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01)
テーマ:これからのまちづくり・むらづくり
執筆者:岩手県立大学 山田晴義
ここ数年「まちづくり学校」として、いくつかの農山村の集落にお邪魔している。
まちづくり学校といっても、結局はこちら側も随分教えられているので、この「学校」と いう名前はやめようかという意見もでている。だが他に良い名前も無いし、まあ、お互 いに学びあうのだから「学校」でも良いのではないかというわけで、そのままにしてい る。
私たちが最初にまちづくり学校をはじめたのは、宮城県鳴子町の「石の梅まちづくり 小学校」であり、生き甲斐のある副業形成のために、生活提案のできるむらづくりを 考えるという目的で開かれた。
その目玉は、みんなでモノとかノウハウ、労働力などを持ち寄って成立させる低リス クのモザイク型「農村食堂」だがまだ実現していない。この学校には1年間をかけて 取り組み、少なくとも計画づくりのための学校はきわめてうまくいったと思う。それは、 地元に「石の梅まちづくり創造研究会」という優れた自主組織があったからで、伝統 的な集落組織との関係も、メンバーがうまく調整してくれた。ここでは、地元行政は 最後まで傍観者の立場を崩さなかった。
その次に取り組んだのが、宮城県東和町の嵯峨立地区における「嵯峨立高原夢クラ ブ」だが、ここでは県のソフト事業として地元の行政が積極的に事務局を務めた。対 象の地区には同名の組織がすでにあり、それも町で組織する人材養成塾の卒塾生 が中心と言うことだから地元の態勢は万全だ。テーマの設定段階で一度はつまずい たが(私のせいだが)、結局はがんばって魅力的なむらづくり構想を練り上げた。
いずれもリアリティを目標に置いて取り組んだものだが、まだ実現しないのは気にか かるところである。原因は地元にも我々にもあることは薄々分かってきたが、始めたば かりの実験的な試みであり、地元にとっては合意形成のトレーニング、我々には住民 参加型の計画手法の勉強になればよいと、とりあえず割り切っている。
性懲りもなく、今年度は後期から大学の研究費で、岩手県遠野市の早池峰の麓にあ る山間集落に乗り込んだ。
今までの2例は地元の自治体や集落に、学校を始める動機や主体性があったが、今 回は我々から押し掛けたもので、おまけに「まちづくり学校をやろうよ」と言うだけで、 少々無責任かとも思うが何も誘導しないことにした。それでも毎月勝手に押し掛ける と、何人かが集まってくれて話し合ってきた。次第に参加者の範囲も広がり、昨年末 になって皆さんが自主的に「早池峰学校」事務局らしきものを組織した。3つのクラス のテーマと担当者も決まった。自主的なむらづくり実験の第一歩としては上出来だ。
ところが半年間つき合ってくれた集落のリーダーで早池峰学校の校長予定者自身 から、「おまえさんたちは、何しにやって来るんだかよくわからん。狙いはなんだ」と おっしゃる。
何の私利私欲もなく純粋な気持ちでやってきているのだが、よく考えてみれば言わ れて当然だ。
集落には何人かのよそ者も、技術を片手に同化しており、集落にとって貴重な役割を 果たしているのだが、半年程度の我々が信用されないのは当たり前だ。だが、そう簡 単に受け入れられない方が良い勉強になるかもしれない。
先日は、富山県の農村整備課が音頭をとり、お役人のファシリティターを数人つぎ込 んでの「ワークショップ」に、指導役として立山町のある集落にお邪魔した。ここでは、 自分たちの集落を「むら」と呼び、伝統的な村落共同体組織が明確に残されている。 ワークショップのメンバーの選定から呼びかけまで、組織のしきたりを踏み外すとやっ かいなことになるという。厳めしい区長さんが見守る中で、緊張感のある「ワークショッ プ」を体験した。最後は区長さんの「ワークショップも良いもんじゃの」の一言でホッと した。
