殖えて来る」こと等を理由の一つとして立身出世を諦め、その「制度的に固定化された」「教師」という職に留まろうとしたことの内在的な要因もテクストには描き込まれていることを見過ごすべきではない。そもそも、貝島が「学問で身を立てよう」とした動機は何処にあるのか。「幼い頃から学問が好きであった為めに、とうく一生を過つてしまつた――と、今ではさう思つてあきらめて居る」(傍線引用者)とする微妙な書きぶりは、一体何を示唆するのであろうか。

 彼が「お茶の水の尋常師範学校」へ入学するとき、最も大きな障害となったのは「奉公の口を捜して小僧になれ」と主張した父親であった。そして、逆に貝島が「文学博士」になるという意気込みを失うきっかけにも、実は父親が関わっている。

当時の彼の考では、勿論いつまでも小学校の教師で甘んずる積りはなく、一方に自活の道を講じつゝ、一方では大いに独学で勉強しようと云ふ気であつた。彼が大好きな歴史学、――日本支那の東洋史を研究して、行く末は文学博士になつてやらうと云ふくらいな抱負を持って居た。ところが貝島が二十四の歳に父が亡くなつて、その後間もなく妻を娶つてから、だんく以前の抱負や意気込みが消磨してしまつた。

 強烈な反対者がいなくなったことで、逆に貝島の意欲はその強度を失う。彼の「学問で身を立てる」という欲望は、父親という抑圧によってこそ生み出されていたのではなかったか。小僧となるべき自分を否定し進学する自分を、教師である自分を否定し学者になる自分を、というような、現状とは異なる「あるべき自分」を夢見続ける事で貝島の〈主体〉は定立されていたのである。勿論、そのようなロマンティクなあり方は、抑圧が取り去られると共にその強度を失わざるを得ないことを、この記述は明確に告げている。「身を立て」るべき「学問」が「一生を過ま」つものに転化する瞬間、「今」の起源はここにある。

 次に彼が拠ったのは、「新世帯の嬉しさがしみぐ感ぜられて来るに従ひ、多くの平凡人と同じやうに知らず識らず小成に安んずる」という、一見非常に現実肯定的に思える〈主体〉定立の方法であった。しかし、その〈家長〉としてのあり方、即ち次々と子供をもうけ、「彼の収入よりも、彼の一家の生活費の方が遙かに急速な速力を以て増加する為に、年々彼の貧窮の度合いは甚だしくなる一方」とやや常軌を逸していると言わねばならないであろう貝島家のあり方*0を作り出すようなそれも、その実質に於て同じくロマンティクなものであることには変わりがなかった。その等質性は、「学問で身を立てようなどゝしなかつたら――何処かの商店へ丁稚奉公に行つてせつせと働きでもして居たら、――今頃は一とかどの商人にになつて居られたかも知れない。少くとも自分の一家を支へて、安楽に暮らして行くだけの事は出来たに違ひない。」と、学者になることを夢見たときとまるで同じように、有り得べき自らの姿を夢見てやまない貝島の姿にはっきり示されている。そして、「G縣のM市」への転居の契機も、彼のそのようなアイデンティティのあり方に関わろう。

 東京時代の貝島について、「彼が教へて居る生徒たちは、大概中流以上に育つた上品な子供ばかりであつた。その子供たちの間に交つて、同じ小学校に通つて居る自分の娘や息子たちの、見すぼらしい、哀れな姿を見るのが彼には可なり辛かつた」とあるが、勿論、このような対比はまさしく「百貨店」的な欲望の論理に従ったものである。「何処其処のお嬢さんが着て居るやうな洋服が買つて欲しい。あのリボンが欲しい。あの靴が欲しい。夏になれば避暑に行きたい。さう云つて」せがむ子供の欲望は、そして、それをかなえてやりたいとする貝島の欲望は、究極的には根絶することのない差異の中で永遠に止むことなくかき立てられ続ける。

 「其れ等の事を始終苦に病んで、家族の者に申訳がないやうな気持にばかりなつて居る」「律儀で小心で情に脆い」貝島は、それを解消しようと転居を決意する。しかし、既に先行の研究に明らかなように、転居によって貝島の家計は周りの家庭との比較に於て好転するわけではない*11。にもかかわらず、「長い間神田の猿楽町のむさくろしい裏長屋に住み馴れた一家の者は、重暗く息苦しい穴の奥から、急にカラリとした青空の下へ運び出されたやうな気がして、ほつと欣びの溜息をつ」くのは何故か。

