殺人事件

「死んだらどうなるんだろう?」ということを父に聞いてみた。
父は、
「死んだら無だ」
と答えた。
布団に入って無とはどういうことだろうと考えると、寝られなくなった。
行き場がないこと、思考がなくなるという状態を想像することは、難しかった。
ただ、いいようのない恐ろしさが迫ってくるのだった。
死んだ先に(たとえ地獄であっても)、なにかしらの世界があると考えると救われる。
想像することができるからだ。しかし、「無」は、想像できない。
想像できないものがもっとも恐ろしい。

そのとき以来、私は死後の世界を信じなくなった。
地獄、天国、霊魂そういったものは人間が考え出した作り物だと考えるようになった。
「死=無」と考えることの恐怖から逃れるために必然的に生まれたものであると。

小学校5年か、6年生かの時、1コ下の男の子が死んだ。
事故や病気ではなく、殺されたのだ。

父が
「Aくんって知ってるか?」
と、聞いてきたのが、事件を知った最初だった。
「殺されたぞ」

私は、耳を疑ったが、新聞には確かに彼の名前が載っていた。
「27箇所メッタ突き」
という見出しだった。犯人は、近所の大学生か浪人生だった。いつも勉強中にうるさかったので、殺人を計画したと書いてあった。父親の出張中に、母と妹と彼が殺害され、父親だけが残されたということだった。
特に親しかったわけではない。お互いに学童クラブというところに通っていて、学校が終わると一緒に遊んだ。遊んだ思い出はないのだが、その当時学童に通っていた子は、必ずみんなで遊んでいたので、間違いなく遊んでいたはずだ。目立たない普通の男の子だった。
いずれにしても、身近な人間が死ぬということは初めてだったし、殺されるという衝撃的な死因に私は動揺した。

学校に行くと、校長や担任から、話があった。
「トテモイタマシイジケンガアリマシタ・・・」
「マスコミニハトリアワナイヨウニ・・・」

朝会が終わり、教室にもどると、隣の教室から、すすり泣きが響いていた。
4組の女子のすすり泣きは、1時間目いっぱい続いた。
私は、うんざりしていた。「ウルサイナア」と感じていた。

この事件の悲惨さや、知り合いを亡くしたことではなく、私は、この事件を通しての周囲の反応に傷ついていた。なんだか、みんながでたらめで、うそっぱちに見えた。

事件の夕方、ニュースで、彼の自宅の前に報道陣が群がり、野次馬の小学生が、ピースなどをしているのが映っていた。
彼がとてもいい子だったとか、妹を守るように死んでいたとかの報道がされた。彼は凡庸だ。

隣のクラスの女子は全員泣いたそうだ。おまえらは彼を知らない。つられて泣くのはやめろ。

彼の思い出を何かに載せるので、文章を書いてくれとの依頼が来た。なぜ、私にそんな依頼が来たのかも良く分からなかった。その場で断った。おまえは、俺と彼との関係をしっているのか?

私は、
彼のこと、この事件のことは決して忘れないようにしようと思った。
級友が忘れても、私は忘れないようにしようと。
なぜそう思ったのかはわからない。

けれど、とにかく、そう思ったのだ。

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