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01)テーマ:新たなむらまち交流に向けて
執筆者:(財)東北開発研究センター 澤田孝蔵
むらまち交流の問題点
農村では、農林漁業の後退によって「仕
事」が急速に失われ、過疎という形の失業問題をかかえている。農村のこの衰退をく い止め、その活性化をもたらす地域づくり活動として期待されているのが「農村と都 市の交流」(以下、むらまち交流)である。
グリーンツーリズムや農村型観光開発などが今多くのむらで推進され、それなりの 成果をあげている。
ところが、むらまち交流への期待が強まると、それがマニュアル化され、むらに「~す べき論」としてむらに押しつけられる。例えば、「むらに来るまち人はむらの理解者だ から、その要望にできるだけ沿うようにしなければならない。」とか、「まち人が地域に お金を落とす仕組みを作る必要がある。」等々。
現実のむらまち交流でも、むら人は、自分たちの農産物を買ってくれるまち人に対し て至れり尽くせりのサービスをし、まち人をお客様にしてしまう。それで何がしかのお 金はむら人の手元に残るものの、まち人の満足と裏腹に、むら人には疲れがどっと溜 まってしまう。一方、客人として奉られたまち人の多くは、むら人が提供するサービス を次々に消費し、あるむらで満足できなくなれば、「目新しいサービス」を提供してい ると思われる次の田舎に移って行くのである。
むらまち交流は、マニュアル化されたものも、現実に見られるものも、「生産者として のむら人と消費者としてのまち人」という関係の再生産をめざしているだけであって、 その関係そのものを問題にすることはほとんど無いのである。このようなむらまち交流 が本当にむら再生の力になるのであろうか。
地域(むら)の現場・現実から学び合う
人は「今生きている生命活動(循環原理)との調和」の中でしか生きられない。農林漁 業は、「今生きている生命活動と調和する」ことによって、人に必要な物(多くの食住 衣の材料)をもたらしている。「相互に学び合い、支え合う活動」(協働原理)の中で維 持されてきたむらには、それぞれ異なった地域風土の中で農林漁業を営み、まちに はない生き方・知恵が豊富にみられるところである。
一方、まちは、「競争原理」の中で、ますます過剰な消費(消費のための消費)の場と 化してしまったかのようにみえる。20世紀社会がもたらした2つの基本問題(地球環境 問題と貧困・失業問題)を解決する糸口は、今のまちの中には見出せそうにもない。 未来は、まちにあるのではなく、むしろむらにある。
そうであるなら、むらまち交流は、持続可能なむらの生き方・知恵を学び、まちのあり 方を変えていく(まちのリストラの)場ではないのか。「消費者は王様」気取りでいるまち 人の生き方を考え直す場ではないのか。まち人の生活をうらやむむら人の心の有り様 を変えていく場ではないのか。むらとまちの「物流」も「相互に助け合い、支え合う活 動」のひとつではないのか。むら人もまち人も、目先のお金に振り回されるのではな く、子々孫々にわたって心豊かな生活を持続していく生き方を真剣に探らなければな らない時に来ている。それは、むらまち交流も含めて、人々のすべての行動方法や生 き方の変革(リストラ)を迫るものである。
地域の人々の生活現場に立ち、人々の自主性を基盤として、新しい生き方を探る場 づくり。これが地域づくりではないのか。地域づくりの方法は、むらやまちの人々が創 り出す創意・工夫が無数あるように、また地域が多様であるように、無限に多様であ るが、その方向はこの1点にあるように思う。
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02)
テーマ:景観産業化の私案
執筆者:有限会社トレンドプランニング 須藤 卓
福島に戻って12年。折からの地域振興時に地域おこしに関わり、通産省(財)電源地 域振興センター地域づくり派遣専門家や、景観・交流担当の福島県地域興しマイス ターなどさせて頂いている。
現在ふくしま社会保険センターのカルチャー教室で写真担当講師。11年目の21期、 延べ受講生数は1,360人を超えた。写真の視点から景観産業化「人が主役の借景公 園」について述べてみよう。
お国自慢のできる者は、さいわいである。こういう所は放っておいてもなんとかなる。 問題は自称「なにもない所」の悩みである。足下に豊かな自然があるはずじゃないか と言われるのだが「\への変換キー」がないのだ。例えば水田には、生産工場として集 約された機能美を見出すことができる。が、その景観が金を生むか?答えは「No」な のである。ではと、特化した歴史的背景を持たずにできる延長線に、写真愛好者の 市場があった。
