インドで蛇使いにからまれちゃった話

 1992年に、半年ほど旅行をした。インドやらチベットやらだ。
7月半ばに日本を発ち、中国、チベット、ネパールとまわり、10月の終わりにボンベイについた。

 ボンベイに向かう汽車はすでに3時間の遅れだ。夕方5時ごろダタール駅というところに着く予定だ。ここからボンベイのビクトリアターミナス駅までは目と鼻の先だ。
 突然、汽車が止まった。まあ、そのうち動くだろうと思っていたが、15分経っても30分経っても動かない。車内放送などはない。多少心配になったが、これまで行った国はどこものんびりていて、ちょっとやそっと汽車が遅れるのなんてのに、かまっている人はいない。食べ物を食べたり、居眠りをしたり、談笑したりと落ち着いたものだ。
 しかし、さらに数十分たち、車内のインド人が次々と下車し始めた。なんだかわからないが、慌てて私も汽車を降りた。すると、ビクトリアターミナス行きの別の汽車が来て、それに乗るとすぐにボンベイに着いた。それにしても、1時間以上汽車が止まったままで、何の連絡も無しだった。止まった原因だとか、このさきどうしろという指示は全くなしだ。「どうなっとるんじゃ」と目を吊り上げたが、まあ、それがこの国のやり方なのでしょうがないとあきらめた。

 翌日昼飯を食べた後に人だかりを見つけた。ある予感が私のなかを走った。人ごみを押しのけ、覗き見るとああ、予想通り「蛇使い」であった。我々日本人がヘビ使いと聞いて普通想像するであろう姿をした「ステレオタイプ蛇使い」。
 思えばインド行きを決めた時、インドのことで知っているのは「カレー」と「蛇使い」だけだった。カレーにはすぐに出会えたが(というか、ほとんどカレー味)、蛇使いには縁がなかった。
 怪しい笛の音に合わせ、コブラが鎌首をもたげながら妖艶に踊る。心ときめく蛇ダンスだった。想像と違ったのは、蛇の入っている入れ物が壺じゃなく、蛇の大小に合わせた円形蓋付きの籠だということと、その籠が15個くらい置いてあることだった。「レッドスネークカモーン」の東京コミックショーは3個だったが、それはどうでもいい。
 大満足(たいしたショーではないのだが)のショーを見終え、いよいよお金を払う時、事件は起こった。
 突然蛇使いのおっさんが私に対して怒り出した。
 「ヘイ ナマステ カレーライス ハポネーズ トウエンテイ ルピー!」
 などと怒鳴るのだ。
 どうも、状況を考えると「おまえは日本人だから20ルピー払え!」と言っているようだ。
 しかし、私は逆に「ヘイ ユー フザケンナ バロー ハラエルカ ナマスカール オマエノカーチャンデーベソ!」と2倍の剣幕で怒鳴り返した。なぜなら、私は他のインド人が1ルピーしか払っていなかったのをしっかりとこの目で見ていたのだ。それに、そもそも大道芸というのは、その芸にいくらの値段をつけるかは、払い手に任されているはずだ。事実インド人の中には、1ルピーも払わない者もいたのだ!
 「ジャパーニ ガンジー カルカッタ フォトグラーフ!」
 どうやら、蛇使いは、「オー、ワレ、写真もとったやないか」と言っているらしい。
 ここで負けたら貧乏旅行者のコケンにかかわると思い、なおも突っぱねると、
 「サイババ スネーク バイト!バイト!」
 なんとおやじは冷たい蛇目をしながら、コブラを籠から取り出し、「ニィちゃん金はらわねぇなら、こいつでガブリとやるゾ!」と脅してきた。
 どうも、これで私は、情けなくも戦意喪失。「蛇使いのコブラは毒を抜いている」とどっかの本で読んだことがあるなあ。とも考えたが、もう少し冷静に考えると、20ルピーは日本円で80円だ。80円のために蛇に噛まれるのは、なんだか割りに合わない。
 「えへへ。すいません。20ルピーくらい払うに決まってるじゃないですか。あんな素晴らしいショーは見たことないですヨ。うふふふ。」と、手をすり合わせながら、言おうとした瞬間。
 「ウワァアー!」
 と、背後から歓声があがった。我々のいさかいを見るために増殖した最初の3倍の観衆から発せられた声だった。目をやると、喧嘩の最中に、籠の蛇が次々と脱走しているではないか!大小10匹ほどの蛇がウネウネウネウネと道路を横切り、対抗車線の端に止めてあったタクシーの下に逃げ込んだ。蛇使いは大慌てでタクシーの下に頭を突っ込み、蛇の回収にあたった。
 チャンス!と、私は猛ダッシュでその場を逃げ出し、ホテルの部屋まで走りとおした。翌日私はボンベイを後にした。

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