2000年3月号

01)ツーリズムはまちづくりだ!
02)小国町と学生集団「鯖キムチ」
03)多様な連携によるグリーン・ツーリズムの実践へ
・演劇を通じて感じたグリーン・ツーリズム
・メリット還元型まちづくり
・アドプトシステム
・都市農村計画研究会第3回シンポジウム報告



01)
テーマ:ツーリズムはまちづくりだ!
執筆者:(財)学びやの里事務局長 江藤 訓重

■はじめに
熊本県小国町は、阿蘇北外輪山の山麓に位置する町です。1960年頃に16,000人い た人口は、高度成長期に急激に減少し、現在は1万人を割っています。若年層の流 出によって次第に高齢化が進み、近年では少子化も相まって高齢化率は25%を超え ています。特に町の主力産業であった林業は、後継者不足と安価な外材の輸入によ る国産材の不振が深刻な問題となりました。
このような状況のなか、1985年より、『悠木の里づくり』に取組み、新しい農山村のあり 方を探ってきました。キーワードは“悠"。悠久の年輪を刻む杉、悠然と噴き上げる地 熱、悠々たる自然といった地域資源を最大限に活用し、魅力ある町づくりを目指して きました。まずその出発点として、小国杉を活用した斬新なデザインの木造建造物 をつくり、核となる景観づくりに取り組んできました。また、これらの建造物は多くの 人々との出会いの装置となり、交流を生み出し、地域が開ける原動力となったので す。

■悠木の里づくり
1990年から、大字ごとに次代の地域リーダーを中心に土地利用計画チームと呼ばれ る組織が6つ生まれ、「よそ様の土地に夢を描こう!」を旗印に、将来の有効な土地の 使われ方や乱開発への監視を目的に活動を始めました。当初「土地利用計画チー ム」は、各地区の地域資源をウォッチングして地域資源マップにまとめ、ブレーンスト ーミングやKJ法によって地域の問題点を整理していったのです。そして土地の利用 を考えるには、地域の目標~理念がまず必要であることに気づき、その理念に沿った 計画を立てる試みは、コミュニティープランと呼ばれ、土地利用計画チームもコミュ ニティープランチームへと変貌しました。しかし、このような動きにも障害があったこと も事実です。小国町は九州を代表する古くからの杉の産地であり、町の経済はそれ によって成り立ってきました。木材価格が低迷する中にあっても“杉への執着"は微塵 も変わらなかったのです。杉には土地が必要です。多くの山林を所有することがこの 町でのステータスを決めました。その意味では土地本位制の最たる町のひとつであ ることに違いなかったと思います。その町に1991年秋、台風19号が襲来したのでし た。神社の古木を始め、軒並みこの町の歴史を見つめて来た大木や将来への礎で ある若木までも風倒木と化しました。しかしながら、この事件はあることを住民に気 づかせたといえます。“豊かさとは"ということです。杉の木が倒れることによって、日 陰が太陽の恵みを受けたり、見えないものが見えた歓び~遠くの山並や夕焼けなど、 聞こえなかったものが聞こえた歓び~川のせせらぎや鳥の声など、台風によって失っ た財産と引き替えに、たくさんの自然からの贈り物を得たのです。このことを象徴す るかのように生まれた叫びが「神風が吹いた!」でした。その後、“陰きり"という思想が 生まれました。つまり陰をうつ杉の木を切るということです。そしてそこには広葉樹や 花や実の成る木々が植え替えられたのです。
また、台風が与えたもうひとつの贈り物。それは小国町の住民を縛ってきた土地本 位制に風穴が空いたことです。そのことで心が開き、一気に住民主体による地域づく りが町のあちこちで実践される大きなきっかけとなりました。それぞれ6つの大字に北 里育才舎、西里ぼぶら塾、楽夢下城、宮原ざまむね座、黒淵ミハナ会、上田企画部 という新しい住民組織が生まれたのです。
その結果、農業集落排水事業や地域イベント、景観づくり、地域民泊制度などの実 践活動やその基本となる“みんなで考えみんなで創るまちづくり条例"の設置、ホッ ケーやパラグライダー、マウンテンバイクなどといったスポーツやレクレーションの導 入など、次時代のまちづくりのキーワードともいえるツーリズムの条件整備が少しず つ整えられました。
小国町では、今までの実績とこれからの社会の欲求とを組み合わせながら、豊かで 魅力的な21世紀型の地域を創出する基本的な産業・文化として『交流ビジネス』~ツ ーリズムへの取組みが始まりました。そのひとつが、ツーリズムの基盤となる人づくり の場の創出です。

