「母たちに捧げる」映画、というと「オール・アバウト・マイ・マザー」を思い出す。
強烈で鮮やかな女達の物語。
それに比べると「ルナ・パパ」はもっとシンプルでストレートな母への讃歌か、と。
不器用で照れつつも言いたいことをそのまま、口に出してしまったような。
物語の舞台はタジキスタンの小さな村。ファル・ホール。沙漠の中にあり、内戦が
繰り広げられている村。そこで大地、国家を意味する名を持つマムラカットという少女は、
すぐに爆発する父親、サファールと戦争の後遺症で精神に傷害をもち悪魔と戦う兄、
ナスレディンと慈しみあいながら、結構楽しく過ごしている。
ある日マムラカットは闇から囁く男の声に誘われるように、崖から落ち、最初は蔓が
絡んでいた彼女の体にいつの間にか男の手が絡み、彼女は青白い月の光の中、
影の男と結ばれる。余談ですが、このシーンを見て思い出したのはマリアの処女懐胎、
ではなく、史記に描かれた高祖帝の母が受胎する場面でした。
彼女が月夜の日に孕んだのは希望であった。
希望といっても生易しいもんでもなく、お腹の中の子(カビブラという名前らしい)は
マムラカットを苦難に立ち向かわせる。村人の「売女」という言葉。そしてその苦難によって、
彼女を捨て鉢にさせ、また彼女を未来へと導く。もう、この希望はほとんど力技である。
日常生活にずずずずっといきなり現れる<奇跡>。これもまたカビブラによるものか。
奇跡は、もうどうしてくれんのよ、バカと思うようなことを引き起こしてしまう。
一匹の牛!!
しかし、やはりその奇跡もマムラカットにその名に相応しい強さを与えるのだ。
最後に残された奇跡は果たしてマムラカットとカビブラをどこに導くのだろうか。
ナレスディンが戦う「心の狭い怖い顔の人たち、人間の悪魔」のいない場所だろうか。
いやいや、きっと彼女達もまた、ナスレディンと同じ様に、悪魔と戦わなくては
ならないのだ。これからも、ずっと。
飛行船の上の空はいつも穏やかとは限らない。
カビブラはそんな未来もお見通しの上で「もうそろそろ外に出るころだわ」と高らかに
宣言するのだ。
すべての小さな生命たちとそれを宿した母たちを祝福して。Happy Birthday!と言いたい。