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〜45000HIT記念リクエスト小説<Meister-ポポル様へ>〜

鳴りわたる鐘の音


ザールブルグは、今日も相変わらず平穏だった。
季節はもう秋から冬へと移り変わって行きつつあったが、ここ何日かは、小春日和の過ごしやすい日々が続いている。
ここ中央広場には、午後の散策を楽しむ人々や、買い物帰りのおかみさんたちが三々五々、あるいは笑いさざめき、あるいは口笛を吹き、思い思いの時を過ごしていた。
石畳の広場の西側には、緑の芝生が広がり、周辺に置かれたベンチで読書をする青年や、パイプをくゆらす老人の姿があった。
芝生の中央には、『妖精の木』と呼ばれる老木が立っている。数年前に枯れてしまい、今は葉もつけてはいなかったが、そのこずえはまだしっかりとしており、複雑にからみあった枝枝が、芝生の上に幾何学模様をした影を描いていた。
その木漏れ日の中で、3人のアカデミー生徒が、午後のお茶を楽しんでいた。
エリー、アイゼル、ノルディスの3人である。
錬金術を教える王立魔法学院ザールブルグ・アカデミーでは、まだ授業が行われている時間だったが、マイスターランクに属するかれらは、時間を自由に使うことができた。もちろん、研究のために徹夜をすることもある。しかし、実験や魔法書の読解に疲れた頭をいやすためにも、このようなリラックスできる時間を持つことは重要だった。
「さあ、どんどん食べてね。あたしお手製のチーズケーキだよ」
ケーキを切り分けながら、エリーが言う。
今日のお茶受けは、エリー十八番のチーズケーキだ。(というより、エリーがまともに作れるお菓子は、これだけだったのだが)
アイゼルも、実家から送ってきたという高級菓子ショコラーデを持参している。
「エリーのチーズケーキは、確かに美味しいんだけど、食べ飽きてしまったわ。もう少し、レパートリーを増やした方がよろしいんじゃなくて?」
上品なしぐさでケーキを口に運びながら、アイゼルが言う。
エリーは、切り分けて皿に載った自作のチーズケーキを眺め、
「そうかなあ。でも、まだまだ満足できるチーズケーキは作れてないもの。究極のチーズケーキができるまで、何度でも挑戦するつもりだよ」
「あらあら、それじゃ、当分の間、あたしもノルディスもチーズケーキ漬けにならなければいけないというわけね」
アイゼルは溜め息をつき、
「お茶をもう一杯いかが、ノルディス? こっちのショコラーデも、ぜひ召し上がってね」
「あ、いいよ、アイゼル、ぼくがやる」
と、ノルディスは、自分でポットから香り高いハーブティをカップに注ぐ。ノルディスがブレンドしたそのお茶は、疲れを取り心をリラックスさせる薬効成分を含んでいる。
「ショコラーデって、すごく甘いんだね。美味しいけど、食べ過ぎて太っちゃいそうだよ」
と言いながらも、エリーは一口サイズに切り分けられた黒っぽいお菓子を口に入れる。モカパウダーと砂糖をふんだんに使ったショコラーデは、食べ始めると病みつきになると言われている。もっとも、原材料が高価なため、貴族の身分であっても、食べ過ぎるほどたくさんは手に入らない。
「そうね。それ以上、幼児体型に磨きがかかったら、大変ですものね」
「ぶー。ひどいなあ、アイゼル。あたしだって、スタイルには気を遣ってるんだよ」
「それは、一張羅の錬金術服が着られなくなったら困るからでしょ」
「あ〜、そんなこと言うなら、もうチーズケーキあげない!」
ふたりの他愛のない言い争いを聞き流しながら、ノルディスは黙ってお茶をすすっていた。へたに口を挟もうものなら、先ほどまでの争いはどこへやら、あっという間にエリーとアイゼルは連合し、集中攻撃を受けてしまう。
その時・・・。
「おぅ、お揃いでお茶会かい? かーっ、優雅なもんだねぇ!」
豪快な声音が『妖精の木』の枝を揺るがした。
「あれえ、武器屋の親父さんじゃないですか。こんなところで、珍しいですね」
エリーが目を丸くして返事をする。
つるつるの頭に口髭、筋肉隆々の身体を白いシャツに包んだザールブルグの名物男、『職人通り』に店を構える武器屋の主人が、空の荷車を背に突っ立っている。その本名は、誰も知らない。
「あん? 俺がここにいちゃあいけねえってか? そりゃないぜ。まっとうに働いてる小市民をつかまえてよぉ」
(小市民・・・? 絶対、違うと思う・・・)
3人は揃って心に思ったが、口には出さない。
武器屋の親父はしゃべり続ける。
「俺あ、武器を配達してきた帰りよ。エリー、あんただって、でき上がった品をお客さんに届けたりするだろう? 武器屋だって一緒よ。なんてったって、サービス第一だからな!」
「は、はあ・・・」
「うちの宅配サービスは、昨日や一昨日に始めたものじゃねえ。若い頃、店を開いた時から、ずうっと続けてるのさ」
親父は胸を張る。
しゃべり続けて立ち去ろうとしない親父を見やり、アイゼルがノルディスにささやく。
(ねえ・・・。やっぱり「ご一緒にいかがですか」とか言わないといけないのかしら?)