いずれは参加型の計画策定手法をタイプ別にマニアルでもつくろうと考えているの だが、その道のりが遠いことは想像に難くない。住民主体のまちづくり・むらづくりを 考えるといっても、こんなにも複雑で多様性を見せる地域関係にふれると、そう簡単 に「これからのまちづくり・むらづくり」などと偉そうなことを言うのは慎みたい。
だが、我々地域の計画や研究に携わる者は、少なくとも地域の個性とエネルギーを 引き出し、新しい力に置き換える手助けのために、根気よく地域との相互学習を積 み重ね、主体形成と課題実現への努力を惜しまないことが大切だということだけは確 かだろう。
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02)
テーマ:中心市街地の再活性化
執筆者:(株)地域計画研究所 阿部重憲
中心市街地の空同化をめぐる問題は、消費不況とも重なり一層深刻になっている。 言うまでもなく、その背景にはモ-タリゼ-ションの進展と大型店出店の事前説明制度 の廃止、調整期間の短縮、市町村の商業活動調整協議会の廃止などが進められ、 昨年は大規模小売店法の廃止に伴う都市計画法の改正、大規模小売店舗立地 法、中心市街地活性化法が制定された。
現在、各都市においては中心市街地活性化法に基ずく「中心市街地活性化基本計 画」の策定が進められており、既に福島県郡山市、福島市などにおいては「同計画」 の国への提出を済ませている。いずれも、いち早く国の支援事業を獲得することに、 そのねらいを定めている。「同計画」の内容を概観すると、これまで検討されてきたハ -ド事業等が中心になってはいるが、今後は、その具体化に向けた計画推進、及びタ ウンマネ-ジメント等のシステム化に向けた取り組みに、その重点が移される。
しかし、「同計画」が描き出している課題のハ-ドルは決して低いとは言えない。何より も大きな課題は、中心市街地への集中的な投資に対する説明性の確立と都市レベ ルでの合意形成である。さらに問題は、「同計画」で描き出した特定の事業のみでは 持続的な再生に結び付くとは言い難く、都市交通問題を含めた都市構造全体の転 換、さらには発展途上国なみの市街地拡大に偏重した都市開発への歯止めに関わ る課題への取り組みが避けられない。
ここで、いくつかの中心市街地再活性化に向けた課題にふれておく。
まず、第一に活性化計画のあり方である。実はこれまでも、市街地の活性化に関わ る計画を策定してきた経過がある。しかし、いずれも行政主導である。仮に住民参 加が試みられたとしても、形式的な参加にとどまっている場合がほとんどであり、事 業主体を想定はするものの、どのように実現していくのかという、戦略が不明確で、 計画実現に対する責任を問わない計画であり、換言するならば「計画のための計画」 であった。したがって、各都市で取り組まれている「中心市街地活性化計画」の基本 は、市民・商業者・行政の自己責任を明確にするとともに、議会責任をも明確にする ような都市レベルでの策定プロセスの共有が決定的に重要である。
第二には、まず都市レベルで問題、及び中心市街地像の共有化を図る必要があ る。
特に、問題の共有なしにハ-ドのプロジェクトを先行させると、まちづくりではなく利益 調整の論議になってしまう。問題を正面に据え、共有化を図るということは、これまで の制度的な欠陥も見え、市民・商業者としての自己責任、地方政府としての政策問 題が浮き彫りになってくる。
第三に、単に中心市街地の論議にとどまらず、独自のまちづくりのシステムを確立す ることである。その延長線上に、広域的な土地利用に関する透明な協議システムを 確立することである。現在、我が国においては、統一的な土地利用計画制度が存在 しない。
昨年、都市計画法の改正により、地方自治体が「特別用途地区」の内容等を定める ことが可能になったが、大規模小売店舗立地法も含め、これらの運用によって、期 待するような土地利用の規制ができるか…というと、むしろ不可能に近い。
いずれにしても、地方分権化の流れの中、土地利用計画は自治事務に移行する。