■九州ツーリズム大学
小国町ではツーリズムをまちづくりの一環としてとらえ、農山村でツーリズムを実践 していける担い手やリーダーたる人材の育成及び各地域で求められているツーリズ ム関係の情報を発信するためのセンター的役割となる“場"の設立の準備を進 め、1997年9月に“九州ツーリズム大学"(事務局/(財)学びやの里木魂館)を開講しま した。
“大学"では、講師陣に地域づくりの専門家、国際的なツーリズムの研究家、それに 各地で農家民宿などを実践している人達らを講師に迎え、「地域づくり」「ツーリズ ム」の2学科を組織し、翌年の3月まで延べ20日間に渡って「地域経営」「ツーリズム 概論」「景観論」といった基礎的な講義のほか、ワークショップ、実習、演習を交えな がら、農産品加工、マーケティング、農家民宿、農家レストラン運営、ウサギ追いな ど多種多様なカリキュラムを中心に九州の風土と地域資源を活かした九州型ツーリ ズムをリードする担い手の育成やツーリズムの理念づくりなどを図ってきました。
第1期生は56人が学生として参加し、町民10人の他は、九州5県から会社員、地方公 務員、看護婦、マスコミ関係、コンサルタント、農家、漁家、林家、議員、主婦ら、年 齢も20代から70歳代と様々で、農山村に移住して民宿など何かビジネスをと考えて いる人。行政からの支援策をと考えている人。都市と農山村の橋渡しができないか と思っている人。新たなる生き方を模索している人。そして農家の副収入としてとら えている人。環境問題を考えている人たちでした。さて、そもそも「ツーリズム」とは 何かと問われるとなかなか答えはでてこないのが現状ですが、敢えて「観光」と言わ ない所に、地域づくりのしっかりとした理念に基づいた実践の追及を試みようとする 大学としての意気込みがあると思っています。
「エコツーリズムの実践」という視点から実施した“ウサギ追い大作戦"では、阿蘇の 原野の保全を図るために、例えばその原因となっている畜産業の不振をどうするか かという観点からではなく、原野をレクレーションや教育の場として再構築し、それを 通しての保全策を探るというものです。ウサギ追いというレクレーションを通して原野 を直に感じてもらい、参加費を徴収することで、その一部を牧野組合に還元する仕組 みをつくるなど。保全とレクレーションという相反するような行為も組み合わせ方に よっては、それが共存できることを学習し、それぞれの地域における地域資源を生 かしたツーリズムを考えようとするものです。ツーリズムにおいて「環境教育」は重要 な認識であり、ツーリズムにおける人材とは、身近にあるもの、身近にある命への関 心を持てる人、自然とのつきあい方を見つめる資質を持った人だと思います。これま での学問や学校は、産業を振興する人材づくりが目的でしたから、どれも都市から 生まれてきたものでした。これからは農山村から生まれる学問や学校も必要だと思 います。その中に環境教育や、地元を知るための地元学などがある。小国町のある 阿蘇には、写真家や杜氏、火山の研究家など、現場でがんばっている人々がいま す。彼らが先生になることで、学生達にとって一番楽しいのは、自分のライフスタイ ルや今まで受けてきた教育の中では出会わなかったタイプの人と出会うこと。そんな 時の感動や驚きは、素晴しいものがあります。
この大学の授業以外のもう一つの楽しみは、受講生同士のネットワークができること です。魚が孵化すると、自立するまでしばらくの間は栄養素が必要です。農家が農 家民宿を始める時も、自立するまでにはある程度の時間がかかる。ここには当然、ツ ーリズムに高い関心を持った人たちが集まります。農家民宿の最初のお客様になっ てくれるのは、この学生たちです。1期生と2期生、あわせて100人のネットワークが支 えてくれています。栄養素を得た稚魚は、成長するにつれてノウハウや技術も身につ けることができます。一人前~自立できるまでには大変な苦労がともなうわけですか ら、このネットワークの存在は大きいものがあります。
農村で夢を実現したい人々はこれからたくさん出てくると思われます。そういう人たち を受け入れる地域と、入り口を閉ざす地域とではかなり差が出ます。都市住民が農 山村へ移り住む時代は間近です。過疎地域の人口減少に歯止めをかけ、地域に 様々な波及効果を及ぼすきっかけになる。そういう意味でも、ツーリズムが持つ役割 は重要です。
ツーリズム大学では、学生同士が十分な意見交換をしています。こういう話し合いの 場をたくさん設けなければならない。そうでないと、都市からの移住も難しいし、農山 村は今よりもっと衰退していくかもしれない。今後、ツーリズム大学のような都市と農 村をつなぐ媒体が、たくさん生まれることが大切です。