写真マーケットは高校生から年輩まで
層が厚く、一説に2,000万人とも言われる。性別を問わず、概して写真好きの人は活 動的で、関心が向けば遠路や出費をいとわない。中山間・過疎地にとっては魅力的 なマーケットといえよう。
写真愛好家にとって、最大の被写体は家族や身近な人。何十年という時間のフィル ターを突き抜けて、感動の記憶をファイルする。ところが、この背景になるステージ は、不思議なくらいほとんどない。
次に撮影の対象で人気が高いのが花である。花は人を惹きつける。それは純粋に姿 色形の美しさによるものなのか。あるいは古代、咲き集う花に、やがて訪れる結実(食 料)の約束を見出した祖先の記憶によるものなのかは解らないが、花に目を細めるこ とについては老若男女を問わない。
三番人気が風景写真である。意外な様だが風景写真が得意な人は少ない。志賀重 昂著の日本風景論は、わが国の風土の素晴らしさを格調高く謳いあげており、私な どもその気になっているのだが、出かけて行けば簡単に撮れそうでいて、実は風景 写真は難しい。
これら撮影マーケットの一番から三番人気をカバーし、誰でも上手な写真を撮れるこ とを約束する所が「人が主役の借景公園」構想なのである。
対象:ファミリー~シルバー。
施設:一面の花畑+オブジェ+トイレ。
立地:○半径50キロ内に総人口30万人。
○ゆるやかな斜面のある街道沿い。
運営:管理者は兼務でね。
収入:入場料、花・種、花のアイスクリーム等オリジナル商品、売店。
展開:○人を撮る背景を全国公募。
○独創的なオブジェは参加制作。
一般に写真の出来はカメラや人物より状況=背景によるもので、その秘訣は光を遮る ことだと気がつけば、簡単な設備で用は足りる。他所にはできないことをして、この地 のファンをつくることが第一であり、その基礎ができれば民泊や交流の企画も功奏し よう。
そんな花畑が求心力を持つのか?との質問には、各地花の名所を訪ねて見ることを オススメする。はるばる自分の時間と労力をかけて出かけてきた側にすれば、良い 写真が撮れるのなら、数百円など惜しくはない!という消費者心理を理解できるかど うかが鍵となろう。
この施設、字面本来の意味で「遊園の地」であり、小規模自治体にとって都市との交 流・アンテナ拠点になりうる施設である。また昨今は、フォト・セラピー(写真による癒 し)が注目され、老人ホームの元気回復・自己表現・ボケ防止カリキュラムに効果が 認められていることもつけ加えておきたい。
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03)
テーマ:景観産業化の私案
執筆者:有限会社トレンドプランニング 須藤 卓
福島に戻って12年。折からの地域振興時に地域おこしに関わり、通産省(財)電源地 域振興センター地域づくり派遣専門家や、景観・交流担当の福島県地域興しマイス ターなどさせて頂いている。
現在ふくしま社会保険センターのカルチャー教室で写真担当講師。11年目の21期、 延べ受講生数は1,360人を超えた。写真の視点から景観産業化「人が主役の借景公 園」について述べてみよう。
お国自慢のできる者は、さいわいである。こういう所は放っておいてもなんとかなる。 問題は自称「なにもない所」の悩みである。足下に豊かな自然があるはずじゃないか と言われるのだが「\への変換キー」がないのだ。例えば水田には、生産工場として集 約された機能美を見出すことができる。が、その景観が金を生むか?答えは「No」な のである。ではと、特化した歴史的背景を持たずにできる延長線に、写真愛好者の 市場があった。
写真マーケットは高校生から年輩まで
層が厚く、一説に2,000万人とも言われる。性別を問わず、概して写真好きの人は活 動的で、関心が向けば遠路や出費をいとわない。中山間・過疎地にとっては魅力的 なマーケットといえよう。
写真愛好家にとって、最大の被写体は家族や身近な人。何十年という時間のフィル ターを突き抜けて、感動の記憶をファイルする。ところが、この背景になるステージ は、不思議なくらいほとんどない。
次に撮影の対象で人気が高いのが花である。花は人を惹きつける。それは純粋に姿 色形の美しさによるものなのか。あるいは古代、咲き集う花に、やがて訪れる結実(食 料)の約束を見出した祖先の記憶によるものなのかは解らないが、花に目を細めるこ とについては老若男女を問わない。
三番人気が風景写真である。意外な様だが風景写真が得意な人は少ない。志賀重 昂著の日本風景論は、わが国の風土の素晴らしさを格調高く謳いあげており、私な どもその気になっているのだが、出かけて行けば簡単に撮れそうでいて、実は風景 写真は難しい。
これら撮影マーケットの一番から三番人気をカバーし、誰でも上手な写真を撮れるこ とを約束する所が「人が主役の借景公園」構想なのである。
