美保純とタコハイ

当時私は、5階建ての都営住宅の4階に住んでいた。
私の家が狭くて汚いからだったのだろうか、親は私が友達を家に呼ぶのを嫌がっていた。
だから、私は友達の家へはしょっちゅう出入りしていたが、友達を家に呼ぶというのは、極めてまれなことだった。

だから、私が友達を家に呼べるのは、家族が家にいない時だけだった。

中学生だったある日、家族が実家に行くというので、私は、受験勉強だか、定期テストだかの勉強があるとかなんとかで、一人で家に残った。当然そんな台詞は嘘であり、単に家に友達を呼んで、泊めたいという考えがあったのだ。

その頃親しくしていた、その友達と酒屋へ行った。
美保純がCMに出演しているというだけで、タコハイという焼酎を買った(後でそれが実は美保純ではなく田中裕子だったと知ったが)。

とにかく美保純は当時、我々のアイドルだった。

深夜のアダルト向け番組も、風営法以前だったので、十分に刺激的だった。
海賊チャンネルを、
「すげえ!」
などと言いながら、はしゃいで見ているうちに夜が更けていった。

何もすることがなくなった頃、
「屋上にあがらないか」
と私は言った。

屋上へ向かう入り口は、普段、南京錠が掛かっており、自由に上がることはできいようになっていた。
手すりはなく、貯水タンクしかない屋上だったから、安全管理のために鍵がついていたのは当然である。
しかし、その日は、団地の外壁のペンキを塗り替えるための足場が付いていて、少々の危険を考えなければ、屋上に昇ることができた。
そもそも、私が友達を家に呼んだ理由の一つに、2人で屋上で酒を呑んだら気持ちが良いだろうなあということもあった。

足場は少し不安定だったし、こっそり上っているいる所を目撃されたりすると、少し厄介だったので、我々は慎重に、まるで、ヤモリか何かのように足場を伝って屋上に到達した。

屋上は、がらんとしており、誰かが乗っけてしまってそのままになっている、ボールやら、ロケット花火の芯やら、石ころやらが散在していた。遠くに2人が2年前に通っていた小学校が見えた。

友達はタバコをふかし。私はタコハイのプルを押し上げた。
「やっぱり、グレープ味よりグレープフルーツのが美味いよなあ」
などと、酒の味を覚えたばかりの我々は話した。

東京の住宅街の夜景を見ながら、
我々は好きな女の話と、美保純主演のピンクのカーテンの話をした。
たくさんの缶焼酎が、足元に転がっていた。

遠くで誰かが打ち上げ花火をあげていた。

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