■小国町ツーリズム実践研究会
小国町でのツーリズムの実践の様々な可能性を探るために、97年にスタートした小 国町ツーリズム実践研究会では、九州ツーリズム大学等への参加を通して、九州を 始め全国各地のツーリズム研究会や実践者、研究者などとの交流を行い、情報等 の収集を図ってきました。そして、多くの農山村でそれぞれの地域の資源や自然を 生かした個性あふれるツーリズム活動が芽吹き始めていることを知りました。
そのひとつに、かつては農山村の豊かさの象徴であった“倉"が、農業生産の減少、 穀物の貯蔵形態や暮らしぶりの変化などにより、“鼠の棲みか"となりつつあったもの を、ツーリズム関連施設~農家民宿や農家レストランとして再生し、都市、農村の交 流の場として新たな役割を担っている事例を見聞きしました。実践研究会では、小 国郷で多く見られるものの九州では珍しいとされる置屋根式の“倉"について、その 現状を把握し将来にわたって保全するために、どのようなことを現在施す必要がある のか。あるいはツーリズムに関連する事業への転用が実際可能なのかなどを調査、 検討する事業を計画しました。
小国町の家々には、240を越える農家倉が残っています。その倉を、ツーリズムの具 体的な装置に換えていくことができないかと考えています。倉の中にあるものは,たい てい明治から大正、昭和の初めにかけて使われた生活用品や農具などです。つまり 農山村の生活文化が倉の中に封印されている。今は役に立たないものと思われてい る調度品も、かたちを変えればよみがえらせることができます。そういう試みの中で、 それを守り続けてきた人たちの誇りを取り戻したい。自分はここに住んでいてよかっ たとか、この町も案外捨てたもんじゃないという誇りや自信を地域住民が持つこと が、実は交流のきっかけやツーリズムの基盤になっていくからです。地域の人が元気 になり、自分の町に誇りを持てない限り、地域の真の活性化はないと思います。


