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01)
素人からみたまちづくり
まちづくり政策フォーラム監事 内海光雄
まちづくり政策フォーラムに関わってきているものの、本質的には「まちづくり」に関しては、まったくの素人である。しかし、「まち」に対する思いはあり、そのシロウト的発想の視点から「まちづくり」について考えてみたい。
時代は、ここにきて音を立てながら、世界的な規模で変化を見せ始めている。
先人達がつくりあげてきた「むら・まち社会」は、日本社会においても同様であるが、暮らしづらさと人の関わり合いのぎくしゃくなど、さまざまな問題が起きている。今、「まちづくり」は、むら・まちに生活する住民意識の活性化が求められている。
むら・まちとは、簡単に言うと、人が住み、働き、憩う、遊ぶなど、多種多様なつながりの活動が営まれる場所。つながりのない営みは、活動が硬直化し、邪魔し合い、効率が悪く、活力の乏しいまちとなる。このような複雑なまちをいかにコントロールし、住み良いまちへと切り替えていくか。そのための道具として「都市計画」という言葉があるが、素人目には、この都市計画がどんな仕組みでできているのか、もう一つ実感できない部分もある。
産業の振興、福祉社会の充実、文化の振興なども「まちづくり」の一環であり、素人的思考でいうならば、こちら側からの方が活動に取り組みやすくなることもあり得るだろう。
人は、多勢の人間の集団で暮らしている。なぜ、集まって住み、どんな関係をもちながら生活しているのか。日本では、米づくりが行われるようになる前から、農業に必要な土木工事のために人々が集まり、いわば生産のために集まって住み、「むら・まち」が形成されたといわれている。
今、農村地域における混住化の進展、農業農村の実態は大きく変貌してきた。このような変化に伴い、農家だけの意思形成だけでは、農村社会、また農村景観はつくれない。余談ではあるが、景観としては、明治時代の農村景観が一番美しいと思う。曲がりくねった道、澄みきった小川と魚、ランダムな緑の農村イメージ、そして農業も自然農法で生産されていた。
今日では、科学農法の問題を契機に、有機農法、自然食、自然保護へと、時代のターニングポイントに入っている。そこで、現在に既した地域住民で、時代の繰り返しによる環境と調和のある「むら・まち」づくりが求められている。
また、まちづくりも同様で、ニュータウンから中心市街地の活性化に移行されている。1960年代から始まった高度経済成長の波は、いうまでもなく、いろいろな問題点を引き出し、地域社会を良くも悪くも大きくゆさぶり、現在も尾を引いている。巨大都市への一極人口移動化現象による農村地域の過疎化など、人が住む定義とは何なのかを考えさせられる。
大きな政府論から、地方分権や民間化などが登場し、国民の生活課題の広がりや価値観の多様化に、中央主導での対応が難しくなり、新たな理念や枠組みを必要としてきている。その一部として、住民が生み出す住民の公益性というボールが投げかけられていると思う。究極は、住民参加のまちづくりにある。
<素人でも気軽に参加できるまちづくり>
今日のまちづくりには住民参加なくして進められないといっても過言ではない。
?@「まちって面白い」・・・・・
自分の暮らすまちに日頃から関心をいだき、まちの現状を人の立場に立って考える。
?A「まちづくり、こんなことも大切だ」・・・・・
まちづくりの考え方にふれる。
?B「まちはこんな形で成り立っている」・・・・・
まちの歴史・伝統また仕組みを理解し、まち将来のイメージを豊かにする。
?C「まちづくりの方法」・・・・・
いろいろな方法を知ってもらい、自分でもこんなことができる、こんなまちにしたいと感じてもらう。
なぜ、これまでに都市計画のルールが必要なのか、素朴な疑問から始まり、(まちづくりの現場の人々の思惑が複雑に絡み合って、理想とかけ離れていく状況もあるだろうが)人々の生き方を変えていくことが、逆にまちづくりの醍醐味でもあり、実態かも知れない。少しでもわかりやすく伝えていく必要があり一人でも多くの人が楽しく、おもしろくまちづくりに関わってほしい。
そして、まちづくりを進めるなかで、地域同志の関わりをどうすべきか、ここで少しふれてみる。
私たちは身近な生活に、いろいろな問題を抱えている。物事を進めるにあたって、それぞれの利害関係も発生し、対人関係でギクシャクすることもあるだろう。その時に、解決の技術としてすぐ使える技術はたくさんあると思う。しかし、私達はそれぞれ自分の生きがいを人生に求め、そのためには、絶えず自分の価値観の見直しと再評価を行い、どんな苦しい試練でも生きがいを失わなければ堪え忍ぶことができる。それには、発想の転換も必要である。問題解決をする時に対立の姿ではうまくいかない。物事は多面性なので、考えようで状況が変化し、心を太陽にして楽しく関わり、最後まで希望をいだき、自分をそのまま受け入れる平静さと、変えられることに対してはすぐに行動を起こす勇気、そしてそれらを見分けるための知恵を身につけたいものである。しかし、疲れはてた人に「頑張れよ」と声をかけても、事態解決のために精一杯努力してきたのに、状況が改善されず、焦りや不安が渦巻いていることもあり得る。そのような時には自分を受け入れ、相手を受け入れて生きていく、こうした精神の「かけら」の融合を見つけだしていくことも、そのまちに住むということになり、全体的な「元気」が生まれてくるのではないだろうか。周囲の人々の正しい理解と支援の充実がかかせない。
