その、旅の男は、明らかに体調を崩していた。
樹齢100年は超えようという巨木が立ち並ぶうっそうとした森の中、けもの道とさして変わらない細い道を、男はふらつきながら進んでいく。
伸びた木の根株や岩の固まりのせいで、道は凹凸が激しく、健康な者であっても進むには体力を消費する。
男は、重そうなザックを背負い、マントをまとっていた。一歩進む毎に足を止め、額に吹き出る汗をぬぐう。
決して気候が暑いわけではない。秋も終わりに向かいつつあり、朝晩には肌寒ささえ感じる季節になっていた。しかし、男の全身は、汗にまみれていた。にもかかわらず、顔色は悪く、土気色をしている。時おり、寒気がするのか、両手で肩を抱くようにして、よろよろと前かがみになって震えに耐える。
動物や小鳥たちの気配も、感じられない。まるで、本能的に男を避けているかのようだ。
とうとう、男は、とある古木の根方に倒れ込むように寄りかかり、歩みを止めてしまった。
背から下ろしたザックを右手でかかえ、マントで首から下をくるむようにして、うずくまる。
「もはや、これまでか・・・」
男は、他人事ででもあるかのように感情のこもらない声でつぶやいた。あまりの苦しさに、感情を吐露することさえ耐え難くなっていたのである。
男は、自分の身体がどのような状態にあるのか、はっきりとわかっていた。
この地方ではさほど珍しくない、はやり病に罹っていたのである。
もちろん、放置しておけば、命に関わることもある。
しかし、薬を飲めば、ほぼ間違いなく治る病気でもあるのだ。
男は、どんな薬を飲めば、自分の病気に効果があるのか知っていた。残念ながら、手持ちはないが、自分の技術を使って、その薬を作り出すこともできる。
この森の中を探せば、薬の材料になる薬草やキノコなどを見つけ出すこともできるだろう。
しかし、男には足りないものがあった。
体力である。
症状が出始めた時に、大事をとって薬草を集めておけばよかったのだが、ふもとの町にたどりつくまでの数日なら、なんとかもつだろうと判断してしまったのだ。町へ着けば、すぐに薬を買い求めることができる。
その判断の甘さを、男は後悔していた。
病状は急速に悪化し、すでに男は身動きすることすらできない状態になってしまっていた。
これでは、薬の材料となる薬草を探し回ることなど、できはしない。
後は、このままここに横たわり、医術の女神アルテナに祈って、運を天に任せるしかない。
もし、運命が悪い方に転べば、この旅の男が持っている知識も技術も、永久に失われてしまうだろう。
男が、すべてに絶望して目を閉じようとした時・・・。
「おじちゃん、どうしたの? だいじょうぶ?」
男は、努力して目を開いた。
目の前に、10歳くらいの少年がかがみこみ、男の顔を覗き込んでいる。好奇心に満ちた左右の瞳の色は異なっていることから、地元で暮らしている少年だろうと男は判断した。
「おじちゃん、お水、飲むかい? 近くに泉があるから、汲んで来てあげようか?」
見ず知らずの自分を気遣ってくれる少年の言葉に、男の心の中にひと筋の希望の灯がともった。
「ああ・・・。水は、いいから、おじさんの頼みを聞いてくれるかな・・・」
弱々しい、かすれた声で、男は少年に話し掛けた。
「うん、いいよ。何をすればいいの?」
男は、まずザックを少年に開けさせた。
「本が、入っているだろう・・・。それを、出してくれないか」
ごそごそと、少年がザックの中をまさぐる。金属やガラスの触れ合う音が、ザックの中から聞こえて来る。
「これかな?」
最初に取り出した分厚い本は、目的のものではなかった。
「ちがう・・・。それじゃあなくて、もっと薄い・・・」
「あ、これだね」
と、少年は薄い大判の本を出して見せた。
「ありがとう・・・。では、それを、私に見えるようにして、順番にめくってくれないだろうか・・・」
その本には、この大陸に自生している植物や動物、あるいは産出される鉱物などが絵入りで書かれていた。
目的のものを見つけるたびに、男は少年にページの端を折るように指示し、後で見てもわかるようにした。
「・・・それじゃ、この草やキノコを探してくればいいんだね! まかしといてよ。この森はぼくの遊び場なんだ。何がどこに生えてるか、みんなわかってるよ!」