対象:ファミリー~シルバー。
施設:一面の花畑+オブジェ+トイレ。
立地:○半径50キロ内に総人口30万人。
○ゆるやかな斜面のある街道沿い。
運営:管理者は兼務でね。
収入:入場料、花・種、花のアイスクリーム等オリジナル商品、売店。
展開:○人を撮る背景を全国公募。
○独創的なオブジェは参加制作。
一般に写真の出来はカメラや人物より状況=背景によるもので、その秘訣は光を遮る ことだと気がつけば、簡単な設備で用は足りる。他所にはできないことをして、この地 のファンをつくることが第一であり、その基礎ができれば民泊や交流の企画も功奏し よう。
そんな花畑が求心力を持つのか?との質問には、各地花の名所を訪ねて見ることを オススメする。はるばる自分の時間と労力をかけて出かけてきた側にすれば、良い 写真が撮れるのなら、数百円など惜しくはない!という消費者心理を理解できるかど うかが鍵となろう。
この施設、字面本来の意味で「遊園の地」であり、小規模自治体にとって都市との交 流・アンテナ拠点になりうる施設である。また昨今は、フォト・セラピー(写真による癒 し)が注目され、老人ホームの元気回復・自己表現・ボケ防止カリキュラムに効果が 認められていることもつけ加えておきたい。
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04)
テーマ:財団法人『大学コンソーシアム京都』の設立
執筆者:財団法人大学コンソーシアム京都事務局
地域社会、産業界、大学の連携による新たなネットワーク京都・大学センターでは、 諸事業の推進とともに、法人格取得のために準備をすすめてきたが、この度、3月19 日に文部大臣より正式に財団法人設立の許可を受けた。
財団法人大学コンソーシアム京都の設立は、大学間の連携はもとより、地域社会、 産業界、大学の新たな連携を構築し、大学教育、地域社会、産業界の活性化に寄 与するもの。
財団法人大学コンソーシアム京都は、大学関係者だけではなく、京都を代表する企 業、京都商工会議所を始め経済4団体、京都市、京都府からも組織(個人)参加を 頂き、49団体(45大学・短大、4団体)で構成することになった。
設立の趣意
京都地域は大学が多数集積しており、歴史的にも大学都市として発展し、学術研 究・文化芸術活動等を通じて、大学と地域社会及び産業界の繋がりや大学相互の 結びつきが育まれている。
学術の進展、技術革新による産業構造の変化、国際化・情報化の進展等によって社 会が大きく変化を遂げつつある今日、大学はあらためてその存在意義を問われてい る。
大学教育に対する社会の期待や学生二一ズの多様化にさらに対応していくために は、大学、地域社会及び産業界との連携や大学相互の結びつきをより一層深めてい くことが必要である。
1998年度事業計画
《1》大学と地域社会及び産業界との連携に関する調査研究事業
*研究テーマ: 「マルチメディア施設を活用した教育システムの開発」/「インターン シッププログラム研究開発」/「環境学教育プログラムの研究開発」など
《2》大学と地域社会及び産業界との情報発信交流事業
《3》大学におけるインターシップに関する推進事業
《4》大学における社会人教育に関する企画調整事業
《5》単位互換等大学の教育交流に関する企画調整事業
《6》大学の職員に対する研修交流事業
<研究者棟>
京都地域大学研究者データベース
大学コンソーシアム京都では、京都市の地域と大学の活性化に資することを目的と して、京都の経済、文化等に関する研究や、学生による調査活動を支援する研究助 成事業を本年度より開始した。
<社会人棟>
同志社大学今出川キャンパス明徳館を会場に、京都地域36の大学・短大の参加を 得て、社会人のための大学入学フェアを開催した。
志望大学の資料集めや、相談ブースでの入学相談、模擬授業やセミナー、ビデオコ ーナー、全体入学説明会にと会場内の各コーナーは終日来場者でにぎわった。来場 者は、2日間で延べ1,200名にのぼった。
<学生棟>
大学の授業の質を高め、学生の[第4回FDフォーラム]ニーズ、社会の動向に沿った 授業法とは何かについて考える大学教職員の集い「第4回FDフォーラム」を、佛教大 学を会場に開催した。
今回のテーマは、大学・学部・学科をあげた組織的改革と現場の教員個々の努力の 双方をいかにして結びつけ、教育の向上につなげるかというものです。もはや、個々 の教員の善意や熱意だけではどうにもならない程に社会も学生も変化し動いている という共通認識に基づいています。フォーラムには、71大学から約200名が参加した。
http://manzoku.topica.ne.jp/daicen/index.htm