そのために、今、もっと重要な課題の一つは、前号で古川氏が提唱された『第2ステージの住民自治』という論旨の自治である。自治には「自ら治まる」と「自ら治める」という解釈があるそうだが、まさに住民が主体的に「自ら治める」ようなコミュニティーづくりが求められる。
まちづくり、地域づくりの主役は素人住民であるべきだという視点から、当面の課題としては行政や中間組織(専門家)の後方支援システムが必要となり、そこにエンジンとなる新たな理想や枠組みを作り上げ住民の中での議論が深まる社会運動に期待する。
また、これらの支援システムをふまえて素人集団でのまちづくりの機運を高めていきたいものである。
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02)
事例報告1 グラウンドワーク最新事情 山形県東根市
住民と行政、企業の三者がパートナーシップ
を組んだ環境改善運動・グラウンドワークについて理解を深めようと、東根市の「長瀞(ながとろ)二の堀を愛する会」(斎藤好信会長)が主催する「二十一世紀のまちづくり」講演会が2月17日夜、同市長瀞公民館で開かれた。グラウンドワークは1980年代に英国で誕生した活動。講演会は、この活動を日本で初めて導入し数々の成功を収めた、静岡県三島市のNPO法人「グラウンドワーク三島」事務局長の渡辺豊博氏を講師に招いて行われた。東根市内をはじめ周辺市町から約50人が集まり大盛況。三島市は豊かな富士山系の伏流水がわき出る土地で、「グラウンドワーク三島」は市内の河川に清流を取り戻したり、小学校の敷地内に生き物の生息空間・ビオトープを造るなど精力的な活動を展開。こうした取り組みを、二の掘の歴史的景観と水辺環境を活用したまちづくりを進めている長瀞地区にも生かそうと、今回の講演会が企画された。
水辺里山空間研究会の最終目標は「グラウン
ドワーク的手法による、環境をキーワードとした地域住民、行政、企業によるまちづくりの実現」であり、かねてから、静岡県三島市の事例を参考にしている。次年度の事業計画を立てるにあたり、グラウンドワーク三島の様子はどうなっているのだろうか・・・と、渡辺氏に連絡を取ったところ、上記の会で東根市に来られることが分かり、おじゃました。
三島市でのグラウンドワークの展開は渡辺氏抜きでは語れない。渡辺氏はもともとは静岡県庁で農業基盤整備事業の計画実施に携わり、1988年、三島市内を流れる「源兵衛川」の親水公園事業の企画を担当した際、「地域総参加」の手法を取り入れ、それが今の三島市でのグラウンドワークの礎となった。現在静岡県生活・文化部NPO推進室長である氏は、NPO法人・富士山クラブの事務局長も担い、全国各地のグラウンドワーク実践地域間ネットワークづくり、実践者や専門家によるアドバイザーチームの結成など、グラウンドワーク三島の実践事例を機軸にしたパートナーシップによる新たなる市民運動のスタイルを「行政市民」として全国各地に情報発信し、NPOがつくる市民社会システムの確立を目指している。
「三島から5時間あれば来られることが分かりました。いつでも来ますよ。やりましょう。」
「あのままでいいんですか?どうしてみなさんは動かないんですか?」渡辺氏の言葉は強烈だった。
講演会の前に、「長瀞二の堀を愛する会」の斎
藤好信会長に案内されて、二の堀を見て歩いた氏は、現在進行中の堀の整備事業に疑問を抱いた様子。住民に対してどのような説明がなされたのか、堀の持つ機能は何なのか、「長瀞二の堀を愛する会」はどのような活動をしてきたのか。グラウンドワークに取り組もうという団体は数多くあるが、長瀞の場合はすでに「事」が進んでおり、住民が声を挙げなければ行政主導のまま、従来通りの整備事業が進行し、二の堀はどこにでもある規格通りの人工的な堀になってしまう、そんな危機感を抱いた氏は、講演会で、あえて住民をあおるような発言をしたのだろう。
講演会終了後、二の堀を愛する会のメンバーらとの懇親会の席で、「専門性のある人を集めて、多方面から現状を見直すべきだ。地域を変えるストーリーを描き、みんなの夢の舞台をつくって」とアドバイス。主要スタッフを「圃場整備との関連性」「堀の歴史的側面」「住民へのアピール」の3つの分野に分け、情報の収集につとめるべきと具体的なアプローチをするよう指摘。また、大盛況に終わり、ほっとしているメンバーに、「今回の講演会の目的はグラウンドワーク三島の事例紹介で終わることではないはず。本来なら、もっと、足元を固めてから開催してもよかったのでは」と厳しい一言も。長瀞では今まさにグラウンドワークによるまちづくりが芽吹いたところ。せっかくのチャンスを成功に導きたい、そんな渡辺氏の熱い思いが伝わる。