 「城跡の公園の芝生の上や、T河の堤防のこんもりした桜の葉がくれや、満開の桜の花が房々と垂れ下がつたA公園の池の汀などへ行つて、嬉々として遊」ぶ子供たちは、東京時代とその趣向を一変させており、そして貝島も「麹町区のF小学校に見るやうな、キチンとした身なりの上品な子供は居なかつたけれど、さすがに縣庁のある都会だけに」と赴任地の生徒を観察する。ここに端的に示されるのは、「都会(東京)−地方」という懸隔の意識、そして都会人たる事を自認する貝島及びその家族が持つ優等の意識に他ならない*2。貝島は、そのような「都会−地方」意識という虚構によって、「百貨店」的欲望の論理から離脱し、自身の、裕福に一家を養う〈家長〉というロマンティクに定立された〈主体〉を保とうとしたのである。そして、そのような虚構が賭けられる転居先「G縣のM市」は、「東京ではない」というただ一点に於て〈家長〉貝島の〈主体〉を支える場所として夢見られたのであり、その意味で「G縣のM市」とはまさしく、「沼倉共和国」と並ぶもう一つの「小さな王国」であった。

 そもそも沼倉と貝島とは、「東京から流れ込んできた」「裕福な家の子でない」とされる沼倉の登場からはっきりある種の類似性を帯びて描き出されている。

  「先生、………」

と、その時野田が又立ち上がつて云つた。沼倉は横目を使つて、素早く野田に一瞥をくれたやうであつた。

「ほんたうに沼倉さんではありません。沼倉さんの代りに僕を立たせて下さい」

「いや、お前を立たせる必要はない。お前には後でゆつくり云つて聞かせます」

かう云って貝島は、遮二無二沼倉を引つ立てようとすると、今度はまた別の生徒が、

「先生」

と云って立ち上がった。見ると、いたづら小僧の西村であった。その少年の顔には、平生の腕白らしい、鼻つたらしのやんちやんらしい表情が跡かたもなく消えて、十一二の子供とは思はれないほど真面目くさつた、主君の為めに身命を投げ出した家来のやうな、犯し難い勇気と覚悟とが閃いて居るのであつた。

【中略】

「先生、僕も一緒に立たせて下さい」

つゞいて五六人の生徒が、どやくと席を離れた。その尾について、次から次へと殆ど全級残らずの生徒が、異口同音に「僕もく」と云いながら貝島の左右へ集つて来た。彼らの態度には、少しも教師を困らせようとする悪意があるのではないらしく、悉く西村と同じやうに、自分が犠牲となつて沼倉を救はうとする決心が溢れて見えた。

 このように描かれる「十一二の子供とは思はれないほど真面目くさつた、主君の為めに身命を投げ出した家来のやうな、犯し難い勇気と覚悟と」を持った子供たちの姿は、決して権威に反抗を見せる、レジスタントのそれでもなければ、〈規範〉や〈制度〉の逸脱者としてのそれでもない。寧ろ、その姿は、修身などの授業を通じて貝島が求めたであろうところの献身的・倫理的な子供の姿に余りに酷似していないだろうか。とするならば、そのような子供たちの中心に立つ沼倉は、まさしく自身の似姿として貝島の目に映っているのではないか。であるからこそ、貝島は「沼倉と云ふ子供にそれだけの徳望があり、威力があつてさうなつたのならば、彼を叱責する理由は毛頭もない」と認めた上で、自らの教師としての役割を代行させようとするのだし、少なくとも一時的にはその企図は成功を収めるのだ。

 勿論、その相似性は、職業上のみならず、この時点での貝島を支えるより重要な部分である家庭生活における〈家長〉としての立場にも及んでいる。貝島家の総領息子啓太郎は、同時に貝島の生徒でもある。そして啓太郎は沼倉によっても、「先生の息子」であると同時にクラスの一員として、微妙に両義的・境界的な立場に置かれている。貝島は啓太郎の微妙な立場を利用することで「共和国」経済の相貌を知り得るのだが、「告げ口」は「云はなけりやいゝ」とする貝島の言葉の直後に、明確な対応を為して告げられる「探偵」の存在は、沼倉もまた啓太郎の置かれた立場について意識的であったことを示すだろう。そして、その啓太郎という存在を通して、貝島は、自らの本来果たすべき庇護者及び監督者としての役回りを、より鮮やかに実現する沼倉の姿を見せつけられ「度胆を抜かれ」るのである。

