口裂け女

1980年ごろ、日本中の子ども達の間に「口裂け女」の噂が広がった。

私の行っていた小学校にも、その噂は広がっていた。駄菓子屋で口裂け女用のお守りなどが売っていた。表面がネバネバしていて、親指と人差し指にそのネバネバをつけて広げると、煙のようなものが空中に飛ぶというものだ。その煙が魔除けの効果があるというのだった。

だからといって、我々が口裂け女を心底信じていたかというと、ほとんど全員が、本気にはしていなかった。たぶん、日本中、誰もまじめには信じてなかったのだと思う。だから我々も100m2秒で走るなんてことを聞いては、
「口裂け女のように口紅を塗ったら速くはしれるらしいぞ」
などと言って笑ったり、学校に「口裂け女お守り」を持ってきて、友達に見せびらかしたりして楽しんでいたのが実情だった。

ある日、「隣町の公園に口裂け女が出没する」という噂が友達の間に囁かれた。
私と友人は、真偽のほどを確かめねばならないと、その公園を目指した。

その公園は、高い木々に囲まれ、人通りもなく、隣に墓地があるという、いかにも何かが出そうな雰囲気をもっていた。
公園には、らせん状の高い滑り台があり、一番上の踊り場に上がると、塀の向こうに墓地とその脇をとおる細い路地が見渡せた。我々は踊り場に伏せて、口裂け女を待つことにした。

太陽が沈み、あたりはだんだん暗くなってきた。
「本当に出るかもしれない。」
友達がつぶやいた。
「そんなわけあるかよ。おまえ怖くなったんじゃないのか?」
苛立った声で、私が言った。
「俺、帰る。」

街灯に明かりが灯る頃、私は本当に後悔していた。
(なんで意地なんかはったんだろう・・・)
暗闇は私の恐怖を膨らませ、自転車置き場まで行くこともできなくなっていた。
体はこわばり、私は、あらわれるハズもない、女を待っていた。
滑り台の一部になったように、ただ、視線の先は、墓地の横の路地を見つめていた。

公園が本当の闇に包まれようとしたとき、そいつはとうとう現れた。
赤いコートの女の白いマスクは、暗い路地の街灯の光に、確かに、光っていた。

女が公園の横を通り過ぎ、姿を消すまで、きっと私は息もしなかっただろう。
その後、私は無我夢中で家まで自転車をこいだ。

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