02)
テーマ:小国町と学生集団『鯖キムチ』
執筆者:東京工業大学大学院 大川 隆司

■鯖キムチと国土庁地域づくりインターン事業
1996年のある日、国土庁(当時)の芦原嘉宏さんが小国町を訪れ、手土産で持ってき た宮崎県南郷村「百済の里」のキムチ。同じ夜、福岡の香蘭女子短大教授で陶芸家 の河野博行先生が持ってきた鯖缶。全国から様々な人が集まる木魂館ではいつもの ように宴となり、そこで2つのお土産を混ぜて食べてみようと、食べてみると斬新な味 わいだったのです。「交流とは異質なものを混ぜ合わせ新しいものを創りだすこと」と いう江藤館長は、以来、交流を象徴する食べ物として、鯖キムチを大変好んで人に 勧めています。
その現場には木魂館に居候しながら小国町のまちづくりをテーマに卒業論文の調査 をしていた早稲田大学の三須寛文君がいました。芦原さんが、学生が地域に溶け込 んでいる様子をみて、地域に学生がいるということは、学生・地域双方に何かを考え るよい機会になると考えはじまったのが?「国土庁地域づくりインターン事業?」でし た。1996年度は全国3地域に、そのうち小国町には7人の学生が派遣されました。学 生は2週間から1ヵ月滞在し、町で行われるワークショップやイベント等に積極的に参 加すると同時に、自分の専門性を生かした調査等を行い、町民の前で発表会を行い ました。翌年度の同事業では全国8地域に、小国町には5人の?「インターン生?」が派 遣されました。同時に、前年度派遣された学生もリピーターとして参加したので、前 年度の実績をもとに学生と地域の関係を深めることができました。このように小国で は事業が継続されて行われたことで、?「インターン生?」のネットワークができ、事業 終了後に「インターン生」のメーリングリストの立ち上げたことで、木魂館の江藤館長 ら小国関係者と東京の学生との情報交換が頻繁に行われるようになりました。それ により小国での新しい動きに学生も関わるチャンスが増えました。

■学生集団『鯖キムチ』誕生
1998年度に小国町が、?「インターン生?」を核とした小国に関係する学生に?「文化の 香り高いまちづくり事業?」の調査・報告書作成を委託しました。それを契機に学生が 一同に会し、いつのまにか?「インターン事業?」の由来にちなんで、学生集団『鯖キム チ』と名乗るようになりました。これまでの学生集団『鯖キムチ』の取組みは、前出の 報告書作成の他に「北里小学校体育館建替コンセプトづくり」「広域農道建設に関す る調査・提案」「北里河川公園建設に関する提案」「小国FM開局アンケート」「北里地 区における木魂館のCVM評価」「北里暮らしの風景文化賞」などが行われています。 現在も、ツーリズム推進のためのマニュアルづくりや北里地区風景賞の企画を北里 育才舎などと協力して行っています。学生の取組みは、住んでいると見逃しがちな地 域の資源や問題点を、外部からの視点でみることになるので、こういう取組みが常に 地域で実践されれば、地域にとっても後々大きな資源になるのではないかと考えられ ます。

■これからの学生集団『鯖キムチ』
現在、国土庁の事業はなくなりましたが、それをもとにしたネットワークは確実に広 がっています。この事業は、学生と地域の関係が継続していくこと~個人として地域と の関係が卒業後も継続するとともに、常に学生が地域に派遣されることが重要で す。そのために、木魂館・鯖キムチが協働して新たにインターン事業を起こすべく奮 闘中です。学生が地域に入り寝食を共にするというのは、学生には自分を見直すよい 機会になりますし、学生の奔放な言動が地域に新鮮な風を送り込むことになります。 この事業は、単年度評価ではなかなか成果は見られませんが、小国では確実に小 国サポーターが増えてきており、これから小国に何かしらの影響を与えるでしょう。ま さに地域は大いなる学び舎でありえると感じずにはいられないのです。ぜひ、『小国の 木魂館』へ、『鯖キムチ』を味わいにきてください。


03)
テーマ:多様な連携によるグリーン・ツーリズムの実践へ-宮城・若柳大会を振り返っ て
執筆者:東北地区グリーン・ツーリズム・フィールドスタッフ・ミーティング代表 青木 辰司

