「母の総て」というわけです。泣いたぞ、私は。しかもエンド・ロール文字の羅列を
ずーっと観ているといろいろ浮かんできちゃいまして。
原色チカチカのインテリアに負けないくらい原色チカチカの登場人物が魅力的です。
息子を亡くした女。女しか愛せない女。女になりたかった(なった)男。トランス
ヴェスタイト(女装の性倒錯者)の子供を身ごもった女。よくもまあ、こんなに
変わった方々(言い方が適切ではないかもしれないけれど)を集めましたわね。
アルモドヴァルさん。
変な人ばっかり出てくるけど、女っていいよね、生きるってくだらないかもしれない
けど結構いいんじゃないの、っていうストレートな話でした(私にとっては)。
ここに出てくる人々はいっぱいいっぱい傷付くけれど絶対負けない。へこたれない。
明るくて楽しくて。下ネタで盛りあがったり。生きていくんだな。
でも、彼女達だけが強いんじゃなくて、本当はこんなもんなんじゃないかって思う。
よっぽど死んでやろうかって思うことがあってもやっぱ生命を繋いでいくでしょ。
前を見ようとするでしょ。
この映画って女であることと母性について描かれてると思うのね(それだけじゃないけど)。
みんな、母親になれないけれど、母性がある。所謂「日本のおかあちゃん」みたいな
母性のあり方じゃなくて、男が甘えたい都合のいい母性のあり方じゃなくて、彼女達が
持っているのはそれらとは全然違う異質なものだけど、これも母性だと思う。母性って
なんでもありなものだと思うし。
って、母性を連発してわけわからなくなってきた(笑)。ま、そういうことなのです。
女であることについては、雌であるだけじゃ女になれない。逆におっぱいがなくても
女になれるってことです。女であるために女を演じるすべての人にっていうのがキャッチ・
コピーだけど、それで説明はおしまいです。女は即興が得意で人生を演じているのさ。
女って、寛容でもあり、愚かでもあり、どっちでもあり、結局何でもありなのだなぁ、
としみじみ感じましたです。はい。そして私もなんでもありの中の1人なのだとも。