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05)
テーマ:豊かな大地に調和した文化創造のまち宮城県登米郡米山町
執筆者:宮城県米山町課長 千葉孝喜
「米山町の現況」
米山町は、宮城県北部登米郡の南端に位置し。北上川下流域に広がる県北部平坦 水田地帯の一部をしめている。平地農業地域に区分され、勾配2000分の1の全くフ ラットな水田地帯であり、農業が基幹産業である。現在、米山町の農業振興方策 は、米を基軸に畜産が結合し、新規振興作物としての露地野菜、施設園芸が結び つく、地域複合により、生産額100億円の確保を目指している。
この施策の主な担い手は、昭和58年結成された米山町農業生産組織連絡協議会と いう、23の組合で構成された農業者グループである。組合を単位として複合経営に 取り組んでおり、米山の農業の牽引役として重要な役割を果たしている。この23の組 合は、新しい作物導入の実証、合理的作物体系の確立、農地の利用調整等の実践 をおこなっている。
米山町農業生産組織連絡協議会は、「組合管理の水田が経営規模の拡大に伴い、 農地の分散取得をした土地の交換による利用調整を図ろう」、「新規に導入しようと する作物を連絡協議会が経費を出し、担当の組合をつくって実証させる。そして、そ れが成功すれば協議会に止めずに全町に公開し、普及しよう」と、農用地利用権調 整と栽培協定/共同化の徹底による組織間の連絡調整/転作生産性向上のための機 械改良等生産体系の確立/集落内、農業後継者のリーダー的役割など、単位組織 では解決が困難な課題を徹底的な話し合いにより検討、実証するために結成され た。これは、それぞれの集落を活動母体とし、水稲以外は不毛の地であった町にお いて、麦、大豆、野菜等の園芸作物を取り入れた周年営農体制をしく複合生産組織 である。
「何故、複合生産組合なのか」
米山町には、昭和60年現在「複合生産組織」と称される生産組織が23組合を数えて いる。昭和52年に結成をみた追土地(おっとち)中央生産組合(米山農協管内)・昭 和53年に千貫生産組合(米山農協管内)・昭和54年に鈴根機械化組合(吉田農協管 内)が米を基幹に一部野菜の栽培に取り組むということで新しい組織活動への試み が開始された。
この組合の結成とこれを受け短台農業協同組合管内でも同様に議論が展開され、 昭和55年3月、種々の課題が整理され「土地込生産組合」・「黄金生産組合」・「短台 中央生産組合」の三組織が結成されるに至り、米山町における生産組織の今日に至 る基盤が整備された。
複合生産組織が結成に至るまでの検討過程をふりかえってみると、
1.米の作業期間以外は組合として何ができるのだろうか。
2.農閑期には、やはり日かせぎに出なければならないのだろうか。
3.農業だけで食べて行けないだろうか。
4.組合と個別を、どう両立させて行くか。
5.組合として年間出役できる体制づくりができないか。
などなど約1年半の間議論を重ね、それらの問題意織を整理して行く過程のなかで 自分達が目途とする組合の輪郭が見えてきたという。
彼等のことばを借りると、「一日でも多く組合に出役できる組合活動の確立」というこ とで目標が定まったのである。その目標達成の手法が、周年農業就労を組合で確 立するということに求められ、いわゆる「複合生産組織」の下地ができたのである。
一般論からして、宮城県北における、米を作目達成とする生産組織の長期に渡る存 続事例は、極めてまれのようである。その最大の原因は、「個」と「組織」の競合が発 生しやすいところにあると思う。稲作農業は、農業機械の普及・農薬などの開発に よって我国の耕種作物では最大限に省力化が進んだ作目であり、人手のかからない 作目として位置づけられ、いわゆる「農繁期」も年々縮少されてきている。そんな中で 多くの良家が余剰労力燃焼の場として、農業以外に就労を求めてきた。
従って、1年365日のうち春の農繁期15日、秋の農繁期15日都合約1ケ月しか活動の 場を有しない「米」単一作物になる組織は、その活動日数が限定され、対話の機会も 少くなく次の段階への契機が得られないまま「個」への傾きが生じ、時として機械の 更新期を迎え解散というはめに追い込まれる。そういうことで水稲生産組織は短命に 終止しているのではなかろうか。もし、1年のより多くを組合活動できる体制があれ ば、そのような事態も発生しにくいものとなるはずである。
「米」を基幹とする生産組織が合理的かつ長期に渡って活動するためにも、組合とし て複合化にとり組むということは、新しいタイプの組織型態だと思うし、組織構成農家 自体の防衛策であるのかも知れない。いずれにしろ、年間約250日の組合出役体制 は確立された。
「農村アメニティ保全形成活動の概要」