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テーマ:需要側の発想!高齢時代のむら・まち活性化ニーズ
執筆者:仙台市生涯学習課 佐藤信夫
私の属する団塊の世代は、2004年というと、完璧に初老の段階。ただ、高齢社会を 考える時、福祉や医療などの「なければならない」サービスの充足をただ心配するば かりではさみしい。高齢社会を面白くするような、どちらかと言えば、「あったらなおよ い」サービスにも思い巡らしてもよいのではないかと思う。
たとえば…
●衰える体力や気力を補完するサービス
・商店街の食堂の出前や買い物を引き受ける「配達専門屋」
・山歩きを楽しみたい人のために、マイカーを注文の場所に回送する「行楽客自動車 回 送屋」
●年齢とともに増えるストックの整理と再活用を支援するサービス
・行き先を古本屋、図書館、家宝などに振り分ける「蔵書処理屋」
・人生の記録を整える「写真整理代行」
・捨て難い品を映像処理をして残す「電子物置屋」
●ライフスタイルをリ・デザインするサービス
・サスティナブルな生活をつくる「環境庭師」「薪ストーブ屋」
・中山間地の農家との縁をつくる「縁故米仲人屋」
・肉体作業自体が楽しめる「山仕事塾」
・退職後の人とのつきあい方を学ぶ「集団生活入門塾」
・外歩きを楽しくする「散歩犬レンタル」
●対象限定で高齢者の需要を顕在化させるサービス
・気後れ無用の「高齢者パソコンショップ」
・偉い人お断りの「年金平民酒場」
・温泉療養が必要な人だけの症状別「本格湯治ツアー」
●アイデンティティづくりのサービス
・退職後、無職と書きたくない人のための「肩書き考案屋」
・レコーディング、本の出版、個展など若い頃の夢の実現を支援する「なりたかった 屋」
・昔を思いまどろむ「古民家昼寝処」
・日溜まりを懐かしむ「縁側茶屋」
近未来に空想を巡らすと、いわゆるシルバーサービスの領域はとんでもなく広く感じ る。そこでは、中山間地や中心市街地の資源も生きてきそうな気がする。
むら・まちの資源を、どう活用するかという“供給側"からの発想を一時置いて、"需要 側"の視点…言い換えれば、高齢社会の担い手となる他ならぬ私たちが「その頃に 何が欲しいのか」を考えてみる発想も、少しは有効ではないか。
なお、ここに紹介したサービスのアイディアは純正野外活動研究所(仙台市職員など が会員のグループ)が、昨年、遊び心で作成した『高齢者用達便利屋案内:2010年 の高齢者限定サービスガイド』からの抜粋である。
このガイド発行後に、「干し柿代行」(松山町)、「山仕事塾」(伊那市)などが既にあるこ とがわかり、喜んでいる。
『高齢者用達便利屋案内』のガイドブック、または松山町の「干し柿代行」、伊那町の 「山仕事塾」について、もっと知りたいという方は、センターまでご連絡ください。
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テーマ:豊かな大地に調和した文化創造のまち宮城県登米郡米山町
執筆者:宮城県米山町課長 千葉孝喜
「米山町の現況」
米山町は、宮城県北部登米郡の南端に位置し。北上川下流域に広がる県北部平坦 水田地帯の一部をしめている。平地農業地域に区分され、勾配2000分の1の全くフ ラットな水田地帯であり、農業が基幹産業である。現在、米山町の農業振興方策 は、米を基軸に畜産が結合し、新規振興作物としての露地野菜、施設園芸が結び つく、地域複合により、生産額100億円の確保を目指している。
この施策の主な担い手は、昭和58年結成された米山町農業生産組織連絡協議会と いう、23の組合で構成された農業者グループである。組合を単位として複合経営に 取り組んでおり、米山の農業の牽引役として重要な役割を果たしている。この23の組 合は、新しい作物導入の実証、合理的作物体系の確立、農地の利用調整等の実践 をおこなっている。