(う〜ん、でも、癖になったら困るし・・・)
顔を見合わせた後、ぎこちない笑顔を親父に向ける。
ふたりの会話に気付かないエリーが、
「あ、もし、よかったら・・・」
と言いかけた時だ。
高く、澄んだ鐘の音が、アカデミーの方から響いて来た。授業時間の終わりを告げる鐘の音である。
アカデミーの正面入口の真上に位置する鐘楼に取りつけられているのは、銀製の大きな鐘である。アカデミーが建設された当初から、設計に取り入れられ、取り付けられたものだという。
朝、昼、夕方と、一日に3回鳴り響く鐘の音は、ザールブルグの市民にとって時計代りにもなっている。
もちろん、エリー、アイゼル、ノルディスの3人とも、鐘の音は聞き慣れたものだった。特に、アカデミーの寮で暮らしているアイゼルとノルディスにとっては、空気と同じように感じられる。『職人通り』のエリーの工房までは届かないが、アカデミーの図書館にいる時などは、居眠りから目を覚ますちょうどいい道具でもあった。
そんなわけで、3人とも、鐘の音を気にもとめなかったのだが・・・。
親父の反応は違った。
鐘が鳴り始めると同時に、両手で頭をかかえこみ、うめき声をあげる。
「うあああ、やめてくれ! 頭が割れる・・・!! 頼む、誰か、あの鐘が鳴るのをやめさせてくれええ!」
見れば、普段は血色のいい親父の顔が、青ざめている。冷汗を流し、その場にうずくまってしまった。
顔を見合わせる3人。
「あの・・・大丈夫ですか?」
エリーが親父の顔を覗き込む。
親父は血走った目を大きく見開き、くちびるをわなわなと震わせている。
「どうしよう・・・。ねえ、ノルディス、アイゼル、薬とか持ってない?」
「え・・・? 困ったな、部屋に戻らないと、ないよ」
ノルディスは困惑した表情で、首を横に振る。
「あ、あった!」
あちこちポケットを探っていたアイゼルが、ガラスの小壜を取り出した。しかし、ラベルを見て、溜め息をつく。
「これ、やっぱり、使わない方がいいわね。ヘルミーナ先生がくれた『暗黒水』だもの・・・」
そうこうしているうちに、鐘は鳴り終わった。
わずかに大気中に余韻を残し、金属を弾く澄んだ音が、ゆっくりと消えていく。
それと共に、親父の身体の震えも治まり、顔色も良くなってきた。
エリーの支えを断るようにして、自力で立ち上がる。
2、3回頭を振ると、何事もなかったかのように、いつもの豪快な笑顔を浮かべた。
「いや、すまなかったな、心配かけちまって・・・。いつもは、店の中にいるから、ほとんど気にならないんだが・・・。いや、何でもないんだ。わはは、俺は昔から、あの鐘の音が嫌いでよ・・・。じゃあな!」
唐突に言うと、くるりときびすを返し、がらがらと荷車を引いて立ち去って行く。
「ふう・・・。何だったの、今の?」
あきれたようにアイゼルがつぶやく。
「さあ・・・?」
「あの鐘の音、そんなに気になるかな?」
「ほんと。親父さんの“歌”の方がよっぽど騒音なのにねえ」
「う〜ん、どうしたんだろう?」
エリーも首をひねったが、もとより答えが得られるはずもない。
「さ、まだお茶もお菓子も残っているわ。片づけてしまいましょ」
そして、3人は再び芝生に腰を下ろし、午後のお茶会を続けた。
ごく一部、ほんのわずかな例外はあったが、相変わらずザールブルグは平穏だった。


それからさかのぼること、20年あまり。
『妖精の木』は、まだ青々とした葉を茂らせ、中央広場の石畳を複雑な形の影で彩っている。
広場の反対側では、遠く南の国から旅してきたキャラバンの一隊が、馬車を止め、周囲にテントを張って、珍しい南方の果物を売ったり、占いの店を開いたりしていた。