また、芦立が渡辺氏を追って東根市に出向いたように、山形市から参加された山形県職員の二人の動きも今後の注目したいところである。県環境保全センター水質部長の村岡喜博氏、県東南村山地方事務所農村整備課の国分厚氏のお二方である。
小さな親切運動・大きなお世話係長と記され
た国分氏の名刺。400年前の農業用水路「山形五堰」保全活動のためにさまざまな職業の人が集まり、それぞれの経験と専門知識をまちづくりに生かそうと、山形市に発足した、グラウンドワークのグループ「グラウンドワーク山形」の名刺である。メンバーは市民14人。職業は、行政や経済団体の関係者、地域づくりに奔走する自営業者など多彩。
「グラウンドワーク山形」は、JR漆山駅東側の湧水池「漆山堤」の保全を目的に、平成10年9月から翌11年3月まで、住民有志が近くの公民館で計8回開いた勉強会が誕生のきっかけ。
村岡氏、国分氏ら、この勉強会で講演した数人と勉強会参加者が、活動を広げようと話し合い、平成12年9月に正式発足した。
活動は、水辺環境の保全が主体。正式発足前から、西山形小で行われたホタル鑑賞会にえさのカワニナを提供したり、各地で開かれる講座や体験学習会を側面支援したりしてきた。
特に、農業用水として約400年前に造られ、市内を網の目状に流れる山形五堰(せき)に対するメンバーの思い入れは深いとのこと。
堰は石積み部分の傷みが目立つようになった
ため、市が平成11年度に改修工事を始めた。「グラウンドワーク山形」はこれまで、五堰の一つ「御殿堰」で水質調査と探索ツアーを行った。また、12年6月には、奈良女子大国際文化科の学生たちが山形市を訪れ、堰の歴史的背景や生活環境を調査した際、メンバーが案内役を務めた。
二人は、「大きなプロジェクトはまだないが、これからも市民意識の高揚を図り、地域のコンセンサスを大切にしながら環境保全にかかわっていきたい」と、今後の展開を考えている。
勉強会に渡辺氏を講師に招いた縁で、今回の
講演会にも参加されたのだが、県庁職員が職場とは一線を画した立場で、グラウンドワーク活動に取り組むということに注目したい。
「グラウンドワーク山形」は、今後NPO法人化も考えているそうだ。県職員が、職場を離れて市民活動をする事は可能なのか、助成金や委託金などお金の処理はどうしていくのか、など、現実的な疑問を渡辺氏に問うていたが、これらの疑問は、どこでもありうること。三島市の場合は渡辺氏の様な行政市民がいたからこそ、グラウンドワーク活動が成功したのではないだろうか。行政の仕組み、税制などに詳しくない住民だけで活動しようとしても、必ず「行政の壁」「税制の壁」にぶち当たり、本来の活動を遂行する以前に力つきてしまうこともあるだろう。また、行政主導でグラウンドワーク活動を行っても、企業、住民が主体的に関わらなくては地域社会のシステムを変革させるところまでは達成出来ない。そのようなバランス感覚を持ち合わせ、コーディネイトしていく人物、団体が今後求められると考えられる。
今回、長瀞二の堀を愛する会の斎藤会長や、青野事務局長には大変お世話になった。隣県山形で、がんばっていらっしゃる方たちと知り合え、心強く思った。水辺里山空間研究会としても、実際にフィールドを持ち、グラウンドワーク活動の展開を検討していく事が必要だろう。また、それと同時に、東北エリアでのグラウンドワーク活動の情報コーディネイトセンターとしての機能をも果たし得るのではないだろうか。と今後の活動の方向性を考えさせられる講演会となった。
取材 芦立千佳子
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事例報告2 町民を舞台へ上げる黒子役〜宮城県山元町〜
やりたいことができる町
みんながやりたいことをやれる町というのはどんな町だろう。誰もが、こんなことをやりたい、あんなことをやりたいという思いを必ずもっている。それらを実現できたらどんなに素晴らしいだろう。今回の取材を通して、私は山元町に対して、そんな感想を抱いた。子どもから、お年寄りまでが、一人ひとり自分の舞台を持ち、そこで自分の思いを表現しているのだ。こんなことをしたいという思いが、次から次に実現していく。こんな町に自分も住みたいと思った。
山元町では、町民の様々な思いが現実のものになり、かつ、大きく膨らんでいる。例えば、ドイツのホームステイの受け入れをしたいという若者の言葉が、毎年恒例の町の事業(地球色の風)となって、さらには国際交流協会の設立にまでつながった。小学生の太鼓演奏を見て感動したお母さんの自分もやってみたいという言葉が、今では町内と隣接町の複数の団体や小学校と連携して宮城国体のセレモニーを担当するまでになった(大和撫子の会)。子育て後の生き甲斐づくりに人形劇をしたいという主婦の言葉が、郷土民話の発掘や地域文化祭の開催にまでつながった(はまっこ)。また、大きな絵を描きたいという子どもたちの言葉が、町に幅35メートルの巨大壁画を出現させた(アートのある町)。他にもいろいろな動きがある。1つの躍動が周りを巻き込みながら、大きくなり、そして、町全体、さらには海外にまで伝搬していっている。