さらに、この23組織が農業生産組織連絡協議会を結成。現在では、23組織が議論を し合ってプロジェクトを組み、「新規に導入しようとする作物を連絡協議会が経費を 出し、担当組合をつくって実証させる。そして、それが成功すれば協議会に止めずに 全町に公開し、普及しよう」、「組合管理の水田が経営規模の拡大に伴い、農地の分 散が正比例で増えていく状況で、作業受委託にだされる土地や利用権取得をした 土地の交換による利用調整を図ろう」と、正に生産組織として機能している。ほかに も、共同化の徹底による組織間の連絡協調、生産体系の確立(転作生産性工場のた めの機械改良)、単位組織では解決が困難な課題を徹底的な話し合いにより検討実 証するなど、競合ではなく、補完体制が出来上がっている。
その活動により、100%のほ場整備率、固定化された転作団地の確保、他集落の農 作業を請け負うなど、集落間の「なわばり意識」を超えた結束力が強まった。
また、水稲以外は不毛の地であった町が、麦、大豆、野菜等の園芸作物、花きを含 めて生産を拡大している。
とりわけ、「よねやまチューリップまつり」(消費者や都市との交流を目指して平成5年 から始まった)は、約60万本のチューリップが植栽され、毎年20万人以上が訪れる町 最大のイベント。隣接して作られた「道の駅ふるさとセンターYY」(直売所、体験交流 施設)の運営管理を協議会が主体的に行い、積極的な販売活動を行うことにより、入 場料をとらなくてもよい体制をとっている。
この「ふるさとセンターYY」では、新鮮で安全な農産物ほか、シャーベット、アイスクリ ーム、天然酵母パン、クッキー、もち弁当、チューリップ染めハンカチ、ドライフラワー など女性が開発した農産加工品を販売している。年間を通し安定した生産や販売を 行うため、作目や品種の選定、生産体系の組合せなどを工夫し、売れゆきのよいも のを販売するため、生産意欲もわいてきたようである。また、この施設は、農産物の 販路拡大のためのブランド化や地域特産品のPR、そば打ち、チューリップ染めなど の体験交流の場としても整備されている。
なお、こうした取り組みが町のあちこちに波及し、カナダとの交流により導入したオー ストリッチ(ダチョウ)飼育、パッションフルーツの栽培・農産加工への取り組み、ハー ブ園設置や動物とのふれあい体験の場としてのポニーの導入、もぎたてとうもろこし 直売所など、町内各地で住民独自のアイディアを生かした地域おこし活動が展開さ れるようになった。
土地利用面においても、集落間の協調体制により、町内の水田、麦、大豆などの耕 作団地は、計画的に推進されており、農地の連担性が保たれており、耕地放棄地は ほとんどない。
農業後継者対策として、平成9年に導入された次代の農業のモデル「米山町花き園 芸センター」(5棟、5200?)では、施設を利用した園芸作物の新技術、新品種の栽培 実証試験や営農相談及び技術指導などを行っている。新規就農者などの長期研修 機能も備え、町外の非農家出身者も含めて就農希望者10名が、いちご、ばら、トマ ト、メロンなどの技術研修を受けており、将来の地域農業の担い手として期待されて いる。また、当町では万葉の歌にも歌われている花菖蒲の原種であるノハナショウブ 〔別名:花且美(はなかつみ)〕の原産地であるとの説があり、この花の保存栽培に本 年度から当協議会が取り組むことになっている。
「今後の展望」
本町は、既に昭和63年に30アール区画の汎用水田の整備が済んでる。しかし、農家 戸数の減少、作業委託の増加などにより、規模拡大に比例し、管理農地の分散が目 立つようになった。そこで米山町農業生産組織連絡協議会及び町では、集落による 話合いを徹底的に行い、農用地の有効活用についての体制整備と推進方策を検 討、2002年を目標に「利用」と「所有」を区分する形での利用の集積を確立するため の行動を起こした。
また、平成9年に完成した、農業後継者育成を目的にした先端技術ハウス「米山町 花き園芸センター」から巣立つ研修生が、やがては地域に目を向け、本町の農業を 担っていくものと大いに期待されている。
平成5年から始まった「よねやまチューリップまつり」は、将来、チューリップの植栽100 万本を目指しているほか、また、新たに「ハーブまつり」の開催に向け、地域農家が意 欲的かつ自主的にラベンダー2000本など植栽し、準備を始めたところであるし、本町 が原産地ではないかとの説がある「ノハナショウブ」の栽培にも取り組み始めた。
<取材協力>「リッチ米山」代表 福泉博様
<参考資料>国土庁:第13回農村アメニテイ優良事例集資料集
米山町の農業
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テーマ:ボランティアの発想源?「鶴の恩返し」の日常感と遊び心?