 「貝島昌吉」と「沼倉庄吉」という両者に共通する「しやうきち」という名に初めて注目したのは「二人の完全な役割交換」の「暗示」とした宗像和重*3であり、続いて小林幸夫は「貧困という同じ出発点を有ちながら、勝者富者の道と敗者貧者の道へとぐんぐん別れていった」「二人の相同性と相違性との距離、その差異の表出」*4をそこに読み込もうとする。しかしここでは、まさしく「勝者富者」と「敗者貧者」とに別れているその明白さに目を移す前に、「しやうきち」というその名に示される相似性の子細が確認されねばならない。貝島にとって沼倉は、自身の忠実なしかし過剰な似姿、まさしく〈鏡像〉として貝島に迫ってくるものに他ならない。貝島が、「叱る」のを「不躾」と、または「端倪し得ないところがある」と感じ、沼倉に興味をそそられながらも不気味さを覚えている記述は、正にそのことの証左である。島が沼に呑み込まれ、貝(金)が倉に納められて行く、という同心円的な理念型を描く寓意を帯びて、両者の名はここに改めて見出される。

 では、一方の両者の差異は如何なる点に於て生じるのか。

貝島にしても満更得意でないことはなかつた。自分はさすがに、児童の心理を応用する道を知つて居る。一つ間違へば手に負へなくなる沼倉のやうな少年を、自分は巧みに誘導した。やつぱり自分は小学校の教師として何処か老練なところがある。さう思ふと彼は愉快であつた。

 貝島の「老練」という自認は、「生徒たち」や「教員仲間や父兄の方面」からの「正直で篤実で、老練な先生だと云ふ」「評判」を受け容れ、内面化することで支えられていたのであり、彼の「愉快」とはそのような他者の眼差しに身を沿わせ、追認し得た喜悦である。この「老練」という自認に支えられる貝島の教師としてのアイデンティティについて、小林幸夫は「指導者としての教師に教導されるべき生徒という制度の永遠性を少しも疑うことな」きものであり、それ故に「いささかの実質をも具えていない」と指摘する*5。が、以上のようなテクストの分析に従うならば、貝島の持つ権威を支えるのは「評判」を内面化した自己についての虚構の意識であり、彼に欠けるのはその虚構=「物語」の強度以外ではないだろう。この意味でこそ正しくそれは(先の「都会―地方」意識と同様に)他者の虚構に依拠する〈制度〉的なあり方だと言い得る。その脆弱さは、先に分析した「沼倉共和国」の権威が持つ自閉的な強固さと比較するならば露わであろう。

 そして、このように根拠を外部に求める権威は、やがて「大いに感奮すると同時に一層図に乗つ」た沼倉の閉じた権威構造の中に価値付けられ、利用されて行く。「共和国」の経済機構の傘下に入ることで「ミルク」確保の手だてを得た後、貝島が洩らす「己はやつぱり児童を扱ふのに老練なところがある」という自認は、〈家長〉としての権威までをも沼倉に代行させ、〈主体〉定立の根拠を完全に譲渡した彼の姿を示している。こうして貝島の虚構を支えるべきものを全て手中に収めた「庄吉」の管理下に、「昌吉」の受け入れていたロマンティクな美名は取り仕切られるのである。

 

 

  四 〈主体〉の「苦しい夢」 ―〈幻想〉の界域―

 

 貧窮の中、「腰の周りから背中の方へ物が被さつて来るやうな、ヂリヂリと足許から追ひ立てられるやうな、たまらない気持」、或いは「ヂリヂリと神経が苛立つて、体が宙へ吊し上るやうになつて、自分の存在が肩から上ばかりにしか感ぜられ」ない、という〈頭/体〉の二分法が顕著な身体的表現によって示される貝島の焦燥は、彼が依拠したロマンティクな〈主体〉が既に崩壊へと追いつめられていることを示していよう。

 その貝島が、いよいよ貧窮の極みに差し迫って想定した解決策は、「彼処の家の倅は己の受持ちの生徒なんだ。………今度一緒にと云へば、おついでよろしうございますと云ふに決まつて居る」という、実質的には金銭に関わりを持たない自らの権威を経済的に換算し流通させようとする行為であった*6。これは明らかに「沼倉共和国」の貨幣と同型的な企図であるが、彼の権威は「評判」によって他律的に支えられるものである以上、その行為は権威そのものを失墜させる危機を抱えることになる。「恥しいことも何もない。己は一体に気が小さいからいけないのだ」と独語しながら思い悩む姿に、彼が拘り続ける〈主体〉定立の根拠とその脆弱さとを明白に認めることが出来る。そして、結局実行に移ることの出来なかった貝島は、沼倉に権威を代行させることで解決を試みるのである。

 この窮迫物語の結末は、次のように締め括られる。

「えゝと、代価はたしか千圓でしたな。それぢや此処へ置きますから」

と、袂から先の札を出したとたんに、彼は苦しい夢から覚めた如くはつと眼をしばだゝいて、見るく顔を真赤にした。

「あツ、大変だ、己は気が違つたんだ。でもまあ早く気が付いて好かつたが、飛んでもないことを云つちまった。気違いだと思われちや厄介だから、何とか一つ胡麻化してやらう」