西欧に起源を有するグリーン・ツーリズムが、日本においてもいくつかの地域で芽が 出始めだした。
東北地方においても、これまでのイベント主体の交流活動ではなく、ビジネスセンス をもって、身の丈で無理のない実践を始めた地域が徐々に増えている。
ここ5~6年、農水省のグリーン・ツーリズムのモデル構想の策定、各種講演やシンポ ジウムに参加する機会が急に増え、グリーン・ツーリズムの推進にとって「追い風」が 吹いているとの実感を強めているが、その一方でグリーン・ツーリズムの理念や実践 手法についての地域での理解は、未だ十分ではない。
日本のグリーン・ツーリズムの実践の前には、制度、文化、意識の三重のバリアーが ある。
旅館業法を初めとする各種規制の硬直佐、貧弱な余暇制度や余暇文化、世間体や 「足の引っ張り合い」。
こうした障壁を乗り越え、感動的な交流を紡ぎ合いながら、どのように産業としての 自立を図るかを多くの実践者と共に探り初めて5年が経過した。
今年1月29・30日の両日、宮城県若柳町で、「第5回東北地区グリーン・ツーリズム・ フィールドスタッフ・ミーティング」が開催された。
5年前に岩手県遠野市でグリーン・ツーリズムの実践者の会合を開いてから、山形県 高畠町、福島県南会津、秋田県羽後町と回を重ねる内に、参加者の輪が広がり、今 回の参加者は250名を上回った。
そもそも、東北地区のグリーン・ツーリズム実践地域の中で、私が関わった地域の農 家・行政・民間企業の方々に呼びかけて、具体的な実践手法の情報交換をすること を目的に始まったミーティングであるが、確たる運営組織を設けず、毎年1回東北各 県の実践地域に働きかけて大会実行委員会を組織し、県や市町村の協力を得なが ら大会を開催してきた。
今回の大会を開催するに当たっては、昨年春に実行委員会を若柳町内部に発足さ せ、大会テーマや準備過程について検討に入った。
実行委員会は、「若柳町グリーン・ツーリズム研究会」の会員を中心に行政、町物産 協会、JA、連合青年団や県の農林事務所、農業改良普及センターはじめ各種関係 機関の関係者59名によって構成され、委員長にはグリーン・ツーリズム研究会の会 長が就任した。
今年の宮城・若柳大会は、三つの意味で画期的なものであった。
一つは、参加者の輪が東北地区を超えて、北は北海道から南は関東信越、東海、 九州と全国的なネットに成長したことである。
特に、「九州ツーリズム大学」の主宰者である熊本大学教育学部の佐藤誠教授や、 熊本県小国町の担当者や関係者が参加され、九州と東北のネットが確かなものに なったことの意義は大きい。
二つには、「九州ツーリズム大学」の「卒業生」である在京大学院生や、東北の大学 生そしてNPO関係者がヴォランティア・スタッフとして大活躍をしてくれたことも特筆 される。
ともすれば、大会開催地の実行委員やスタッフが、参加者の受け入れに追われて肝 心の大会の譲論に加われないことが少なくない。
何とか地元スタッフの負担を緩和できないかと考えている中、昨年秋に仙台で開催 された「全国NPOフォーラム」での数多くの多様なヴォランテイア・スタッフの活躍を 見て、「このようなヴォランティア方式を若柳大会でも採用してみたら?」と実行委員 会に提案し、それが採用されたのである。
ヴォランティアは、「九州ツーリズム大学」のネットや私の個人的なネットで学生や大 学院生約10名が集まり、その他に河北新報掲載のヴォランティア募集の記事を見た 社会人・学生が数名参加してくれて、大会の円滑な運営に大いなる貢献をいただい たのである。
ヴォランティアの中には、「一般参加よりは、むしろ裏方に回った方が、いろいろ勉強 になるので、何でも使ってください」と積極的に大会運営へ関わろうという意識の高い 方も見られ、東北においても、こうした自己実現型のヴォランテイアを主体的に選択 する人がおられることに感動し、今後の大会運営にも大いに参考になった。