しかし、この躍動は自然に出来上がったものではない。裏で、一人ひとりの思いを実現させるために、黒子となって支えてくれている人がいる。それが今回、お話を聞いた岩佐孝子さん。岩佐さんは、山元町役場の生涯学習課に勤める行政職員である。
同じ立場でコニュニケーション
では、岩佐さんはどんなことをしているのだろう。
ひとつは情報の受発信。黒子を務めるため、常にアンテナを張り巡らしている。役場に来る人には「お茶飲んでいったら」と一言かけ、どんな人とも熱心に話をする。仕事で外出したときは「近くを通ったから」と誰かのところに寄ってくる。飲み会があると聞けば必ず列席し、人が集まっていると聞けば、必ず顔を出す。役場から自宅へ帰るときも、10分で済むところを人に会って3時間かけて帰ることもよくあるという。「好きだからできるんだよね。」と岩佐さんはあっさりと語ってくれた。毎日、年齢、職種を問わず、いろいろな人とコミュニケーションを交わす。コツは同じ立場になって話をすること、「2歳の子どもとも、同じ立場で話ができているみたい」と笑いながら答えてくれた。
この日々の積み重ねから、町の現状を掴み、些細な情報をもかき集めている。そして、町民のニーズや何かやりたいという一人ひとりの思いを丹念に拾い上げていく。同時に、集めた情報も、町民に流し、町民の思いをかき立てることも忘れない。かつては役場の窓口にいたこともあり、その時から積み上げられてきた情報量は膨大だ。「町民の半分くらいの人は存じ上げてるんじゃないのかなあ」と言われてしまった。
1+1=100のリンク
次に、こうやって蓄積してきた情報をもとに、町に今あるもの(歴史や文化、自然、学校などの施設、そして、人)をどうやって町民の思いや行動とリンクさせられるかと考える。あの人とあの人を結びつければ、1+1が10にも100にもなるかも知れない。それぞれの立場にいる人やモノ、コトの力を十分活かせるように結びつけていく。結びつけると同時に、そこまでもっていくような仕掛けや雰囲気づくりもしている。例えば、ある人を一人前に育てるために、情報を流すなどして、2年、3年…5年と時間をかけて、根気強くその気にさせる雰囲気づくりをする。そして、ここぞというタイミングのときに、舞台に押し上げるのだ。
また、行政職員という立場も活かして、町民からの声を、行政の事業として、取り入れられるものは積極的に取り入れるようにしている。
コーディネートをしていく上で、町の歯車になると岩佐さんが考えているのは若者達である。
なぜ、若者なのか。「若者が生き生きとしている町は生きている町。町に風を巻き起こすパワーを持っているのが青年、それを徐々に土に降ろしていくのが成人や高齢者の役割」と岩佐さんは考えている。若者には、行動力と発想力、それに時間もある。感性も豊かだ。ある程度なら、何をやっても、「若いからな」という理由で大目に見られる特権を持っている。そして、何よりも重要なのが、町の次代を担う世代であるということ。若者が動けば、「若い人が頑張っているから」と大人も自然と協力してくれる。だから、岩佐さんは、地域社会に根付いて活動していける若者が育つようにコーディネートをしている。
遊び心を揺さぶって
しかし、若者は面白いと思わないことには足を踏み出さない。まちづくりや住民会議などは固いというイメージがあるのか、進んで参加する人が少ないのが現実。若者を動かすには遊び心をどう揺さぶるかがキーポイント。だから、「何でもいいの。面白いと思うことをまずはやらせてみれば。」と、とりあえず若者を動かせてみるという。
岩佐さんは若者の「○○をやりたい」という声に、「できるわけないよ」と一回は必ず反対する。自分の声が本当に実現可能なのかどうかを考えさせるのだ。それでも、やりたいという声が消えないときには、その声にアドバイスを送る。どんな人たちに声をかければいいのか、「あのおじさんに話を聞きに行ってみさい」とアドバイスやアイデアをもらえる人を紹介する。動くのはあくまでも若者である。行き詰まったときは、もう一度原点に戻らせ、「自分たちがやりたいからやってるんだ」という動機を確認させる。こうして、若者の声を実現させていく。また、常に、動きを観察し、調子に乗りすぎているときにはあえて問題を与え、自分達で解決させる。また、下火になってきたときには、手を差し延べたりしながら、若者を育てていく。
若者達は自分たちの力で思いを実現することができれば、充実感と楽しみを味わうことができる。そうすることで、面白味を覚えた若者は、次から自分たちだけで勝手に動いていく。だから、何をするにしても、主体はあくまで若者であり、岩佐さんは黒子に徹しているのだ。
また、岩佐さんは地域の組織づくりにもこだわっている。若者の地域離れ、組織離れの現状を危惧しているのだ。だから、組織として動くことも実践の中で覚えさせる。一人ではかなわない思いも組織になれば実現するからだ。
自分たちの地域を自分たちで