にぎわう中央広場から、石畳の道を南西に下ると、四つ角に出る。そこからまっすぐ進めばザールブルグの外門に行き当たり、左へ行けば、ゆるやかな坂道を上った先に、ザールブルグの下町に当たる『職人通り』がある。様々な工房や商店が軒を連ね、人の行き来も多い。そして、四つ角を右に曲がった先に、最近、ザールブルグでもっとも注目されている建物の建築現場があった。
数年前、はるか西の大海原を渡ってやって来た4人の男女がいた。そのうちふたりは、まだあどけない少女だった。かれらは、西の大陸エル・バドールの東岸にある自由都市ケントニスから、錬金術という新しい学問を、このシグザール王国に広めに来たのだ。
一行のリーダーで、優れた錬金術師でもあるドルニエは、シグザールのヴィント国王に訴え、錬金術を市民に教える学校であるアカデミーを建設する許可を得た。
そして、弟子のリリーは『職人通り』に錬金術の工房を開いて、街の人々の依頼を受けながら、建設資金を稼いでいた。ケントニスのアカデミーで『神童』と呼ばれていたふたりの少女、イングリドとヘルミーナも、母親代りでもあるリリーを手伝いながら、アカデミー建設という共通の目標に向かって、努力を続けていた。
そのアカデミーも、8割方、でき上がっていた。
リリーたちがザールブルグに来たばかりの頃は草ぼうぼうの空き地だった広場は、材木や煉瓦といった建設資材が並び、作業員たちが寝泊まりする仮小屋もある。それらの背後に、天に向かって伸びるように、アカデミーの真新しい建物がそびえていた。
手前の広場では、大工の棟梁とリリーが話し合っていた。イングリドとヘルミーナのふたりも、そばで話を聞いている。
「・・・さて、それでだ。建物のてっぺんに鐘楼を作りたいっていう話だったが、鐘の材料は何を使うことにするかね?」
たくましく日焼けした顔に口髭をたくわえた棟梁は、白い歯を見せて尋ねる。
「材料として使える金属は、金、銀、銅の3種類だ。もちろん、値段はそれぞれ違う。いい材料を使えば、それだけ値も張るっていう寸法だ」
「う〜ん、どうしようかなあ・・・」
飾り気のないリボンでお下げにした栗色の髪をもてあそびながら、リリーが考え込む。
アカデミーのてっぺんに鐘楼を設けて、授業の開始や終了時間に鳴らせるようにしようというのはリリー自身のアイディアだったが、その鐘の材料にまでは、気が回っていなかったのだ。
「ねえ先生、どうせ作るなら、ただの鐘じゃ面白くないですよ・・・。そうだ、大砲なんか、どうかなあ。朝、昼、晩に、ドカーンとぶっ放すの。調合や研究でたまったストレス解消にもってこいだわ」
イングリドが目を輝かせて、口をはさむ。左右の瞳の色が違っているのは、ケントニス出身者の特徴だ。
「まあ、なんて野蛮なことを考えるのかしら。まったく、乱暴者のイングリドらしい考えだわ」
ヘルミーナが、リリーの身体の反対側で、すまして言う。
イングリドはヘルミーナをにらみつけて、言い返す。
「何よ! 大砲があれば、他の国が攻めてきても、アカデミーを守れるじゃない。あんたには、そういう大局観が欠けてるのよ」
「何が大局観よ。単に、大砲を撃ってはしゃぎたいだけじゃないの。子供よね〜」
「あ〜ら、そう? それじゃ、ヘルミーナ、あんたはどうしたいのよ」
「ここはやっぱり、純金製の鐘を造るべきよね。アカデミーの権威も上がるというものだわ」
「ふん、そんなの、ただの成金趣味じゃない。あきれてしまうわ」
「破壊主義者のあんたよりましよ!」
「何ですってえ!!」
「あ〜、もう! わかった! わかったから、ケンカはやめなさ〜い!」
リリーが怒鳴る。もう何回繰り返したか思い出せない、お決まりのセリフだ。大工の棟梁は、目を白黒させている。
「ねえ、先生。いい考えだと思いますよね。やっぱり大砲にしましょう」