執筆者:東北大学リケンエン
「指一本でできるボランティアがあります」?車椅子の青年のためにエレベーターの ボタンを押す女性?公共広告機構(AC)が最近展開しているCMである。
多少の誤解を恐れずに言えば、世間には、ボランティア活動に没頭している一部の 人と、それを特殊なものと見ている大多数の人がいて、その間に断絶が生じている のが現実だと思う。ボランティア・グループはしばしば「地域福祉の向上」や、「自然 環境の保護と改善」などといった大きな目標を掲げがちであり、生活感や面白さ、楽 しさが伝わりにくいところに、両者の断絶の原因があると思われる。
ACの広告は、「特殊な活動」ではなく、「日常の生活の一部」としてのボランティア活 動を訴えるものであることはいうまでもない。そして今、ボランティア活動を活気づけ る妙薬といえば、まさにこのような「日常感」と、ほんの少しの遊び心ではないだろう か。
横浜市鶴見区に、そんな日常感と遊び心にあふれるグループがある。それが、ボラ ンティアグループ「鶴の恩返し」である。JR鶴見駅から東に徒歩10分、本町通商店街 の一角にある「潮田地域ケアプラザ」※は、平成6年、横浜市が設立して、区社協に 運営を委託した、いわば「公設民営」の施設である。この施設で主催された「男性の ための福祉講座」の受講生4人によって、平成7年1月に、「鶴の恩返し」は結成され た。
以前、ユニークなグループ名の由来について尋ねたら、鶴見区、鶴見川の「鶴」と、 地域への「恩返し」、そして若い人たちが「覗きたくて仕方がない」ような、魅力的な 活動を目指すという意味を込めて名付けたという答えが返ってきた。現在の会員は 50名余りで、定年退職後の男性が大半を占めている。高齢者向けの配食サービス や、送迎サービス、デイ・サービスの補助、ワープロ・パソコン教室、障害者の自助具 作り、介護用品の相談など、多種多様な活動を展開している。
「鶴の恩返し」の日常感と遊び心は、まず小道具から始まる。いや、大道具も含めて である。メンバーお揃いの白いジャンバーの背中に、トレードマークの鶴が鮮やかな ブルーで描かれている。送迎活動用の車には、逆にブルーのボディーカラーに白色 の鶴。「鶴」という具体的な形は、メンバーにグループに所属している実感を与え、メ ンバーのアイデンティティ形成に効果的なだけでなく、地域の人々に「楽しく」、かつ 「親しみやすい」イメージを与えているといえよう。
「楽しさ」や「親しみやすさ」に対する演出は、活動の命名からも伝わってくる。例え ば、グループ成立を告知するチラシには、「コンビニエンスストア『鶴の恩返し』開 店!!」という大きな文字が踊っており、活動項目の一覧として、「トランスポート」(送 迎)、「お助けマン」(家事援助)、「おむつショー」(介護用品の紹介・説明)などが掲げら れている。また、昨年結成された「見守り隊」は、高齢者向けのお弁当配達活動 に、「安否確認」の意味を込めたものである。
これらは、人生経験豊富なメンバーたちの遊び心の結晶といえる。ちょっとした遊び 心から生まれた工夫によって、ボランティア活動は、単に「地域福祉向上」といった定 型的、目的適合的な「堅い」活動ではなく、定年後のおじさま方の熱い心と豊かな人 間性が染み込んだ、日常的な、普通の活動として受け止められるようになるのであ る。「鶴の恩返し」の、日常に根ざした発想によるユーモラスなネーミングは、ボラン ティアと受益者の間の距離を一挙に縮めるのに成功した。
「鶴の恩返し」は、「第6回全国ボランティア活動記録コンクール」で「厚生大臣賞」を 受賞したことから、横浜にとどまらず、全国でも一躍有名な存在になった。受賞の理 由は、重岡事務局長の文章力に依るところも大きいだろうが、重岡さんに言わせれ ば、「それは、一つの活動では絶対に終わらせないぞというところに面白さがあるから じゃないのかな」という。単一の活動に決して満足せずに、常に活動の中で新たなニ ーズを発見し、絶えず新しいことに挑戦することが、このグループの最大の特徴であ る。
グループ成立当初は、配食サービスのお弁当を配ることと、ケアプラザで行われる デイサービスの補助がメインの活動だった。しかし、高齢者や障害者の方との会話 から、外出がいかに困難かという「愚痴」をたくさん聞き、「鶴の恩返し」は送迎活動 を始める決意をした。「運転ならできる」と、車の獲得に奔走し、メンバーからの寄付 と日本財団による援助で現在4台の送迎用の車を所有している。
「お助けマン」は、さらに弁当配達と、デイサービスの補助および送迎から生まれた活 動である。「屋根が壊れて雨が漏れる」、「庭の雑草が手に負えない」…これらの「愚 痴」は、いつも「鶴の恩返し」のサービス品目を増やすきっかけとなる。同じよう に、「オムツの種類が多くてよく分からない」という愚痴から、「オムツショー」も誕生し たわけである。
3年前、鶴見区の社協で高齢者や障害者向けに2ヶ月の期間でワープロ教室を開い た。「2ヶ月だけじゃあ、分からない」とまた「愚痴」が聞こえる。「鶴の恩返し」がワープ ロメーカーに旧型ワープロの寄付を呼びかけたのは、やはりその「愚痴」からであっ た。そしてケアプラザの一室を借りて、集めたワープロで教室を開いた。そこでワープ ロを習得した人がさらにボランティアとなって、今度は後から入った人に教える。この ようにワープロ教室がどんどん拡大していって、今ではパソコン教室も加わって、作 業所づくりをめざす自助グループ「虹の会」として新たなスタートを切った。「鶴の恩 返し」から新しいグループが誕生したわけである。