米山町農業生産組織連絡協議会は、「組合管理の水田が経営規模の拡大に伴い、 農地の分散取得をした土地の交換による利用調整を図ろう」、「新規に導入しようと する作物を連絡協議会が経費を出し、担当の組合をつくって実証させる。そして、そ れが成功すれば協議会に止めずに全町に公開し、普及しよう」と、農用地利用権調 整と栽培協定/共同化の徹底による組織間の連絡調整/転作生産性向上のための機 械改良等生産体系の確立/集落内、農業後継者のリーダー的役割など、単位組織 では解決が困難な課題を徹底的な話し合いにより検討、実証するために結成され た。これは、それぞれの集落を活動母体とし、水稲以外は不毛の地であった町にお いて、麦、大豆、野菜等の園芸作物を取り入れた周年営農体制をしく複合生産組織 である。
「何故、複合生産組合なのか」
米山町には、昭和60年現在「複合生産組織」と称される生産組織が23組合を数えて いる。昭和52年に結成をみた追土地(おっとち)中央生産組合(米山農協管内)・昭 和53年に千貫生産組合(米山農協管内)・昭和54年に鈴根機械化組合(吉田農協管 内)が米を基幹に一部野菜の栽培に取り組むということで新しい組織活動への試み が開始された。
この組合の結成とこれを受け短台農業協同組合管内でも同様に議論が展開され、 昭和55年3月、種々の課題が整理され「土地込生産組合」・「黄金生産組合」・「短台 中央生産組合」の三組織が結成されるに至り、米山町における生産組織の今日に至 る基盤が整備された。
複合生産組織が結成に至るまでの検討過程をふりかえってみると、
1.米の作業期間以外は組合として何ができるのだろうか。
2.農閑期には、やはり日かせぎに出なければならないのだろうか。
3.農業だけで食べて行けないだろうか。
4.組合と個別を、どう両立させて行くか。
5.組合として年間出役できる体制づくりができないか。
などなど約1年半の間議論を重ね、それらの問題意織を整理して行く過程のなかで 自分達が目途とする組合の輪郭が見えてきたという。
彼等のことばを借りると、「一日でも多く組合に出役できる組合活動の確立」というこ とで目標が定まったのである。その目標達成の手法が、周年農業就労を組合で確 立するということに求められ、いわゆる「複合生産組織」の下地ができたのである。
一般論からして、宮城県北における、米を作目達成とする生産組織の長期に渡る存 続事例は、極めてまれのようである。その最大の原因は、「個」と「組織」の競合が発 生しやすいところにあると思う。稲作農業は、農業機械の普及・農薬などの開発に よって我国の耕種作物では最大限に省力化が進んだ作目であり、人手のかからない 作目として位置づけられ、いわゆる「農繁期」も年々縮少されてきている。そんな中で 多くの良家が余剰労力燃焼の場として、農業以外に就労を求めてきた。
従って、1年365日のうち春の農繁期15日、秋の農繁期15日都合約1ケ月しか活動の 場を有しない「米」単一作物になる組織は、その活動日数が限定され、対話の機会も 少くなく次の段階への契機が得られないまま「個」への傾きが生じ、時として機械の 更新期を迎え解散というはめに追い込まれる。そういうことで水稲生産組織は短命に 終止しているのではなかろうか。もし、1年のより多くを組合活動できる体制があれ ば、そのような事態も発生しにくいものとなるはずである。
「米」を基幹とする生産組織が合理的かつ長期に渡って活動するためにも、組合とし て複合化にとり組むということは、新しいタイプの組織型態だと思うし、組織構成農家 自体の防衛策であるのかも知れない。いずれにしろ、年間約250日の組合出役体制 は確立された。
「農村アメニティ保全形成活動の概要」
さらに、この23組織が農業生産組織連絡協議会を結成。現在では、23組織が議論を し合ってプロジェクトを組み、「新規に導入しようとする作物を連絡協議会が経費を 出し、担当組合をつくって実証させる。そして、それが成功すれば協議会に止めずに 全町に公開し、普及しよう」、「組合管理の水田が経営規模の拡大に伴い、農地の分 散が正比例で増えていく状況で、作業受委託にだされる土地や利用権取得をした 土地の交換による利用調整を図ろう」と、正に生産組織として機能している。ほかに も、共同化の徹底による組織間の連絡協調、生産体系の確立(転作生産性工場のた めの機械改良)、単位組織では解決が困難な課題を徹底的な話し合いにより検討実 証するなど、競合ではなく、補完体制が出来上がっている。