「だ〜め。純金の鐘ですよ。きっと、この世のものとも思えない音色だと思うわ」
左右から聞こえるイングリドとヘルミーナの声に、リリーはきっぱりと答えた。
「ふたりとも、却下!!」
そして、棟梁に向かい、
「銀の鐘にするわ。材料の銀は、うちの子ふたりが作って提供します」
イングリドとヘルミーナに厳しい目を向け、
「ふたりとも、少しは協力し合うことを覚えなさい。力を合わせて純度の高い銀を作って、大工さんに届けること。いいわね!」
「は〜い」
不承不承、返事をするふたり。声音まで、双子のようにそっくりだ。
その時、背後から陽気な声が響いた。
「おう、ここにいたのか、リリー。探しちまったぜ」
「あら、ゲルハルトじゃない」
振り返ったリリーが言う。相手は、冒険者で、『職人通り』の武器屋のマスターでもあるゲルハルトだ。 いつものように、黒い長髪を後ろで無造作に束ね、屈託のない笑顔を向けている。
「で、なにか用なの?」
「おう、その通りさ。リリーを男と見込んで・・・じゃなかった、女と見込んで、頼みがあるんだ」
ゲルハルトの妙な、しかし真剣な言いまわしに苦笑しながら、リリーが尋ねる。
「何なの? とびきりおいしいアップルパイが食べたいとか?」
「いや、そんな話じゃないさ。もっと真剣な・・・俺の男としての意地がかかった問題なんだ」
顔を引き締めて言うと、ゲルハルトはリリーの耳元に顔を寄せ、ささやいた。
「実はな、リリー・・・。酒に酔っ払わない薬を、作ってほしいんだ」
「へ?」
リリーが目を丸くする。ゲルハルトが続ける。
「俺あ、どうしても納得できねえんだよ。あの時は、ハインツの親父さんに止められたが、まだ勝負はついちゃいねえ。あのシスカが俺より酒が飲めるなんて、信じられねえ。それでよ、今度こそ白黒つけてやろうと思うんだ。男として、絶対に負けるわけにはいかねえ。だから、な、頼む、『酔い止め薬』を作ってくれ」
「作るのはいいけど、ゲルハルト、それって・・・」
リリーが、いささかあきれたような口調で言う。
「“ズル”ってやつだよね〜」
「ほ〜んと。男らしくないよね〜」
イングリドとヘルミーナがささやき合う。
だが、ゲルハルトは気にする様子もない。
リリーは、半年ほど前のことを思い出していた。
仕事の依頼を受けるために、酒場『金の麦亭』に顔を出した時だった。
店内のテーブルでは、ゲルハルトと、聖騎士を目指す女性冒険者のシスカが、酒の飲み比べをしていたのだ。形勢は明らかで、シスカは顔色ひとつ変えずに度の強い酒をぐいぐい飲んでいるのに対して、ゲルハルトは既に泥酔状態。結局、見かねた店主のハインツが止めに入り、ふらふらになったゲルハルトは店を追い出された。リリーは放っておけず、追いかけて介抱したのだった。もっとも、ゲルハルト当人は、そのことをほとんど覚えていないようだったが。
「いいか、これは、男としての沽券に関わることなんだ。今度こそ、俺はすべての男の代表として、絶対に負けるわけにはいかねえんだ。だから、な、頼りにしてるぜ、リリー!」
(男の意地を通すために、女に頼るのって、おかしいと思うんだけどなあ・・・)
リリーは思ったが、口に出すのはやめた。ゲルハルトに、理屈は通用しない。
止めるように説得しようかと一度は思ったリリーだが、言ってもゲルハルトは聞かないだろうと思い直した。
あきらめたように、リリーは言った。
「わかった。作ってみるわよ。でも・・・」
「ありがてえ!! さっそく、シスカのやつに果たし状を叩き付けてくるぜ。っしゃあ!!」
ゲルハルトはリリーの言葉をさえぎるように大声をあげ、踊るような足取りで、行ってしまった。
(・・・責任は持ちませんからね)