「一つの活動だけでも、ちゃんとやっていれば立派なボランティア。だけど、それだけ で本当に問題が解決することは少ない。実際一つの活動をやっていると、面白いぐら いに次から次へとニーズが見えてくる。ニーズがあればやってみる価値はある。でき るかどうかは、やってみないと分からない」と、メンバーたちは語る。
次から次へと生まれてくる新しい活動は、高齢者や障害者の方の「愚痴」からだとい うことは、興味深い。普段聞き流されがちな「愚痴」は、なぜ「鶴の恩返し」ではアイ デアを生み出す宝庫となったのだろうか。それは、65歳以上の方がメンバーの大半 を占める「鶴の恩返し」では、それらを単なる他人事の愚痴としてではなく、自分たち の現在の日常、あるいは将来の日常とも深く関わるようになるかもしれない、切実な 大問題として見ているからではないだろうか。
ボランティアに夢中になる人と、全く無縁の人との間にできた深い断絶は、ACの広告 等の啓蒙活動だけでは埋めることができない。その間に橋を架けるには、ボランティ アの大切さ、楽しさ、面白さをじわじわと広く一般に染み込ませていくことが必要だと 思う。「鶴の恩返し」はその橋のかけ方を私たちに教えてくれた。自分が生活する日 常、そして人間性あふれる遊び心に、ボランティアの発想源があるのだと。
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07)
テーマ:=快適に暮らす=つながる=循環の社会=パーマカルチャーで実現へ
執筆者:自然農園うれしぱもしり 酒匂 徹
パーマカルチャーとは、人間にとっての永続的な環境を創り出すためのデザイン体 系のこと。パーマネント(永久的な)とアグリカルチャー(農業)を縮めたもの、同時にパ ーマネントとカルチャー(文化)の縮約形でもある。植物、動物、建物および水、エネ ルギーなどの要素だけを扱うのではなく、それらの要素をその場所にどのように配置 するかによって、各要素間にどのような関係をつくりだせるかを扱うものである。 その ねらいは、生態学的に健全で、経済的にも成り立つ一つのシステムをつくることであ る。植物や動物の固有の資質とその場所の建造物の自然特徴を活かし、最小限の 土地を活用して、都市にも田舎にも生命を支えていけるシステムをつくり出していく。
(「パーマカルチャー」ビル モリソン著
(農文協からの一部抜粋)
環境問題をはじめとする現代社会の諸問題は、行き過ぎた専門化や細分化に芽を 発していることがほとんどだという理解のもと、パーマカルチャーは逆にそれぞれの 「つながり」を意識し、大事にします。「畑」と「台所」をつなぐと「ゴミ問題」はかなり軽 減しますし、さらに「鶏」や「ミミズ」をつなげると「ゴミ」は「資源」にもなり得るのです。 その「つながり」の多様性をより多く実現することがパーマカルチャーデザインの最も 重要なポイントです。
そういう意味では、ついこの間まで続けられていた伝統的な日本の農村の暮らしの中 にも、素晴らしいデザインが随所に見受けられました。 家の裏山の急斜面の竹藪 は、地震がきても崩れないように地盤を固め、竹材や筍を提供してくれます。
家の裏を囲む防風林は、常緑の針葉樹が中心で、風を防ぐだけでなく、夏にはマイ ナスイオンがたっぷりの涼しい風を家の中に送り込んでくれます。材木や副産物(カ ヤの実は食用になり油も採れる)も提供してくれます・・と、いった具合に、一本の樹 木が様々な役割を果たすように植えられることで、お互いが助け合う関係がたくさん できて「空間」としての「つながり」が豊かだったり、さらに暮らしの中の仕事の一つ一 つが必ず次の仕事に結びついているので「時間」の「つながり」も密接だったのです。
しかし、現代に生きる私達は、逆にあらゆる「つながり」を断ち切るようにしむけられて 育ち、「過剰なほどの豊かな暮らし=競争・汚染が溢れる社会の中で生活していま す。だからと言って、「昔の方が良かったんだから、その頃の生活にもどろう」と簡単 に言ってしまうことも(残念ながら)できません。戻りたくても、自然環境や人間の感 性、能力はもうすでに変わってしまったのですから。
パーマカルチャーが、それぞれのおかれた条件の中で「つながりがいっぱい詰まった 自然と共生できる暮らし」=「協力・循環で満ちた社会」を、どうしたら実現していける かの具体的な一歩を提供してくれることだけは確かです。
昨年の秋号で紹介された宮城県川崎町の「びいなす・ふぁあむ」大森英俊さん、玲子 さんもパーマカルチャーの実践者。
下の挿し絵は、自分たちの暮らしを基軸として自然と共存しながら、どのように快適 なものにしていくかを、衣食住から仕事など生活全般にパーマカルチャーの手法を 活かしている一例です。
また、田舎をベースとした自然とつながる方法を一つの提案として通信(びいなす ・ ふぁあむ便り)やイベントで発信しています。今回のイベントには私も招かれています。
カッコイイ百姓になりたい!