また、若者の活動に限らず、お母さん達の活動や他の活動についても、岩佐さんは町の将来を見つめて、方向付けを行っている。それぞれの活動が自己満足で終わらずに、地域とリンクしいけるような広がりを持たせるのだ。そのために、地域資源の見直しや地域課題(高齢化・環境汚染など)へ取り組み、町内外への交流の拡大、次世代へのつながりなど、活動に様々な方向性を加味させている。言い換えれば、自分達の地域を自分達で考えるきっかけを与えているのだ。実際に、こういった方向への動きが具体化しつつあるということは、自分達の地域を自分達で考えることができるような町民が育ちつつあるということである。
10年程前の山元町は、行政主導。何をするにしても、行政にやらされているという意識が町民にはあった。しかし、5、6年前からは、ようやく町民が主役になれる動きが見えてくるようになった。岩佐さんは、一住民としても黒子であるが、行政も同じように黒子でなければならないという。下で支える黒子がいて、初めて主役が舞台に立てるという訳だ。頑張っている町民を舞台に乗せるのも、行政の役割と言えよう。
取材協力:岩佐孝子さん(山元町生涯学習課)
文 責:櫻井高志
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あぜ道小径1 突撃!! まちづくり政策フォーラム! NPOヒアリングを通して
はじめに
東北大学文学部社会学研究室では、毎年、学部の3年生を対象にした実習授業が開かれています。2000年度の課題は「宮城県のNPO法人の活動実態」。今回のレポートでは、実際のNPO法人の運営上で出てくる特徴、問題点を我々の目にうつったままに探ろうというものでした。
まちづくり政策フォーラムはこんな組織だった。
最初に断るが、一応の組織図があるものの「まちづくり政策フォーラム」の組織を、これ、というかたちで提示するのは容易でない。もともと研究会をもとに、その中から様々なグループが立ち上がり、またくっついてということを通してできた組織であり、その全体像を説明するには、一言では言い難い。もし、特徴的な言葉があるとしたら、「協働」ではないだろうか。
基本的には「先ず研究会ありき」である。各々の研究会がそれぞれの問題や課題を設定し、それにしたがって活動を進めるということがすべての原動力になる。事務局をあえて区別するとするならば、それぞれの研究会をトータルに包括する組織ということになるだろう。同フォーラム代表理事である増田聡さんはこの組織の性格を「アンブレラ型」と表現し、また事務局の安部さんは「アメーバ型」と表現する。増田さんの表現は、事務局という傘のもとに、それぞれの研究会が存在し、研究会同士が同じ傘のなかで、互いに情報提供や、人的なサポートを行うということだ。また、安部さんのいう「アメーバ型」は、事務局を中心に、事務局を含めた様々な事業を行う研究会やグループがアメーバ状に存在し、それぞれが必要に応じてくっついたり、離れたりを繰り返す組織であるということである。両者の表現とも、ほぼ同様のことをいおうとしていることが分かるが、このように言葉に窮するのも、「既存の組織の範疇では語りきれない」という思い、実感があるからであろう。少なくとも、官僚制のようなトップダウンの形式ではないよ、ということを両者共に言おうとしているように感じられた。
以上のことを考えても、組織にとらわれない個人の力というのは大きい。各々の研究会を形成する個の存在に目をむける必要があるだろう。
研究会をはじめとする各構成委員は、いろいろな組織にまたがった活動や、情報提供を行っている。つまり、一つの組織に定住しない、根本的かつ徹底的にオープンな参加の仕方をしているといえるだろう。自分が特にどの研究会に属するという意識よりも、様々な研究会に対し意見したり、顔を出したりしながら、結果として自分の専門分野に大きく携わったひとつの組織名が後づけされるということである。その結果、各々の情報・知識・活動の集積として一つの事業がなされるのである。
何か活動を行うというときに、分野、職業、場所に限らずに、情報を発信し、共有しあう非常に開放的な知の構成をおこなっているのだ。様々な情報・知識活動の集大成として、このまちづくり政策フォーラムが成り立っているといえるだろう。
増田聡理事もいうように、まちづくり政策フォーラムの一番の財産は「人」であり、個々の人から溢れ出る情報、活動の集大成としてこの組織が成り立っているのだと、調査を通じて体感した。
東北大学文学部社会学専修3年
(東北大学学友会ラグビー部主将)早川弘治
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あぜ道小径2 地域合意の形成へ 宮城県米山町教育委員会 千葉 孝喜
1970年頃までの米山町の農業は、3200ヘクタールの水田基盤がある稲作を中心とし、養豚も定着。一人ひとりが、ある程度の経営基盤をもっていた。そうした背景の中、機械や施設の共同利用や共同作業、まして共同所有といった意識はまるでなかったそうだ。しかし、1970年代に入って押し寄せた農業の機械化の波によって、いわゆる機械化貧乏に陥り始めた。