リリーが言いかけた言葉は、結局ゲルハルトの耳には届かなかった。

1ヶ月後。
酒場『金の麦亭』は、異様な雰囲気に包まれていた。
中央のテーブルを取り巻くようにして、常連客が遠巻きに見つめる中、ふたりの冒険者がテーブルを挟んで対峙している。
ひとりはゲルハルト、もうひとりは、赤い軽鎧に身を固めた女剣士のシスカである。
ふたりの前のテーブルには、既にゲルプワインやブラウワインの空き瓶がずらりと並んでいた。ふたりとも、それらには目もくれず、自分のグラスにワインを注いでは、ぐいと一息に飲み干す。
ゲルハルトは、グラスを空ける度に、挑発的な目付きでシスカをにらむ。それに対して、シスカは口元に微笑を浮かべ、リラックスした表情で、心から酒を味わうことを楽しんでいるようだ。
あ然として見守る人垣の中で、リリーは心配そうにふたりの対決を見守っていた。
飲み比べが始まる直前、ゲルハルトはリリーの工房を訪れ、リリーが調合した『酔い止め薬』を飲み下していた。ケントニスから送られてきた参考書に載っていたレシピで、リリーも初めて調合する薬だった。本当に効くのかどうか、確認したわけではない。リリーははらはらして見守っていた。
しかし、今のところ、ゲルハルトは酔った徴候を見せてはいない。
「くはーっ、効かねえなあ、全然効かねえ!」
何十杯目かのワインを飲み干すと、ゲルハルトはグラスを叩き付けるように置き、叫ぶように言った。
「どうだ、シスカ、降参するなら今のうちだぜ」
シスカは、ちらとゲルハルトを見やり、不敵な微笑で応える。まったく崩れる気配がない。
「そうね・・・。このままでは、らちがあかないわね・・・」
カウンターの奥で心配そうにながめていた店主のハインツを見やる。
「マスター、カイザーウイスキーのストレートを。むろん、ダブルでね」
カイザーウイスキーは、この酒場に置いてある中で、もっともアルコール度数の高い酒だ。
間をおかず、ゲルハルトが応じる。
「おい、俺も同じやつを! いや、めんどくせえ、ボトルごとよこしやがれ!」
「おいおい、あんまり無茶はしないでくれよ。この前みたいなことはごめんだからな」
ハインツは、しぶしぶといった様子で、封を切ったボトルをテーブルに置く。
シスカは黙ってボトルを手に取ると、なみなみとグラスに注ぎ、ぐいとあおる。
ゲルハルトも負けじと、琥珀色の液体を飲み干す。
それを見ていた客の中から、声が上がった。
「ちくしょう、こんな勝負、素面じゃ見ていられないぜ。マスター、酒だ!」
それを合図にしたかのように、われもわれもと、酒を求める声があがった。
「さ、姉さんも飲みなよ」
年下の冒険者テオにグラスを差し出され、リリーも無意識のうちに受け取っていた。
テーブルでは、1本目のカイザーウイスキーのボトルが空き、2本目に突入している。
それを見守りながら、リリーは自分でも気付かぬうちに、2杯、3杯と、ワインのグラスを重ねていった。
さらに時間が過ぎた。
シスカの頬がやや赤く染まり、グラスを空けるペースが遅くなってきた。
ゲルハルトは、最初からのペースのまま、飛ばしている。
「すげえ・・・。どっちもすごいや。な、姉さん」
隣にいるリリーを振り返ったテオは、ぎょっとして目を丸くした。
「・・・あによ、テオ、あたしの顔に、なんかついてるっていうの?」
リリーの目がすわっている。
「ね、姉さん、飲み過ぎだよ。もうそのくらいで、やめておいた方がいいよ」
「な〜に言ってるの。子供が生意気なこと言うんじゃないの。さ、テオ、あんたも飲みなさい」
「で、でも・・・」
「あによ、あたしの酒が飲めないっていうの? さあ、飲みなさい、飲みなさいってばぁ」
しなだれかかるリリーを支えたらいいのか、ワインの瓶を取り上げた方がいいのか、混乱したテオはハインツに助けを求めた。