なちゅらる・ふぇすた サバ~イDAY '99
宮城県川崎町 びいなす・ふぁあむ
大森英俊さん、玲子さん
と き 1999年7月4日(日)
午前10時~午後4時
ところ びいなす・ふぁあむ
TEL/FAX 0224-84-4911
宮城県柴田郡川崎町大字前川字裏丁34
内容
1.パワーアップ講演会 講師酒匂 徹
「今、ここに暮らす、
私のためのパーマカルチャー」
2.目からウロコのワイワイ座談会
「田舎で暮らす 仕事と生活」ほか、田舎暮らし見本市、百姓資料館、畑仕事をグレ ードアップするための手道具の種類、使い方、手入れの仕方の実演解説。中古機械 の再活用、ちょっとお洒落な百姓アイテムの紹介、田舎の素材を暮らしに活かす手 づくり品の販売、軽食コーナー等々。ミニコンサートも。1974年に、それまで公害反対 運動などに奔走していた生態学者であるビル・モリソン氏らが、単に反対するだけで なく、具体的な循環型社会の在り方として提唱。現在では生産者と消費者を結ぶ流 通体系、新たな経済活動(例えば金融や生協的事業)、住区整備、循環型の地域づ くりなど社会全般において応用。発祥の地であるオーストラリアはもとより、全世界に 普及しつつある。
<筆者紹介>
1993年~94年にニュージーランドでパーマカルチャー デザインコースを修得。
帰国後は生まれ故郷でパーマカルチャーの概念を活かした自給中心の農場づくり に取り組んでいる。現在では各地での講演や個人宅のデザイン指導等を通じて、そ の普及にも力を注いでいる。岩手県東和町在住
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08)
テーマ:-昭和の暮らし博物館-談話室
執筆者:東京都板橋区 戸張公之助様より
小泉家住宅
この博物館の建物は、昭和26年に建てられ、館長を勤める小泉和子さんのご家族 が、実際に平成6年まで住んでいたものである。無人となってしまった家を壊してしま うことも考えたが、この時期に建てられた住宅がほとんど残っていないこと、家財が そっくり残っていることから、戦後の庶民の暮らしの資料と位置づけ、今年2月、博物 館を開館させた。ご支援のほどよろしくお願いします。
所在地:〒146-0084
東京都大田区南久ヶ原2-26-19
tel&fax:03-3750-1808
開館日:金・土・日 10:00~17:00
入場料:大人 500円 高校生以下 300円
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09)
テーマ:羊(サフォーク)の譲渡先を募集中未来開拓者共同会議
執筆者:山形大学 楠本雅弘様より
未来開拓者共同会議は、地球環境との共生をめざす暮らし方や農林漁業のあり方 を、さまざまな分野で研究、実践、普及活動を展開し、ネットワークを築いてきた。
97年からは岩手県東南部、宮沢賢治ゆかりの種山牧場を住田町から借り、170頭の 羊を飼い、地域複合経営をめざしている。しかし、羊肉・羊毛販売で提携してきた企 業が規模を縮小、資金難に陥ったため、今年6月に牧場経営から撤退することになっ た。その際、会員の牧場に分散しても収容しきれない羊(サフォーク)の譲渡先を捜し ている。
連絡先 未来開拓者共同会議
事務局長 吉田誠・喜久子
tel&fax:03-3634-0910
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