折しも、町で地域農政特別対策事業に取り組むことになったのをきっかけに、事業主旨である「集落をベースに市町村の意思を尊重した農政展開・集落からの提唱」を大事にしようと、徹底した集落踏査を行って農家の声を聞き、その上で米山町なりの農業の構築を図っていった。そうしたプロセスの積み重ねによって、1982年には、複合生産組織として迫土地中央生産組合が結成され、現在では組織だけでなく、集約作物の導入によって多作物複合型も定着している。
その背景には、元米山町産業課課長で現教育委員会課長である千葉孝喜氏の存在が大きい。千葉さんは、当初から各集落に毎晩のように話し合いに出かけたり、迫土地(農家戸数120戸、水田面積230町歩の集落名)の「4H三度笠」という水稲栽培研究グループの若者36人と共に、集落の合意形成を得ながら、自分達が核になった集落営農を展開しようと勉強会を続けたり・・と、その熱意と背中合わせに地道さを持ち合わせている。しかし、地域特有あるいは農村特有の背景や事情の中で、合意を形成していくことは容易でなかっただろう。むしろ対立関係にあったという集落の人達と合意形成してきたプロセスは、試行錯誤の連続だったのではあるまいか。
そんな千葉さんから、地域の合意形成を図る初期段階として、意向を把握する際のお話を聞かせいただいた。
Q:住民の意向を把握する時は、どんなプロセスを踏むのですか。
A:アンケート調査や集落座談会の開催によって、意向が確認できたと多くの場合、勘違いをしている。米山町では、?@集落座談会→?A結果の集約→?Bアンケート(座談会での提唱を盛り込んで)→?Cアンケート結果のまとめ→?D結果説明の座談会→?E意見の集約→?F方策の樹立(主体は農家)→?G計画原案の作成→?H計画の公表→?I適切な事業の選択という具合に10行程を経てやっています。
Q:10行程だけでなく、気を使われている点がありますか。
A:集落座談会で提唱されたものを大切に扱うために、翌朝、前夜の座談会内容を担当者が説明し、意見集約した報告書を使って会議を行うようにしています。これは、アンケート調査の設問を構成するときに役立つし、農家の合意をとる前に、役所の中での合意形成や問題意識をもつことに威力を発揮します。前準備は、とても大事です。
Q:アンケート調査は、なにか工夫をしているんですか。
A:農家の農業に対する考えの変化を知るために、基本的な項目は毎回同じ項目とし、前にやった調査との比較ができるようにしている。アンケート調査といっても、記名、しかも面談での聞き取り調査。その後の報告会では、必ず現状課題とこれから整理すべき課題、それから適切なコメントをつけています。
Q:出来上がった計画書は、どんなふうに公表しているんですか。
A:町では、11団体の組織で「アグリベース推進300人会議」が構成されている。その代表者会議であるアグリベース推進委員会で公表し、彼等によって各組織に伝達。その組織構成員が一般住民に伝達していきます。伝達方式だと負担もないし、みんなの意識が醸造されていくものです。
現在、私たちも、坪沼や秋保等で地域に入りながら活動している。千葉さんのように・・とはいかないまでも、一歩づつ、地域に浸透できる「まちフォ」を目指しています。
語り手 千葉孝喜氏(米山町教育委員会)
聞き手 安部優估
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まちフォニュース・事業報告 「ファシリテーター(進行役)研修会」
白石市総合計画・地区別まちづくり会議の舞台ウラ
第4次白石市総合計画の策定にあたって、3月中旬〜下旬、7月初旬の2回にわたり、市内18会場でワークショップ手法を取り入れた「地区別まちづくり会議」が開催されました。「民主的な共同作業の場」としてのワークショップの進行を担ったのが、白石市職員の33名。彼等は、計画期間10年を見越して選ばれた若手精鋭たちです。
まちづくり政策フォーラム(以後、まちフォ)は、彼等がまちづくり会議に取り組む前準備の段階で、「ファシリテーター(進行役)研修会」を開催しました。まずは、彼等自身が、参加者とファシリテーターの2つの立場でワークショップを体験してもらうことから始めたのです。
<問題意識をもつことの重要性>
終了後すぐに、その場で気がついたこと、わからなかったこと等を含めての感想や「問い」を紙に書いてもらい、そのコピーを全員に渡して「情報の共有」を行いました。そこには、両方の立場を体験することから生まれるギャップ、ワークショップの進め方やノウハウについての不安、時間設定や参加者への配慮への心配等、62項目(ダブっているものを省く)もの感想を含む問題意識が浮き彫りになったのです。それを黒板で整理してみると、担当課が情報を行き渡らせることで解決できること、まちフォーがノウハウ等を伝えれば解決できること、33名が考えなければいけないことの3つに分けられました。