「ハインツさん、なんとかしてくれよ〜。姉さんが・・・」
「あちゃあ、始まっちまったか」
ハインツがあわてて駆け寄る。
リリーは以前にも、自作の酒『エーデ・カクテル』を試し飲みして酔っ払い、『金の麦亭』で大暴れをしたことがあるのだ。自分の工房でカクテルを飲み、部屋をめちゃくちゃにしたこともあるという。
瓶とグラスを取り上げようとするハインツに抵抗し、リリーは腕をぶんぶん振り回す。
「いてて、姉さん、頼むよ、おとなしくしてくれよ」
時ならぬ騒ぎに、ざわめきが酒場の中へ広がっていく。
「何だ? どうしたってんだ」
『酔い止めの薬』が効果を発揮し、素面のままのゲルハルトが振り向いて言う。
「どうやら、大トラが紛れ込んで来たみたいね」
シスカもグラスを口に運ぶ手を休め、落ち着いた口調で言う。
「・・・ったく、何やってんだ、リリーのやつ」
自分のことは棚に上げ、あきれた様子のゲルハルト。
その時だった。
扉が開き、小さな姿が入って来た。
「すみませ〜ん、リリー先生、いませんか〜?」
薄水色の髪をカチューシャで止めたイングリドは、呼びながら人波をかき分けて、騒動の場へ足を踏み入れる。
「先生?」
イングリドは、ふらつきながらハインツとテオに支えられているリリーを見て、目を丸くした。
「おう、嬢ちゃん、いいところへ来てくれた」
「あの、あたし、アカデミーの鐘が取り付けられたので、リリー先生に見てもらおうと思って、呼びに来たんですけど・・・」
イングリドに気付いたリリーが、もつれた足で進み出る。
「あ、イングリド、あんたも飲みなさい。美味しいわよ〜」
「先生! しっかりしてください! 最初に鐘の音を聞きたいって言ってたの、リリー先生じゃないですか!」
「え? お金〜? うん、お金はあればあるほどいいよね〜」
「もう! 先生ってば!」
イングリドは必死に思い巡らした。自分が調合を手伝った『酔い止め薬』は、ゲルハルトが全部飲み干してしまい、手許にはない。
(仕方ないわ、ドルニエ先生になんとかしてもらおう)
ドルニエは今、アカデミーの建設現場で、ヘルミーナと一緒に待っている。
イングリドは、声を震わせて助けを求めた。
「どなたか、リリー先生を連れ出してくださいませんか。アカデミーへ連れて行きたいんです」
それを聞いて、ゲルハルトが立ち上がった。
「よおし、俺が連れてってやるぜ!」
そして、シスカを見やる。
「この勝負は、預かりだ。いずれ、再試合で片を付けてやる」
「ふふふ、いつでも受けて立つわ」
ゲルハルトは人波をかき分けて近づくと、リリーの腕をぐいとつかんだ。手伝おうとするテオを、ひとにらみで退ける。
「マスター、水だ」
ハインツから水の入ったグラスを受け取り、リリーに飲ませる。
「何これ〜? このお酒、まずいよ〜」
抵抗するリリーをたくましい腕で押さえつけ、イングリドに向き直る。
「さあ、案内してくれ」
「おい、ゲルハルト、お前こそ、あれだけ飲んで、大丈夫なのか?」
「けっ、へでもねえや」
心配そうに声をかけるハインツに、ゲルハルトはにやりと笑ってみせた。

「先生、ドルニエ先生! 大変です〜!」
先頭に立ったイングリドが、師の姿を見付けて駆け寄る。
普段は槌音や作業員のどなり声で騒々しいアカデミーの建設現場も、今日は静まり返っていた。イングリドとヘルミーナが調合した銀を原料に鋳造された鐘が、鐘楼に吊り下げられている。鐘には丈夫なロープが取り付けられ、鐘楼の下からそれを引くことで、鐘を鳴らすことができるようになっている。
「もう! 遅いわよ、イングリド。何やってたのよ!?」
文句を言ったヘルミーナだが、ゲルハルトに背負われるようにしてやって来るリリーを見て、口をつぐむ。