三つには、日本や東北地方におけるグリーン・ツーリズムの現状と課題を探り、大会 の分科会テーマへの問題提起をする意味で、「グリーン・ツーリズム???」なる題目の 演劇を、地元若柳高校演劇部の全面的協力によって行えたことがあげられる。
実行委員会では、当初自作自演の寸劇程度を考えたのであるが、話が盛り上がる 中で、県内の高校演劇界でも評価の高い、若柳高校演劇部の高校生に依頼するこ とになった。
意外にも高校側からは、すぐに快諾を得たが、現役の部員は女子生徒のみというこ とで、部長の中村先生はじめ男子OBの協力を得て、上演の運びとなった。
酒席での話とは違い、いざ台本を書こうとしたら慣れない「処女作」に思いの外時間 がかかり、台本の脱稿が昨年12月下旬。
その後部長の中村先生に「潤色」していただき年明けに台本ができあがり、本番まで 3週間弱という極めて短期間の「仕上げ」で最終リハーサルに向かった。
何せ素人の原作故、役者泣かせの長ゼリフの連続の台本であったが、部員達は見 事に演技を仕上げており、リハーサルを拝見して胸が熟くなった。
練習途中の期間にも、中村先生からFAXが入り、「グリーン・ツーリズムは、やれば やるほどその大事さが分かってきました。
」という有り難いコメントもいただき、グリーン・ツーリズムへ夢を抱く一人の研究者に とって、「シナリオライター冥利」に尽きる思いだった。
250名以上の聴衆の下、本番での演技も素晴らしく、ポケ役の係長の演技には笑い、 町長役の中村先生の演説や大学教授役の女子生徒には拍手と、多くの観衆に大き な感動を与えて幕が閉じられた。
拙い原作にも拘わらず、若い高校生らが一所懸命グリーン・ツーリズムの演技をする 姿を見て、こうした若い世代にグリーン・ツーリズムの理念と現状が少しでも伝わった らと願わずにはいられなかった。
大会中や大会後、演劇の台本やビデオを求めたいという要望が数多く寄せられ、上 演依頼まであって、予想必上の反響である。
その背景には、グリーン・ツーリズムが言葉としては一般化してきているといえ、まだ まだ無理解や誤解が多いことがあると考えられる。
そうした理念と現状のギャップをテーマとしたことが、現実味をもって捉えられた要因 であろう。
それ以上に、そうした現状をともすれば無関係と思われがちの高校生が、それこそリ アルに演じたことへの共感が反響をさらに呼んだことは間違いない。
コンピュータ社会の真っ只中で、まさに「ヴァーチャル・リアリテイ」への関心を強くして いる彼ら世代にとって、自然や農業といった「リアル・リアリティ」の体験の場は年々少 なくなっている。
その彼らが、自らの目線からグリーン・ツーリズムを考えてくれたらという思いは、原 作者としてのささやかな願いであった。
今、あの演劇を振り返ると、練習や本番での演技という「ヴァーチャル」な体験とい え、そのセリフや演技の中で、彼らが何かを自らの「リアル・リアリティ」へのかすかな 導線にでもなってもらえたら望外の幸せである。
グリーン・ツーリズムの宮城・若柳大会は、まさに「ミレニアム」に相応しい意義を有し て閉会した。
東北で芽生えたグリーン・ツーリズムの実践のネットワークが、北海道から九州まで の全国的なネットワークに発展したこと、高校生の演劇やヴォランティアスタッフによ る精力的な大会運営にみられるように、熱年・中年に加えて、若い世代にもグリー ン・ツーリズムの実践の和が広がったこと。
グリーン・ツーリズムの草の根型の運動が、空間的にも世代的にも大きく輪を広げ た、記念すべき大会であった。


来年度は、青森県相馬村で開催が予定されている。
東北6県最後の大会は、更なる飛躍へ向けて間もなくその準備が始まる。
また多くの人々と、感動を共有する仕掛けづくりをしたいものである。