元気よく返事をすると、少年は繁みの中へ消えた。
少年を待つ間、男は最後の力を振り絞るように身を起こすと、ザックの中身を取り出し、必要な道具を並べはじめた。
小一時間もしないうちに、少年は両手いっぱいに材料をかかえて戻ってきた。
「ええと、これでいいのかな・・・。これが、トーンっていう草でしょ。それから、このキノコがヤドクヤドリ。あと、ミスティカっていうのとズフタフ槍の草は、泉の近くで見つけたよ」
少年は、得意そうに収穫物を男に差し出したが、男の前に並べられた奇妙な道具類を見て、目を丸くした。
「おじちゃん、何なの、これ・・・?」
「ああ・・・。後で教えてあげよう。その前に、もう一度、力を貸してくれないかね・・・。わたしが罹っている病気の薬を作りたいんだ・・・」
男は既に、ランプに火をともし、ビーカーで水を温めていた。
そして、少年に乳鉢を差し出す。
「この棒を使って、薬草をすりつぶしてくれないか・・・」
「うん・・・」
少年は、少し不安そうではあったが、素直に乳鉢を受け取り、乳棒で薬草をすりつぶしはじめた。
そして、なかばどろどろした液体になった中身を、男の指示でビーカーに注ぐ。
何度か同じことを繰り返すうちに、少年の手付きもうまくなり、作業の時間も早くなっていった。
ついに、すべての材料がビーカーに注がれ、ビーカーの中身は緑や土色や灰色が混ざり合った怪しげな混合物になっていた。
最後に、男はザックの中にあったガラス壜を少年に差し出し、言った。
「さあ・・・。最後にこれを入れるんだ。中和剤をね」
「ちゅうわざい・・・?」
「いいから、早く・・・」
男の声がかすれる。少年が現われたことによって、よみがえったかに見えた体力も、だんだんと限界に近づいているようだった。
少年は、ビンのふたを取ると、中の緑色の液体をビーカーに注ぎいれた。
すると、不思議なことが起こった。
それまでいろいろな色が入り混じっていたビーカーの中のどろどろした液体が、一瞬、きらめいたかと思うと、水色をした澄んだ液体に変わっていたのだ。
「うわあ・・・」
少年は、びっくりして目を丸くした。
しかし、男の方は、少年以上に驚いたようだった。
「まさか・・・。これほどの品質のものができるとは・・・」
つぶやくと、男は布でつかんでビーカーをランプから下ろし、水を加えて温度を下げると、ゆっくりと飲み干した。
「ふう・・・」
男の顔に、ようやく安堵の表情が浮かんだ。
まだ熱は高いが、気分がよくなってくる兆しが感じられる。
男は、あらためて少年をしげしげと見つめた。
「ありがとう、ぼうや。きみは、わたしの命の恩人だ。名前を、聞かせてもらえないかな?」
「ぼく、ドルニエっていうんだ」
少年は、夢見るような表情で、自分がそれを使って作業していた道具類をながめている。
「そうか・・・。ドルニエ君か。よく覚えておこう。きみは、大きくなったら、何になりたいのかね?」
「そんなこと、まだ、決めてないけど、とにかく、ふもとの町のケントニスへ行って、いろんな勉強がしたいんだ」
「ふむ、そうか・・・。では、もう少し大きくなったら、ケントニスへ、わたしを訪ねて来たまえ。きみには、素質がある・・・。錬金術の素質が・・・」
「れんきんじゅつ? 何、それ?」
「まったく新しい学問だよ。・・・それも、その時になったら、教えてあげよう」
ぽかんとするドルニエ少年に、後にケントニスで“錬金術の祖”と呼ばれることになる『旅の人』は、微笑んで答えた。
<おわり>
<○にのあとがき>
えっと、究極の(?)“ちびキャラ”小説です。
○にのせいで、アトリエ二次創作に目覚めてしまったというエコさんのHP、『エコサイト』で800のキリ番を取ったんです。
その時のエコさんのレスに、「・・・記念に“ちびドルニエ”小説をください」とあったんですよ。もちろん、エコさんは冗談のつもりで書かれたわけですが、ここで○にの心に火がついてしまったという・・・。
いや〜、『口は災いの元』とはよく言ったものです(意味が違うぞ)。
というわけで、発作的に書き上げてしまった“ちびキャラ”もの。
さて、お次は35000キリリク小説ですな。どんなお題をいただけるんだろう?(びくびくわくわく)