イングリドの説明を聞いて、ドルニエも考え込んでしまった。
「ふむ・・・。困ってしまったな。リリーがこの状態では、鐘突きどころではないだろう・・・。どうだろう、リリーも最初に鐘を鳴らすのを楽しみにしていたことでもあるし、明日に延期してはどうだろうか。大工の棟梁には、私から話をしておくとしよう」
その声を聞きつけたリリーが、叫んだ。
「鐘! そう、アカデミーの鐘よ!」
ゲルハルトの腕を振りほどくと、千鳥足で師の方へ歩み寄る。
「あ〜、鐘だぁ」
鐘楼を振り仰いだリリーは、そのまま仰向けにひっくり返りそうになった。
あわててゲルハルトが抱き止める。
「おい、リリー、しっかりしろ」
「ふにゃ? あ〜、ゲルハルトだぁ・・・。なんで、いるの?」
「こりゃあダメだな。工房に連れて帰って、寝かせた方がいいでしょう」
と、ドルニエに話しかける。
「ふむ、それがいいだろう。すまないが、リリーを連れて行ってもらえるかね?」
「そうしましょう」
ところが、リリーが暴れ出した。
「何するのよ〜。鐘〜。鐘、鳴らすの〜」
「リリー先生!」
「だめよ、そんなに酔っ払っちゃってちゃ」
イングリドとヘルミーナも、駆け寄る。
リリーは、とろんとした目付きで、ゲルハルトを見る。
「あ、そ〜だ、ゲリュハリュトぉ、あんた、鐘を鳴らしなしゃい。聞きたいよぉ、鐘の音〜」
目を輝かせて言い張るリリーに、ゲルハルトは処置なしというように肩をすくめ、ドルニエを見やった。
「ふむ、仕方ないな・・・。申し訳ないが、リリーの言う通りにしてやってくれんかね」
「がってんだ!」
ゲルハルトは、草地にリリーを座らせると、イングリドとヘルミーナに世話をまかせ、建物を囲むように組み立てられた足場を登っていく。
鐘楼の下までたどり着くと、やぐらにしっかりと足をかけ、ロープを両手で握り締めた。
下で見上げているドルニエたちが、小さく見える。
深呼吸すると、大きく上を振り仰いだ。斜めから差し込む陽光に、鍛えられたばかりの銀の鐘がきらめく。
「よっしゃ、それじゃ、いくぜ!」
叫ぶと、大きくロープを引いた。
澄んだ鐘の音が、午後の穏やかな大気の中に響き渡る。
下では、イングリドとヘルミーナが拍手する。
ゲルハルトは満足げにうなずき、
「よっしゃ、もう一度!」
と足を踏ん張った。
その瞬間。
天地が逆転した。
ぐるぐると目が回る。突然、頭の中に錐が刺し込まれたような痛みが走り、間断なく脈打つような激痛が続く。胸がむかつき、のどに酸っぱいものがこみ上げてくる。
立っていられず、狭い足場にうずくまったが、足場の板が地震のように波打っているように感じる。
「なんだ? どうしたってんだ!? ・・・うっぷ」
リリーが調合した『酔い止め薬』も、効果が永続するわけではない。
ゲルハルトがアカデミーの銀の鐘を鳴らした瞬間に、薬の効き目は切れ、それまでに飲んだ大量のアルコールの影響が、もろに襲いかかってきたのだった。
ゲルハルトは、割れるように痛む頭を両手でかかえた。その拍子にバランスを崩し、足場から片足が外れる。
「う、うわああああ!」
ゲルハルトは、組まれた足場から足場へと転げ落ち、全身傷だらけになって、地面に転がった。幸いなことに、何度もあちこちにぶつかったおかげで落下の勢いがそがれ、頭などの急所も打たなかった。
大の字になって地面に横たわっても、頭上でアカデミーの建物がぐるぐると回り、鐘楼が崩れ落ちてくるように感じる。
「どうしたの? 大丈夫?」
覗き込むヘルミーナの顔も、判別できないほどに歪んで見える。
ゲルハルトは震える手を伸ばした。
「み、水くれ・・・。水・・・」
「水? もう、しょうがないなあ。イングリド!」