情報を共有化し、問題を整理した上で、「どうしようか?」と彼等に投げかけたのです。その場にいる一人ひとりが、自分も場づくりに参加していると思えたり、他人事ではないと思えた瞬間に「自覚」が生まれ、自覚から「自分達自身で考えなければ解決できないぞ」という意思が引き出されるのです。さらに、一つの問題が他の様々な側面も合わせ持っていることに気がついたり、自分のファシリテートの仕方がどうだったかを客観視できる場が生まれるきっかけにもなり得ました。
<双方向的な動機づけ型の場づくりへ>
つまり、出てきた課題を講師から教えられて解決するという受動的な学びの場ではなく、参加者同士がお互いに動機づけしあえる場づくりが可能になってくるのです。そうした場では、次々に新しい情報(=知恵や意見、提案)が生まれ、そこから、学びの連鎖が起こってきます。
その結果、研修会以外の打ち合わせも彼等自身が主体的に開催し、問題解決法としてあがった「各地域への応援体制をつくる」「リラックスムードや親しみやすい雰囲気づくりの工夫」等々、白石市ならではのたくさんのアイデアが地区別まちづくり会議で実際に活かされました。
<あらゆる角度からの情報と問題の共有〜対応力を学ぶ>
まちづくり会議が終わった地区は、終了後に「良かったこと・工夫したこと、今後、改善すべきこと・留意すること」などの感想を共有し、翌日に開催される地区に伝達する体制も取りました。こうして積み重ねられた情報は、2回目の会議にも同様に活かされ、その都度、現状を把握し、その対策を合わせたファシリテートの仕方が培われたのではないでしょうか。
ワークショップは、参加者の立場、経験、価値観等、さまざまな違いによって構成されている「場」です。その都度、「生もの」のように動く場では、単に進行の仕方というマニュアルを学ぶ力だけでなく、瞬間的に起きた出来事への対応力と、起きるかもしれない問題をシュミレーションしながら場をつくっていく力とが必要になってきます
こうして、ワークショップを創るプロセスそのものが「ワークショップ」になっているからこそ、研修という疑似空間を超えた学びの場となるのです。
報告 安部優估
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まちフォニュース・事業報告
農村地域用水実態調査業務事例集 =地域の人々にわかりやすく=
現在、宮城県農村基盤計画課より、表記の業務を受託している。
この業務は、農業・農村の持つ豊かな多面的機能について県民の理解を一層深めるとともに、行政とNPO法人との新たなパートナーシップの形成を推進するため、これまで整備してきた農業水利施設の実態を調査し、非農家にもわかりやすく事業の役割や効果を紹介するための事例集を作成するものである。
本来、農業用水は、地域の生活の中で単にかんがい用だけでなく、防火用水・親水空間の形成・生態系の保全・豊かな自然景観の創出などの地域用水として様々な役割を果たしている。また、過去に築造された頭首工(とうしゅこう)、分水工、水路などの農業水利施設を近代史を飾る「産業遺産」として、次世代に適切かつ持続的に継承しようとする動きが全国的に広がってきている。
今回の業務は
■資料収集
県内における農業農村整備事業で造成された農業水利施設について、事業経過や歴史的背景、写真などの必要な資料を収集する。
■現地調査
県内の代表的な農業水利施設について地域住民等から直接聞き取りを実施し、事業効果を検証する。
■事例集作成
収集した資料をもとに「みやぎの農業・農村における地域用水環境整備事例集」としてとりまとめる。
また、来年度以降も、水利施設の維持管理等について、住民主体のシステムづくりなどの提案を提案していきたい。
施設を造ったあとの維持管理は、原則としてはその地域の土地改良区などが中心となって行うが、水利施設に隣接して住宅団地が造成されたり、親水公園として整備し、地域住民の憩いの場となったり、非農家にとっても恩恵がある。
整備後の維持管理に地域住民が果たせる役割やその関わり方、事業実施を契機としたイベントの実施、環境教育のための活動など、まちづくり活動に発展する可能性を多く含んでいる。
水利施設を単なる農業用施設として見るのではなく、地域の資源としてとらえ、地域住民が一体となって維持管理に努めていく可能性を考えていきたい。
今後、「自然と人間とが共生する仕組み」を構築するために
1)モデル地区での社会実験活動
2)環境を切り口としたパートナーシップによるま ちづくり
3)地域づくり、新しいスタイルの教育、環境重視 のライフスタイルの実現
も、ともに考えていきたい。
(報告 芦立)
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08)
まちフォニュース・研究会動向
アースワークス研究会
アースワークス研究会の代表を務めている三浦隆弘です。
アースワークス研究会は、遊休農地などの田畑で作物を育て、食料自給と里山の田園風景保護を目指すことをテーマに、今年度は仙台市の太白区坪沼集落の遊休地、転作農地をお借りして実際に現地の農家の方の技術指導を受け、小規模ながらも市民農園活動を展開しました。この活動実験をもとに、プチファーム(小単位ユニット式市民農園)の実現について研究していきたいと考えています。
