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子ども達の教育環境を守る会

                                 

守る会

東京都国立市にある「桐朋学園」に子どもを通わせている保護者が、学校南隣接地の大規模高層マンション建設計画の見直しを求め集まった有志の会です。

学校が…!

「桐朋学園」は、いちょう・桜並木のすばらしい景観を有する大学通りに面し、ひとり一人を大切にして、豊かな個性と自主の精神を育む「人間教育」を創立以来の基本姿勢とする学校で、武蔵野の面影を残す緑あふれる環境のなかで、心身ともに健康で、みずみずしい感性を持ち、明朗で意欲のある子どもを育てることを目的として、現在、小・中・高校約2,300名の子ども達が、のびのびと、学び・遊び・活動しています。
1999年夏、突然起きた今回の大規模マンション問題は、近隣住民の皆様はもちろん、学校関係者にとっても大変な衝撃でした。予定通りに建ってしまうと、冬場のグラウンドはそのほとんどが一日中日影となり、子ども達の教育・学校生活に大きな障害をもたらしますし、目の前に44mもの建物が建っている圧迫感と、いつも高いところから見下ろされている不安感は耐え難いものとなります。子ども達の健康と安全が脅かされることは許せません。私たち保護者は、子ども達の教育環境を守るため、学校と協力して行動しようと集まりました。

教育・福祉のエリア

建設予定地周辺は、低層住宅地であるとともに、教育・福祉のエリアとして、桐朋学園、都立国立高校、東京都多摩障害者センター、国立市障害者センター、障害者スポーツセンター、福祉会館などが集まっています。そのエリアの中央で、大学通に面した場所に高さ44m(当初は53mの予定)、340戸の大型マンションが計画されたとあって、周辺住民・学校関係者だけでなく、国立市全体の問題として大きな運動となりました。

国立の歴史

国立市は、箱根土地鰍フ開発によって、一橋大学の移転とともに最初から学園都市として設計されたまちで、その後、国立学園、国立音楽大学、桐朋学園など多くの学園が誘致されました。国立は文教地区の指定を受けていますが、これは単に大学や学校が多いからではありません。1950年、朝鮮戦争が勃発し、隣の立川市は基地があったこともあり、多くのアメリカ兵が進駐してきました。その影響は国立にも及び、アメリカ兵相手の簡易旅館や飲食店などが出現し、いかがわしい商売が始められました。環境を守ろうとする市民・学生を中心に、東京都文教地区建築条例の指定を目指して、運動が始まりました。しかし、経済的発展のためには文京地区指定は障害になる、まちがさびれ税金が高くなるという反対派との間で、まちを二分する大論争が起こり、町議会で二転三転した結果、一票差で議決、都に申請し、1952年文教地区の指定を受けました。これは、単なる歓楽街の進出反対運動ではなく、開発以来の理想の学園都市を目指し「開発」より「環境」のまちづくりを市民が選択したものです。

大学通り

国立駅南口から南に延びる「大学通り」は、「新東京百景」「新・東京街路樹10景」等に選定されているまちのメインストリートです。4車線の車道の両側には自転車レーンと、9mもの歩道はグリーンベルトで縁取られ、いちょう・桜並木が続き、道幅44mの通り全体が大きな公園のようです。市民は永くこの環境を大切にし、美しい景観を守ってきました。

 

       私たち“子ども達の教育環境を守る会”の活動、
   マンション問題の経過はこれまでの経緯をご覧ください。