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(裏面日本語訳) 1994年のシーズン、ドジャースはナ・リーグ西地区を首位で終えたので、1995年は楽観主義のためのすべての理由が存在した。前の日本のリーグのスターピッチャーをフリーエージェントで獲得した抜け目ない契約のは最もドジャースの優勝のチャンスを後押しするものとなった。その時点で日本で生まれた選手というのは30年以上もメジャーリーグには現れていなかったが、Nomoの春に見せた力強いプレーはダグアウトに優勝を確かなものと確信させるものだった。 |
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(裏面日本語訳) 彼のメジャーデビューせんである1995年5月2日のサンフランシスコ戦で、被安打わずか1、7人の打者を三振に打ち取り、5回を無失点のピッチング。これは6月にナショナルリーグを嵐に巻き込むまさに暗示となった。6月、彼はメジャーリーガーとしての初勝利、16奪三振ゲームを含む6勝をやってのけた。防御率0.89とあわせてlこれらの数字は彼にナショナルリーグの月間最優秀投手の栄冠を輝かせたのである。 |
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(裏面日本語訳) Nomoがオールスターゲームの先発ピッチャーなったことはもうひとつのドジャースルーキー奪三振センセーション、Fernando Valenzuelaの思い出を振り返らせてくれたので、そのシーンはドジャースファンにはおなじみだった。Nomoは1981年のValenzuela以来のMidseason Classic先発投手となった。そしてNomoは裏切らなかった。彼は2回無失点、3三振のピッチングで相手の火の玉投手Randy Johnsonと渡り合ったのである。 |
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(裏面日本語訳) ロサンジェルスはワールドシリーズチャンピオンを獲れなかった1988年シーズン以来ディビジョンタイトルを獲っていなかった。しかし1995年のシーズンの最終週に入ってナ・リーグ西地区の栄冠に向かって、ロッキーズにわずかながらのリードで離していた。9月30日にサンディエゴでパドレスと対戦、Nomoは8イニングで1自責点、11奪三振で7-2で勝利してディビジョンタイトルをものにした。 |
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(裏面日本語訳) Nomoはナ・リーグのトップとなる236三振を奪い、1984年にDwight GoodenとMark Langston以来のルーキーでのトップだった。NomoはEric Karros、Mike Piazza、Raul Mondesiに続いてナ・リーグ新人王に輝き、ドジャースに球団史上2度目の4年連続新人王獲得に導いた。 |
1996 Collector's Choice Nomo Scrap Book #1〜#5 | ||
これは前に紹介した30枚近くもラインナップされた1996年CCのインサートカードである。 ひとりの選手のみをテーマに取り上げたインサートというのはやはり異例で、往年の選手でたまに見かけるが、現役選手ではGriffy Jr.級の扱いといえる。 なかなかポップなつくりで悪くはないが、あまりいい写真が使われているとはいえない。 もう少しクールに決めて欲しかったというところか。 裏面はNomoの1年目をコンパクトに記述したサクセスストーリーになっている。 |