その活動により、100%のほ場整備率、固定化された転作団地の確保、他集落の農 作業を請け負うなど、集落間の「なわばり意識」を超えた結束力が強まった。
また、水稲以外は不毛の地であった町が、麦、大豆、野菜等の園芸作物、花きを含 めて生産を拡大している。
とりわけ、「よねやまチューリップまつり」(消費者や都市との交流を目指して平成5年 から始まった)は、約60万本のチューリップが植栽され、毎年20万人以上が訪れる町 最大のイベント。隣接して作られた「道の駅ふるさとセンターYY」(直売所、体験交流 施設)の運営管理を協議会が主体的に行い、積極的な販売活動を行うことにより、入 場料をとらなくてもよい体制をとっている。
この「ふるさとセンターYY」では、新鮮で安全な農産物ほか、シャーベット、アイスクリ ーム、天然酵母パン、クッキー、もち弁当、チューリップ染めハンカチ、ドライフラワー など女性が開発した農産加工品を販売している。年間を通し安定した生産や販売を 行うため、作目や品種の選定、生産体系の組合せなどを工夫し、売れゆきのよいも のを販売するため、生産意欲もわいてきたようである。また、この施設は、農産物の 販路拡大のためのブランド化や地域特産品のPR、そば打ち、チューリップ染めなど の体験交流の場としても整備されている。
なお、こうした取り組みが町のあちこちに波及し、カナダとの交流により導入したオー ストリッチ(ダチョウ)飼育、パッションフルーツの栽培・農産加工への取り組み、ハー ブ園設置や動物とのふれあい体験の場としてのポニーの導入、もぎたてとうもろこし 直売所など、町内各地で住民独自のアイディアを生かした地域おこし活動が展開さ れるようになった。
土地利用面においても、集落間の協調体制により、町内の水田、麦、大豆などの耕 作団地は、計画的に推進されており、農地の連担性が保たれており、耕地放棄地は ほとんどない。
農業後継者対策として、平成9年に導入された次代の農業のモデル「米山町花き園 芸センター」(5棟、5200?F)では、施設を利用した園芸作物の新技術、新品種の栽培 実証試験や営農相談及び技術指導などを行っている。新規就農者などの長期研修 機能も備え、町外の非農家出身者も含めて就農希望者10名が、いちご、ばら、トマ ト、メロンなどの技術研修を受けており、将来の地域農業の担い手として期待されて いる。また、当町では万葉の歌にも歌われている花菖蒲の原種であるノハナショウブ 〔別名:花且美(はなかつみ)〕の原産地であるとの説があり、この花の保存栽培に本 年度から当協議会が取り組むことになっている。
「今後の展望」
本町は、既に昭和63年に30アール区画の汎用水田の整備が済んでる。しかし、農家 戸数の減少、作業委託の増加などにより、規模拡大に比例し、管理農地の分散が目 立つようになった。そこで米山町農業生産組織連絡協議会及び町では、集落による 話合いを徹底的に行い、農用地の有効活用についての体制整備と推進方策を検 討、2002年を目標に「利用」と「所有」を区分する形での利用の集積を確立するため の行動を起こした。
また、平成9年に完成した、農業後継者育成を目的にした先端技術ハウス「米山町 花き園芸センター」から巣立つ研修生が、やがては地域に目を向け、本町の農業を 担っていくものと大いに期待されている。
平成5年から始まった「よねやまチューリップまつり」は、将来、チューリップの植栽100 万本を目指しているほか、また、新たに「ハーブまつり」の開催に向け、地域農家が意 欲的かつ自主的にラベンダー2000本など植栽し、準備を始めたところであるし、本町 が原産地ではないかとの説がある「ノハナショウブ」の栽培にも取り組み始めた。
<取材協力>「リッチ米山」代表 福泉博様
<参考資料>国土庁:第13回農村アメニテイ優良事例集資料集