このプチファームは、農業をやってみたいと考える方や友人、家族が一緒になってひとつの畑で農作業体験できる空間です。気心のしれた仲間同士で協力しながら、自分の好きな野菜や作物を栽培することができます。
農業は、一年の季節の巡りの中での作業です。今年度は、この作業の時期が定かでないまますこし失敗をしてしまいました。
失敗の直接の原因である病気や虫、雑草は、毎日見ていればその初期に発見できて対策がとれますし、対策がとれないような場合でも思い切って別の作物に切り替えることもできます。「あれよあれよという間に枯れてしまって手の打ちようがなかった」という話をよく聞いてみると、久しぶりに畑に行ってようやく気がついたということだったり、手を打てる時期に手を打つ時間がなかったということだったりします。
技術的な対策以前に、まず地道に田畑に足を運ぶことが欠かせない、ということをみんなが実感しました。
去年の教訓を活かして、今年こそはと栽培計画を練ったり、みんなけっこうやる気になってきているようです。
私は、みんなの楽しいプチファームでありたいと願いながら、豆腐や味噌づくりなどについて、今から構想しているところです。
ただいま、プチファーマーを募集中です。
どうぞお気軽にお問い合わせ下さい。
(三浦隆弘)
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09)
まちフォニュース・事業報告
『昆虫マップ作成企画調整』立案業務報告
昆虫マップ作成事業とは泉区役所衛生課が平成11年度から3年間かけて行っている事業である。平成11年度には実行委員会を設置、そこから発展的に「いずみ昆虫探検隊」を組織。平成12年度は「昆虫カレンダー」を配布、昆虫の発見日・場所を調査し「西暦2000年の昆虫マップ」としてとりまとめ、平成13年度に広く泉区民に配布し、自然との共生を考えるきっかけにしようというもの。
今回はマップを作成するにあたり、関わる市民(いずみ昆虫探検隊)・行政(衛生課)の討議の場を設定し、意見・希望のとりまとめ等を含んだ共同作業をワークショップ形式で行った。
ワークショップは3回開催。開催の前に今まで行ってきたイベント、アンケート等を分析し、マップを「おすそわけマップ」と位置付けた。
1回目には実行委員、探検隊としての体験の中から「感動したこと、発見したこと」等、おすそ分けしたいネタを出し合い、さらに「誰におすそ分けしたいか」イメージカードを用いてグループワークを展開、その結果小学生(親子)を対象としたものを作成することが決まった。
2回目は前回のワークショップで整理したテーマをさらに肉付け、その中からマップに載せたいネタを選定。
3回目はかなり完成に近い形のマップの原案を提示。マップに載せる項目を決定、さらにそれらを確認できる担当者を選んだ。
今回のワークショップでは?@参加者の年齢に開きがある(幼稚園児〜70才代)?A昆虫に対する関心、知識に格差がある、という課題があったので、イメージカードの使用、ゲーム仕立てにするなど、随所に工夫を凝らした。また、2回目からは子どもたちを「おとなグループ」から独立させ、活躍の場を設けた。
次年度は昆虫マップを完成させ、夏に予定されている「昆虫フォーラム」でお披露目を行う予定である。 (報告 芦立)
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10)
報告〜首都機能移転に関する研究会〜
昨年12月と今年2月の2回にわたり「北東地域国会等移転みやぎ協議会」主催で、「首都機能移転に関する研究会」が開催された。
宮城県は、’99年の国会等移転審議会で、移転候補地から非選定となったが、その後も、利根川以北への移転を支持。今回の研究会は、その支援組織でもある「北東地域国会等移転みやぎ協議会」の今後の具体的展開を探るためのものである。出席者は、大学教授等有識者、候補地と東京都の行政職員、そして、経済人他を含め、各回約20名。まちづくり政策フォーラムは、その成果をとりまとめるために参加した。
研究会では、移転消極側、積極側双方から、東京一極集中の是正や災害時のリスクヘッジ、地方分権など、多様な論点について様々な意見が出された。
また、移転によって、候補地の住民がどのようなライフスタイルを実現できるのか等、国民意識を盛り上げるためには、具体性のあるアプローチも必要だという移転論議への姿勢や取り組み方に対する意見もあった。いずれにせよ、国レベルの課題であるだけに、候補地だけでなく、国民の意識高揚と理解促進が不可欠であろう。移転の本質を見定めた上で、議論する必要があるという意見も投じられている。
その中で、非選定地である宮城県、北東地域国会等移転みやぎ協議会が果たすべき役割とは何かを、「NPOの立場からの提案」という形で、現在とりまとめている。 (報告 櫻井)
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