さう考えたので、彼は大声にからくと笑つて、店員の一人にこんなことを云つた。

「いや、此を札と云ったのは冗談ですがね。でもまあ念の為に受け取つて置いて下さい。いづれ三十日になれば、この書附と引き換へに現金で千圓支払ひますから。………」

 沼倉の「徳望」という虚構が意味を持たない外部へと開かれることによって、「共和国」の貨幣及びその支えるアウトノミーが「相対化」されることは、すでに指摘されるとおりである*7。しかし、「苦しい夢から覚めた如くはつと眼をしばだゝい」た後にも「ミルク」の代価としての「千圓」の支払いを主張する貝島が「共和国」から完全に解放されたかどうかは定かではない。これまでに幾度も言及されてきたように、小学校教員たる彼の月給では到底支払い不可能な大金を表示する「先の札」を、自らの社会的信用における「書附」として流通させようとする貝島は少なくとも、「評判」の内面化という他律的な「物語」に依拠する〈主体〉定立の「苦しい夢」から、未だ覚めていない。

 このテクストに特徴的な幾つかのモティーフ、即ち「沼倉共和国」の貨幣、「百貨店」的欲望の形態、そして「G縣のM市」という架空の名前等は、それぞれ微妙に重なり合いながら、他者の閉鎖系に絡め取られて行く貝島という危機的〈主体〉のあり方を見事に描き出して見せる。「小さな王国」に「現代社会の批判」が認められるとするならば、それは恐らくこの地点を措いて他にない。そして、そこで問題とされたのは、実体としてのリアリティではなく、それを支える虚構の様態であった。それは、想像的仮構による他者(現実)の領略をその根底的な要素として持つマゾヒズムという〈幻想〉的方法*8を引っ提げて登場したこの作家にとって不可避の文学的な課題に他ならない。

《付記》「小さな王国」本文は『谷崎潤一郎全集』第六巻(昭和四二・四 中央公論社)に拠る。但し引用に際して旧字体を新字体に改める等の改変を適宜施した。

《註》

*1伊藤整「解説」(中央公論社版『谷崎潤一郎全集』第六巻 昭和三三・六)

*2跡上史郎「日本現代幻想文学序説―八〇年代から平野啓一郎まで」(『国文学』平成一一・一〇)

*3日高佳紀「〈改造〉時代の学級王国 −谷崎潤一郎「小さな王国」論」(『日本近代文学』第五九集 平成一一・一〇)

*4吉野作造「時論 ―我国現代の社会問題」(『中央公論』大正七・一〇)

*5小仲信孝「欲望する子供たち ―「小さな王国」論―」(『跡見女子大学短期大学部紀要』第三二集 平成八・二)

*6中村三春「流通する身体」(有精堂『講座日本文学史』第一巻 昭和六三・二)等。

*7前掲註3日高論文

*8小林幸夫「「小さな王国」論 ―二人の〈しやうきち〉」(『作新学院女子短期大学紀要』一〇 昭和六一.・一二)は、「法治国家」たる「沼倉共和国」の側面を支える「徳望」及び法の下の平等を示す沼倉の幾つかの行動を指摘している。

*9前掲註3日高論文

*10関礼子「教室空間の政治学 ―『一房の葡萄』・『小さな王国』を中心に―」(『日本文学』平成九・一)は、「貝島家の窮迫は、彼が家族計画という人間の再生産に対する見通しを持たず、家計をはるかに越える七人もの子供を生産し」た事にあるとし、このテクストが発表された二年後、産児制限の主張者であるサンガーの来日に伴う騒動に言及している。

*11前掲註10関論文、或いは前掲註3日高論文等。

*12前掲註3日高論文は、貝島に見られるあからさまな「階級意識」及びその階級構成の転居による変化を指摘している。

*13宗像和重「谷崎潤一郎「小さな王国」」(『国文学』昭和六〇・一〇)

*14前掲註8小林論文

*15前掲註8小林論文

*16この発想の背景には、啓太郎が「先生の息子だからと云ふので、沼倉から特別の庇護を受けて居」たという先例が想起されていよう。

*17前掲註3日高論文

*18このことについては拙稿「踊る〈塔〉―谷崎潤一郎「幇間」論」(『日本文芸論稿』第二五号 平成一〇・三)、或いは「谷崎潤一郎「少年」における「眼瞼の裏の明るい世界」の形象―〈光〉を巡る幻想の論理―」(『日本文芸論叢』第一二号 平成一〇・三)等に既に論じた。