米山町の農業
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05)テーマ:家づくりとまちづくり
執筆者:高見調査設計事務所 宮田 猪一郎
1.まちと家
阪神大震災で、建物の倒壌や火災で亡くなった方は5502人だった。私はあの地震を 人災だと考えているから、痛ましい犠牲者である。しかし折角助かった後、仮設住宅 で孤独死や自殺をとげた方が220人以上いる。その原因はコミュニティができていな かったことである。倒壊した時も、近所の人が助け合ったところでは犠牲者が少な かった。地域社会が重要なの災害時だけのことではない。大地震はなくても小さな 災害は日常的にどこでも起きている。地域社会の助け合いはいつも必要である。ま た、異質の他者と共存する地域社会は、社会教育の場であり、行政の手が届かない ところでの地域福祉の場でもある。人はまちにも住まなければならない。ところが 今、「住む」というと「家」しか考えない人が多い。そういう人は、職場と家を往復する 生活で、地域社会は素通りしている。持家政策に乗せられて何千万円の家を買い、 ローンに迫われていると、家を持つことが人生の目的のように思えてしまう。住宅メー カーも家を買えば人生パヲ色という売り方をしているし、ローンの為に働いていれば 家が人生の全てと思わなければいやになるだろう。でもそれは錯覚である。家が全 てではない。まちにも住まなくては人間らしい暮らしはできない。家だけに期待する人 は家に裏切られる。
ローンを払い終わると壌されて建て替えられる家が多い。日本の木造住宅の平均寿 命は25年だそうである。物理的には100年持つ家が25年で壌されて産葉廃棄物にな る。原因はいくつか有るだろうが、家に対する過大な期待から家に失望した人が多 い。そして又メーカーの宜伝に乗せられて、あるいは政府の景気政策に乗せられて、 錯覚する。住環境の問題点の象徴は、寿命があるのに壌される家である。
2.町を作りすぎない
ポーランドにワルシャワという町がある。何百年も昔からの古い建物が並ぶ町だった が、ヒトラーによって徹底的に破壌された。その町を第2次大戦後、市民は昔どおりに 復活させた。それは本当に「昔のまま」であって、傾いた軒は傾いたなりに、汚れた壁 は汚れたなりに復活したのである。そしてそこで市民は生活を始めた。こういうこと はョーロッパでは珍しいことはではなく、町並みを維持することはョーロッパでは普通 である。イタリアの震災の後でも「町並みを元通りに復元して被災者を元の町に返す のが当然」と小田実が報告している(河北新報2月1日夕刊「開口一番」)。日本ではど うか。行政は阪神の災害後、素早く都市計画を決定して、罹災者を自分の町に帰さ ないようにした。神戸の仮設住宅が4年も残った蔭には、自分のまちに帰りたいという 思いで、なかなか他に移る気持ちになれなかった人たちが大勢いる。
「午後の遺言状」という映画がある。新藤兼人が乙羽信子と撮った最後の映画であ る。そこに出てくる痴呆になった元女優が、故郷に帰りたいと言う、夫が付き添って 故郷の村を峠の上から一目見て、それから、二人で日本海に入水心中する。海岸に きちんと揃えて脱いであった二人の履物が、二人の安心と誇りを表しているように見 えて、死ぬ前に故郷を見たかった理由がわかった。まことに生まれ育った村は、その 人のアイデンティティである。もし峠に立った時に村の風景が変わっていたら、もし工 場なんかが建ち並んでいたら、老女は死んでも死に切れなかったに違いない。
町の建物や施設は簡単に作り変えるものではない。町は維持するものである。美しい ものを選んで残そうとするのは邪道である。なにが美しいか、決められるものではな い。祖先が作ったものを残そうとする住民の合意と努力が、建物と町並みを美しくす る。美しいものを残すのではなく、大事にされて残ったものが、美しくなる。
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