ヘルミーナはイングリドに目配せすると、工事現場の片隅に置いてあった大きな水桶の方に向かった。作業員たちが道具や手足を洗ったりするために、雨水を溜めてあるのだ。
ヘルミーナとイングリドは、とことこと歩いていくと、ポーチから青緑色の石をいくつも取り出し、手早く水桶に貼り付けていく。
「そろそろいいかな。イングリド、行くよ」
「・・・まったく、なんでこんなことしなきゃいけないのよ」
ぶつぶつ言いながらも、イングリドは抱えきれないほどの水桶の下に手を入れる。
「いいわよ」
「せえの!」
ふたりが力をこめると、大人が数人がかりでも持ち上げられないほどの大量の水が入った木桶は、ゆらゆらと持ち上がった。何ヶ所にも取り付けられた『グラビ結晶』の効果である。
そのまま水桶を運んでいったイングリドとヘルミーナは、あきれて見つめるドルニエを尻目に、うめき声をあげるゲルハルトの頭上に、桶の中身をすべてぶちまけた。
激しい水音とともに、大量の水がゲルハルトの全身をずぶぬれにする。
ゲルハルトは、それにも気付かず、絶え間なく襲う頭痛と吐き気に耐えていた。
しかし、忘却はなかなかやって来てはくれなかった。
その様子を、半身を起こして見ていたリリーの、
「わぁい、雨だよ〜、雨〜」
という能天気な声も、強烈な二日酔い状態に陥っているゲルハルトの耳には届かなかった。


数日後。
『金の麦亭』のカウンターに向かって、相変わらずシスカはお気に入りのゲルプワインのグラスを傾けていた。
ふと手を止め、ハインツを見やる。
「そういえば、最近ゲルハルトを見かけないわね。あんなに勝負だ勝負だって言っていたのに、どうしたのかしら」
グラスを拭きながら、ハインツが答える。
「さあな。よく知らんが、風邪をひいたらしいぜ。店も閉めて寝込んでるらしい」
「ふうん、そう・・・」

『職人通り』の一画にあるゲルハルトの武器屋の入口には、「臨時休業」と書かれた札が下がり、風に揺れていた。
店の奥にある寝室では、ゲルハルトがベッドに丸くなってふとんをかぶり、うなっていた。
今もまだ酒が抜けず、胸がむかついて何も食べられない。頭も割れるように痛む。
その上、ずぶぬれになって工事現場に放置されていたために風邪をひき、その発熱と頭痛が、さらに体調の悪さに拍車をかけていた。
額に氷嚢を押し当て、ゲルハルトは力なくつぶやく。
「ううう、気持ちわりぃ・・・」
リリーに『酔い止め薬』の追加を頼んではいたが、調合には1週間程度かかるという。
ゲルハルトの頭の中では、無数の鐘の音が、鳴り響き続けていた。

<おわり>


○にのあとがき>

お待たせしました〜。45000HIT記念小説をお届けします。
今回いただいたリクのお題は、
1.なにかが原因で性格が入れ替わってしまうふたりの話
2.「アカデミーの鐘の音嫌いのゲルハルト」と「リリーの酒癖」がからんだ話
3.1のネタにサライをからませて
の三つでした。

結局、2番目のネタを選びましたが、「ゲルはアカデミーの鐘の音が嫌い」というのは、公式設定なんでしょうか? よく知らないのですが(^^;
「ゲルハルト」=「親父」という公式設定にはいまだに釈然としない思いがあるのですが、今回のお話で、追認したことになってしまいましたね。(でも「キャラクター名鑑」では、まだ別枠扱い)

○には酒が飲めないので、二日酔いになったことはありません(二日酔いになるほどの量のアルコールを身体が受け付けない)。ですが、酔っ払いの生態は、しょっちゅう観察していますので、リアルに描けたかなと思います。
感想など、お聞かせください〜。


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